「山」に関する過去の雑記、メモを整理しながらブログに投稿しております。お茶など出ませんが、同じ趣味、興味のある方は立寄って御覧ください・・、現在と比較しながら眺めるのも一興でしょう・・。
「八ヶ岳:越年登山」(2)
山の積雪は、今年は例年並と聞いていたが、麓の様子はどうであろうか・・、登山口周辺では薄っすらと積もっている程度である。 だが、山間に入るに従って、雪の量も次第に多くのが判る。
暫くは、林道を進むようになる。 自動車のタイヤの跡を辿りながら、ダラダラの斜面を登っているようだ。 足下の雪が、キュッキュッとなって、いかのも雪山、冬山に来ているんだなーと、実感が足下から伝わってくる。 快適な徒歩である・・。
背中は大型の「キスリング」(※)である。
家を出るときは、ザックの重さと大きさに、さすがに少々の不安というか、前途多難を感じないわけではなかったが、今こうして一歩一歩前進していると不思議に思えるくらい快調なのである。
ただ、相棒の鈴木氏は、昨夜の新宿での深酒が残っているのか、やや身体が重そうなのが気がかりである・・。しかし、タフで、我慢強さには定評のある彼のことである、やがて調子を取り戻すだろう・・。
(※)因みに、装備用のザックといえば、現在は西洋型というか・・、縦長の軽量合成繊繊のものが主流のようであるが、当時は綿作りの黄色いゴワゴワした、両サイドに大きなポケットを備えた幅広の物であった。
これは「キスリング」といってキャンバス製の大型ザックで、発案者であるスイスの登山用具製造業者「キスリング」氏の名前に由来しているという。
厚い木綿のキャンバス地はそれ自体に防水性があるが、さらに防水性を高めるために熱したワックスを溶かして塗布することも時には行われたという。
駅の改札を通るときなど横幅が広すぎて引っかかるので、体を横にしながら改札を通り抜けていたことから、かつてはキスリングを背負って山に出かける我等若者たちは「カニ族」とも呼ばれた。
今ではめったに使っている人を見ることがない。
フット面を上げると、正面に天を指すピラミッドの様な「阿弥陀岳」の雄姿が覗かせている。その上は、透き通るような空の青である。
カラマツ林の白い幹が、今の時期のせいもあろうか一段と輝いているようだ・・。
1時間程度の徒歩で「美濃戸」へ着いた。
第二の基地・・?であろうか、山小屋が数軒道を挟んで在り、登山者を歓待していて嬉しい限りだ・・。 朝食代わりに暖かい「ウドン」を啜りながら、一休みである。
美濃戸からは、いよいよ本格的な登山道になる。
登山道は北沢(硫黄岳)、南沢(赤岳方面)の分岐となり、沢筋を主体に二つに分かれる。
林道南沢、北沢の分岐点辺り(写真提供者に感謝)
北沢ルートは、左方向で「赤岳鉱泉」を経由して硫黄岳へのルートであり、南沢ルート(右の細い登山道)は、「行者小屋」を経由して赤岳、阿弥陀岳へ向かうルートである。
我等の目的は、主脈である赤岳から硫黄岳のルートの所謂、反時計回りである。従って、本来は南沢ルートであるが・・、北沢ルートの方が良く整備されて歩き易いとの情報を得ていたので、左方向の赤岳鉱泉に決めていたが・・。
先ずは、今回のために購入した新しいスパッツ(アイゼンは未だ不要と思われる)を丁寧に装着しながら、一服した後、その赤岳鉱泉を目指した。
美濃戸からもチョットの間、同様の林道を進む。 左右は白樺林であるが、文字通り白の雪を被ってヒッソリとしている。
この辺りからは、さすがに勾配も増してきている。一歩一歩、息を整えながら歩調を取る。
間もなくすると、堰堤の工事箇所があり、広く開けた平坦地は「山ノ神」とかいうらしい・・。
山郷の祭りには、この地に八ヶ岳の山ノ神が降臨するのだろうか・・、思うと、この開けた地が、不思議と神聖な地にも思えてもくるのである・・。
「山ノ神」を’辞書を引くと、「山を支配するものとして農民・猟師たちに信じられている神」、又、「恐妻の意の 婉曲表現」とある。 「山神」、「山神様」とも表記され、その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なるという。
尤もなことで、小生の田舎(福島県いわき市常磐)では、当時まだ常磐炭鉱が盛んな頃、「山神様祭り」、「山神祭り」といって炭鉱を護ってくれる「山の神」の御祭りがあった。 この神は、鉱山で採掘された鉱石・石炭がご神体であるらしい・・。
どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを恐妻であるとして謙遜する「山の神」という表現が生まれたようである。
このような山ノ神の大元を辿ると、『古事記』や『日本書紀』の「イザナミノミコト」(女神)に一致するという。
そういえば、記紀の(古事記、日本書紀)神産みにおいて「イザナギ」と「イザナミ」との間に生まれた「大山祇神」(男神:オオヤマズミ)などが山の神として登場する。元より、各地の山を統括する神で三島大社、三島神社の祭神でもある。
そして、オオヤマツミの娘に「コノハナノサクヤ」(女神)というヒメがおり、この姫は富士山を鎮護し代表する「浅間神社」の祭神でもある。
父のオオヤマツミは、娘のいる日本一の秀峰富士山を譲り、娘は、この山に鎮座して東日本一帯を守護することになったという。
次回に続きます・・、
「八ヶ岳:越年登山」(2)
山の積雪は、今年は例年並と聞いていたが、麓の様子はどうであろうか・・、登山口周辺では薄っすらと積もっている程度である。 だが、山間に入るに従って、雪の量も次第に多くのが判る。
暫くは、林道を進むようになる。 自動車のタイヤの跡を辿りながら、ダラダラの斜面を登っているようだ。 足下の雪が、キュッキュッとなって、いかのも雪山、冬山に来ているんだなーと、実感が足下から伝わってくる。 快適な徒歩である・・。
背中は大型の「キスリング」(※)である。
家を出るときは、ザックの重さと大きさに、さすがに少々の不安というか、前途多難を感じないわけではなかったが、今こうして一歩一歩前進していると不思議に思えるくらい快調なのである。
ただ、相棒の鈴木氏は、昨夜の新宿での深酒が残っているのか、やや身体が重そうなのが気がかりである・・。しかし、タフで、我慢強さには定評のある彼のことである、やがて調子を取り戻すだろう・・。
(※)因みに、装備用のザックといえば、現在は西洋型というか・・、縦長の軽量合成繊繊のものが主流のようであるが、当時は綿作りの黄色いゴワゴワした、両サイドに大きなポケットを備えた幅広の物であった。
これは「キスリング」といってキャンバス製の大型ザックで、発案者であるスイスの登山用具製造業者「キスリング」氏の名前に由来しているという。
厚い木綿のキャンバス地はそれ自体に防水性があるが、さらに防水性を高めるために熱したワックスを溶かして塗布することも時には行われたという。
駅の改札を通るときなど横幅が広すぎて引っかかるので、体を横にしながら改札を通り抜けていたことから、かつてはキスリングを背負って山に出かける我等若者たちは「カニ族」とも呼ばれた。
今ではめったに使っている人を見ることがない。
フット面を上げると、正面に天を指すピラミッドの様な「阿弥陀岳」の雄姿が覗かせている。その上は、透き通るような空の青である。
カラマツ林の白い幹が、今の時期のせいもあろうか一段と輝いているようだ・・。
1時間程度の徒歩で「美濃戸」へ着いた。
第二の基地・・?であろうか、山小屋が数軒道を挟んで在り、登山者を歓待していて嬉しい限りだ・・。 朝食代わりに暖かい「ウドン」を啜りながら、一休みである。
美濃戸からは、いよいよ本格的な登山道になる。
登山道は北沢(硫黄岳)、南沢(赤岳方面)の分岐となり、沢筋を主体に二つに分かれる。
林道南沢、北沢の分岐点辺り(写真提供者に感謝)
北沢ルートは、左方向で「赤岳鉱泉」を経由して硫黄岳へのルートであり、南沢ルート(右の細い登山道)は、「行者小屋」を経由して赤岳、阿弥陀岳へ向かうルートである。
我等の目的は、主脈である赤岳から硫黄岳のルートの所謂、反時計回りである。従って、本来は南沢ルートであるが・・、北沢ルートの方が良く整備されて歩き易いとの情報を得ていたので、左方向の赤岳鉱泉に決めていたが・・。
先ずは、今回のために購入した新しいスパッツ(アイゼンは未だ不要と思われる)を丁寧に装着しながら、一服した後、その赤岳鉱泉を目指した。
美濃戸からもチョットの間、同様の林道を進む。 左右は白樺林であるが、文字通り白の雪を被ってヒッソリとしている。
この辺りからは、さすがに勾配も増してきている。一歩一歩、息を整えながら歩調を取る。
間もなくすると、堰堤の工事箇所があり、広く開けた平坦地は「山ノ神」とかいうらしい・・。
山郷の祭りには、この地に八ヶ岳の山ノ神が降臨するのだろうか・・、思うと、この開けた地が、不思議と神聖な地にも思えてもくるのである・・。
「山ノ神」を’辞書を引くと、「山を支配するものとして農民・猟師たちに信じられている神」、又、「恐妻の意の 婉曲表現」とある。 「山神」、「山神様」とも表記され、その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なるという。
尤もなことで、小生の田舎(福島県いわき市常磐)では、当時まだ常磐炭鉱が盛んな頃、「山神様祭り」、「山神祭り」といって炭鉱を護ってくれる「山の神」の御祭りがあった。 この神は、鉱山で採掘された鉱石・石炭がご神体であるらしい・・。
どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを恐妻であるとして謙遜する「山の神」という表現が生まれたようである。
このような山ノ神の大元を辿ると、『古事記』や『日本書紀』の「イザナミノミコト」(女神)に一致するという。
そういえば、記紀の(古事記、日本書紀)神産みにおいて「イザナギ」と「イザナミ」との間に生まれた「大山祇神」(男神:オオヤマズミ)などが山の神として登場する。元より、各地の山を統括する神で三島大社、三島神社の祭神でもある。
そして、オオヤマツミの娘に「コノハナノサクヤ」(女神)というヒメがおり、この姫は富士山を鎮護し代表する「浅間神社」の祭神でもある。
父のオオヤマツミは、娘のいる日本一の秀峰富士山を譲り、娘は、この山に鎮座して東日本一帯を守護することになったという。
次回に続きます・・、
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