「八ヶ岳:越年登山」(3)
この「山ノ神」からは北沢の河原伝いを歩くことになる。
北沢から横岳の眺め・・、
「奥山の 谷間の梅の 木がくれに 水泡とばして ゆく水の音」
と島木赤彦(明治、大正期の地元・諏訪出身の歌人)が詠んでいるが、元よりこの辺りは瀬音激しく流れ落ちる渓流である。 今は「白氷」の時期であり、雪と氷に閉ざされた無垢の世界である。
普通なら、この辺りは既にアイゼンやピッケルが必要な世界であろうが、往来が結構あるのだろう・・、山道は鮮明にして踏み跡もしっかりしている。
周囲を見渡すと、さすがに山懐に入ってきたという感じで、谷筋も深く険しい様相を呈してきている。 ただ正面展望も利くようになり、右手に「美濃戸中山」の優雅な山容、その遥か奥まった所に陰惨な横岳の岩稜から硫黄岳の稜線が望まれるようになった。
河原に渡してある丸太を組合わせて設えた「丸太橋」を、危なっかしい足取りで数回渡る。
遥か上方には抉(えぐ)り取られた様な平坦な台地状のエリアが見渡せる、あの辺りが取り敢えずの目的地・赤岳鉱泉に違いないと、勝手に想像を膨らまして更に前進する。
「鉱泉までどれぐらいですかね?」下りてきた登山者に質問してみると頼りなげに「う~ん30分ぐらいかなあ」という返答が返ってくる。「あの辺りが鉱泉ですか・・?」と指差して更に聞いてみると「ああ、そうかもしれませんね・・?」とこれまた頼りない。 下ってきた人には、上りの時間はよく判らないものかもしれない・・。それとも、」冬山登山者はあまり挨拶を交わさないのであろうか・・?。単独者であり、個人的な自分の山歩きを大事にしているのかもしれない。
だんだんと、確実に、積雪も深さを増しているようであり、既に、この辺りで歩道の両横は膝から膝上まで達しているようである。
「そろそろアイゼン付けようか・・?」、相棒にそれとなく聞いてみると、「否、何とか行けるだろう・・、小屋も近そうだし・・」と返してきた。 そうなのである、ニッカズボンに時おり、脇の雪が触れるくらいで、特にスリップなどの心配はなさそうである。
思えば、急斜面でも上りは比較的安定して登れるものである。 新調した12本歯のアイゼンは未だ新調のままである・・。
それにしても、「高山の冬山」という未知のエリアに向かっている実感が、靴底から伝わってくるのである。 高度を増すごとに、雪の量も次第に深さを増してきている、ただ、有り難い事に、上空は一点の雲も無く、晴れ渡っていることは何よりである・・!。
黙々と歩を進めるうち、大小の色とりどりのテントの林が飛び込んできた。その奥まったところに堂々とした山小屋があった、待望の「赤岳鉱泉」である。
見上げると正面にギザギザした「横岳」稜線に異彩を放っているのが「大同心」とかいう岩峰で、鋭く天を指していた。雪を被って、更に陰影が鮮やかなためか圧倒されるほどの凄い迫力である。 明日は、あの尾根へ取り付く予定であるが、果たして・・。
時に正午を半分ほど回っていた。 本日はこちらで厄介になるのである・・。
早速、陣を取った・・、215号室、二階の15番目の個室の部屋であった。 思えば、槍(北アルプス・槍ヶ岳)の肩の小屋に似ているようにも思ったが・・、かなりデラックスな感じである。 棟は4棟あって、廊下ごしに各部屋がある。 自炊はこの廊下で行なうらしい、部屋からドア一枚隔てただけで真に便利である。
昼時なのでコーヒーを沸かし、ウイスキーを流し込みながら持参した菓子パンを齧(かじ)った。 後は、昨夜の寝不足もあり、アルコールも身体に回ってきて自然に眠りについてしまった。
鉱泉付近から横岳
気がついて・・、目覚まし代わりに小屋周辺を散策してみた。
小屋の出入り口に数人佇んでいたが人気はそれだけで、周辺は静寂な白の世界が広がっている。 吹き溜まりには1m程度の積雪があっただろうか・・?、雪の状況など小屋の人に伺うと、それでも今年は例年並みらしい・・。
小屋へ戻ると次には夕餉の支度である。 明日のアタックに先駆けて、持参した焼肉でスタミナをつける。併せて、ビールと熱燗の合わせ酒にボンカレー、二人きりの小さな個室であるが、余計な会話は不必要なくらい山の雰囲気をも充分に味わい、すっかり身も心も満足であった。
後は、明日の幸運を祈りながら夜の眠りに就いた。
次回に続きます・・、
この「山ノ神」からは北沢の河原伝いを歩くことになる。
北沢から横岳の眺め・・、
「奥山の 谷間の梅の 木がくれに 水泡とばして ゆく水の音」
と島木赤彦(明治、大正期の地元・諏訪出身の歌人)が詠んでいるが、元よりこの辺りは瀬音激しく流れ落ちる渓流である。 今は「白氷」の時期であり、雪と氷に閉ざされた無垢の世界である。
普通なら、この辺りは既にアイゼンやピッケルが必要な世界であろうが、往来が結構あるのだろう・・、山道は鮮明にして踏み跡もしっかりしている。
周囲を見渡すと、さすがに山懐に入ってきたという感じで、谷筋も深く険しい様相を呈してきている。 ただ正面展望も利くようになり、右手に「美濃戸中山」の優雅な山容、その遥か奥まった所に陰惨な横岳の岩稜から硫黄岳の稜線が望まれるようになった。
河原に渡してある丸太を組合わせて設えた「丸太橋」を、危なっかしい足取りで数回渡る。
遥か上方には抉(えぐ)り取られた様な平坦な台地状のエリアが見渡せる、あの辺りが取り敢えずの目的地・赤岳鉱泉に違いないと、勝手に想像を膨らまして更に前進する。
「鉱泉までどれぐらいですかね?」下りてきた登山者に質問してみると頼りなげに「う~ん30分ぐらいかなあ」という返答が返ってくる。「あの辺りが鉱泉ですか・・?」と指差して更に聞いてみると「ああ、そうかもしれませんね・・?」とこれまた頼りない。 下ってきた人には、上りの時間はよく判らないものかもしれない・・。それとも、」冬山登山者はあまり挨拶を交わさないのであろうか・・?。単独者であり、個人的な自分の山歩きを大事にしているのかもしれない。
だんだんと、確実に、積雪も深さを増しているようであり、既に、この辺りで歩道の両横は膝から膝上まで達しているようである。
「そろそろアイゼン付けようか・・?」、相棒にそれとなく聞いてみると、「否、何とか行けるだろう・・、小屋も近そうだし・・」と返してきた。 そうなのである、ニッカズボンに時おり、脇の雪が触れるくらいで、特にスリップなどの心配はなさそうである。
思えば、急斜面でも上りは比較的安定して登れるものである。 新調した12本歯のアイゼンは未だ新調のままである・・。
それにしても、「高山の冬山」という未知のエリアに向かっている実感が、靴底から伝わってくるのである。 高度を増すごとに、雪の量も次第に深さを増してきている、ただ、有り難い事に、上空は一点の雲も無く、晴れ渡っていることは何よりである・・!。
黙々と歩を進めるうち、大小の色とりどりのテントの林が飛び込んできた。その奥まったところに堂々とした山小屋があった、待望の「赤岳鉱泉」である。
見上げると正面にギザギザした「横岳」稜線に異彩を放っているのが「大同心」とかいう岩峰で、鋭く天を指していた。雪を被って、更に陰影が鮮やかなためか圧倒されるほどの凄い迫力である。 明日は、あの尾根へ取り付く予定であるが、果たして・・。
時に正午を半分ほど回っていた。 本日はこちらで厄介になるのである・・。
早速、陣を取った・・、215号室、二階の15番目の個室の部屋であった。 思えば、槍(北アルプス・槍ヶ岳)の肩の小屋に似ているようにも思ったが・・、かなりデラックスな感じである。 棟は4棟あって、廊下ごしに各部屋がある。 自炊はこの廊下で行なうらしい、部屋からドア一枚隔てただけで真に便利である。
昼時なのでコーヒーを沸かし、ウイスキーを流し込みながら持参した菓子パンを齧(かじ)った。 後は、昨夜の寝不足もあり、アルコールも身体に回ってきて自然に眠りについてしまった。
鉱泉付近から横岳
気がついて・・、目覚まし代わりに小屋周辺を散策してみた。
小屋の出入り口に数人佇んでいたが人気はそれだけで、周辺は静寂な白の世界が広がっている。 吹き溜まりには1m程度の積雪があっただろうか・・?、雪の状況など小屋の人に伺うと、それでも今年は例年並みらしい・・。
小屋へ戻ると次には夕餉の支度である。 明日のアタックに先駆けて、持参した焼肉でスタミナをつける。併せて、ビールと熱燗の合わせ酒にボンカレー、二人きりの小さな個室であるが、余計な会話は不必要なくらい山の雰囲気をも充分に味わい、すっかり身も心も満足であった。
後は、明日の幸運を祈りながら夜の眠りに就いた。
次回に続きます・・、
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