織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

大菩薩峠・紀行(29) 「黒川金山」

2012年02月29日 | 大菩薩峠紀行
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大菩薩峠・紀行(29) 「黒川金山」 .




黒川鶏冠山の山頂直下にある「鶏冠神社・奥ノ院」



大菩薩の北部直近の地に黒川鶏冠山(標高1710メートル)という山がある。 
その東側山腹の黒川谷源流部に黒川金山跡がある。


黒川金山の歴史は、既に平安、鎌倉、室町時代を通じて資料などにも残されていて、当地を支配していた豪族三枝、安田、武田氏とのかかわりを伝えている。

又、実際の採鉱については戦国期の武田信虎時代からとも伝えられ、特に武田信玄時代が最盛期であったとされている。
武田軍の軍用金の多くはこの黒川金山から産出された。


ところが子息の武田勝頼の頃には衰えて一時閉山となったが、徳川時代になって、大久保長安らによって再び採鉱がおこなわれたという。
その後金の産出量が減少し閉山となった。

黒川金山には、黒川千軒といわれた時代の坑道跡、坑夫の住居、作業場の跡がみられる。


この地域は他にも竜喰金山、牛王院金山などがあり歴史的にも注目されているという。
また、金山を管理する金山衆は、在地武士団を形成して塩山市内上萩原、下於曽、熊野方面に住居を構えていたとされる。


鶏冠山の山頂には黒川鶏冠(とさか)神社の奥宮が祀ってあり、この宮には大同2年(807年;平安時代頭初)と刻まれた鰐口(わにぐち;お堂の前に布を編んだ太い綱とともにつるしてある円形の大きな鈴)と、天正5年(1577年;盟主・信玄無く、長篠の合戦に敗れて武田家の衰退がはじまる。 勝頼の時代)の銘の入った金鏡が奉納されていたといい、その歴史の深さが記されている。


黒川金山の遺跡として坑口、坑道、坑道の陥没ヶ所、製錬場、作業場、石組み、炭焼場など雛壇状に整地されている。
又、作業場も兼ねたであろう居住地跡は建物もなく草木に覆われているものの、黒川千軒の形跡を今に止めている。


次回、 「黒川千軒




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