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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・鳳凰三山紀行(35) 「観音岳と三仏」

2012年06月23日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.





南ア・鳳凰三山紀行(35) 「観音岳と三仏」



観音岳と地蔵尊



観音岳



地蔵の天然地蔵?





「観音岳」、即ち、観音という名称解釈について・・、

本来、「仏」とは釈迦(釈迦牟尼仏 インドで仏教を開祖した人物)のことをさし、仏教における最高の存在であるが、一方、「悟りを開いた者」である仏陀(如来)とする狭義の意味もある。 
しかし後に、仏陀に準ずる存在で悟りを開こうと修行している菩薩(悟りを求めて修行する人)、如来(「かくの如く来れる人」、すなわち、真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人)など、仏教の信仰の対象である造像(仏像)の尊い形様を、広義の解釈として「仏」と総称するようになったとされる。
この中で、特に日本人に親しく愛された存在が、地蔵菩薩であり観音菩薩や薬師如来
であろう。

先にも記したが、地蔵菩薩は一般的に親しみを込めて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれ、「子供の守り神」として信じられており、地蔵尊の前には子供が喜ぶお菓子などが供えられている。

観音菩薩は一般的には「観音さま」とも呼ばれ、全国的に観音信仰、観音参り(観音巡礼)でも知られる。 現在の衆生のあらゆる危難を取り除き、利益を与えてくれることを強調している有難い仏様である。 

薬師如来は一般的には「お薬師さん」とも呼ばれ、瑠璃光(宝石のような美しい青色、緑色の輝きを意味している)を以て衆生の病苦を救うとされ、無明の病を直す法薬を与える「医薬の仏」として、医薬を司り、人々の病気を治し、安楽を与えるとされる有難い仏さんである。 
そのため仏像は左手に薬壺を持っていることが多い。 尚、如来には珍しく現世利益(端的にはお金がほしい、試験に受かりたい、世界平和に貢献したい、悟りを開きたい、元気に生きたい、長生きしたい等の願望)のような信仰をも集めている。 



鳳凰三山の地蔵、観音、薬師の登山ルートとしては・・、
夜叉神峠からのルート、早川尾根からのルート(アサヨ峰のある早川尾根に続く稜線上に登山道があり、広河原から広河原峠又は白鳳峠経由で登られる場合がある。また甲斐駒ヶ岳などの縦走時に登られる場合がある)、御座石鉱泉からのルート、
ドンドコ沢からのルート(青木鉱泉から小武川の支流のドンドコ沢沿いのルート)、
薬師岳の東尾根の中道(青木鉱泉から薬師岳の東尾根沿いのルート)、甘利山からのルート(甘利山から千頭星山と大ナジカ峠を経るルート)などがある。



次回、 「山男の歌」





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南ア・鳳凰三山紀行(34) 「鳳凰」

2012年06月22日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.




南ア・鳳凰三山紀行(34) 「鳳凰」






観音岳山頂 2枚


観音岳標識




繰りかえしになるが、鳳凰三山は地蔵岳(地蔵ヶ岳)、観音岳、薬師岳この三つの山の総称である。
この山塊は、赤石山系の主脈からは離れており、山がある支脈は甲斐駒ヶ岳の南の駒津峰から始まり、仙水峠、アサヨ峰、高嶺と続く脈絡の連峰である。


先にも記したが、この鳳凰三山は昔から三通りの呼び名があるらしく、近世の地誌類によれば山域は時代により認識が異なっていたらしい。

一山説では「地蔵岳」のみを指し、観音岳、薬師岳の二峰を指す二山説、三山すべてを指す三山説があり、山名論争が展開されてきたという。
だが、山麓地域では「鳳凰山」とする一山説が一般的らしい。

確かに、南アルプス北部地域の一般的山名を指す場合は、又、麓から山域全体を見た場合は「鳳凰山」と一括した呼び名でも良さそうである。
ただ、登山者が実際に脚を踏み入れ、山域を踏破する場合は、「鳳凰三山」と具体的な名称も欲しいような気もする。
南アルプス北部の中枢ともいえる北岳、間の岳、農鳥岳のことは、白峰三山が通称となっている。



山名の由来については、奈良期の女帝である孝謙天皇(奈良法皇)が療養のために早川町の奈良田温泉に滞在した際に、鳳凰山へ登頂したと伝えられている。
当山に奈良法皇が登り、その山名の法皇が鳳凰に転化して鳳凰山になったとする説があるようだ。


因みに「鳳凰」とは、古代中国で生み出された空想の鳥、四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)の一つとして日本へ伝わり以来、高貴なシンボルとして大切にされてきた。

そこから鳳凰という特別な名称がが生み出されたとされる。
十円硬貨の平等院鳳凰堂の尾根に一対となってとまっている鳥や、京都の金閣寺の屋根の天辺に風見鶏のようにとまっている鳥は、この鳳凰鳥である。
即ち、鳳凰鳥は仏を守り、仏教を守護する善鳥とされているのである。


鳳凰山、或いは鳳凰三山という名称は、山様の自然信仰からはじまり、これが仏教と深く結びつき、これらの信仰と仏教を守護するために、その象徴とされる「鳳凰」から名を頂き命名されたのであろう。

そして、それらの三つのピークを其々、仏教の代表的な仏や菩薩である地蔵、観音、薬師という名が付されたのであろう。 



次回、 「観音岳と三仏





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南ア・鳳凰三山紀行(33) 「稜線展望」

2012年06月21日 | 南ア・鳳凰三山紀行






南ア・鳳凰三山紀行(33) 「稜線展望」 .



観音岳山頂


観音より北岳


観音より仙丈




凡そ50分位で漸く急登から解放されて、尾根の稜線に出た。 
目の前には絶景が広がっている。
今まで、朝一番のハードな登りであったが、観音の頂へは傾斜も緩やかになって一心地といったところか・・?。

正面に観音岳の山容が大きな翼を広げるように招いているようだ。
振り返ると、昨日足下に修めた「アカヌケ」のなだらかな山様が懐かしい。



観音岳の登りに差し掛かるころ、雲の切れ目から北岳連山等が顔を出してくれた。
観音岳までは岩のごろついた白砂の道が続く。 
地蔵岳同様、花崗岩質の砂礫の道を一時ほど登って、合流点(鳳凰小屋)から凡そ20 分程観音岳山頂に到着する。

鳳凰三山の最高峰で、2840mの三角点が花崗岩の岩の間にチョコナンと立っていた。


こちらでも、四周の展望を楽しむ。
眼前のこちらよりホンの僅かではあるが低位置にある薬師岳(2780m)を見下ろしながら、背後には大きな富士山が天を指している。
この峰の先は夜叉神峠へ抜けている。

こちらも昨日の地蔵岳の展望に輪を掛けたような、一段と素晴らしい眺めである。
いくら眺めても飽きることを知らないくらいである。




次回、 「鳳凰とは





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南ア・鳳凰三山紀行(32) 「観音岳稜線」

2012年06月19日 | 南ア・鳳凰三山紀行
.





南ア・鳳凰三山紀行(32) 「観音岳稜線」 .







鳳凰小屋付近に有る案内標識



観音岳(地蔵稜線)






再び小屋に到着すると、連休当初とあって大変な込みようである。
小屋の定員をはるかにオーバーしていることだろう。
寝所のスペースはマグロのセリよろしく、立錐の隙間もないほどである。

こんな状態では到底熟睡など出来るわけはなく、おまけに地蔵岳のオベリスクで御来光を見ようという人たちで、真夜中からガサゴソと耳障りなことおびただしい。
ただ救いだったのが、翌朝マズマズの好天に恵まれたことであった。

ともあれ、パンと覚醒のための濃いコーヒーを喉に流し込んで、小屋を出発した。
観音岳への直登は小屋の前の小さな沢を渡って始まった。
朝一の急角度の登りは、さすがに体に応える。
おまけに昨夜の寝不足が身体を相当に重くしている。 
だが、頭のほうは霧が晴れたかのようにスッキリしている。

尤も、実際の天気も快晴とまではいかないが、雲間より朝の暁光が眩しいくらいである。
急峻な樹林の中を一歩一歩歩を進める。
静寂の中、時々、山鳥の甲高い声が「ギーッ」と空気を切り裂く。


普通、鳳凰三山である地蔵、観音、薬師岳のみを登攀するのであれば、鳳凰小屋に大きなザックをデポして三岳を一回り往復し、そのまま鳳凰小屋に戻ってくる登山者も多く見られるようだ。

地蔵岳へは賽の河原を通り、オブジェの様な花崗岩の奇岩の群れがおりなす自然の造形美・オベリスクを眺めた後は、ひと登りすればアカヌケ沢ノ頭に到着する。
広いスペースのあるアカヌケ沢ノ頭は、早川尾根縦走の分岐点となるほか観音岳、薬師岳へと向かう起点でもあり、何れも起伏の穏やかな天空の散歩のような稜線歩きとなる。

広く平坦な薬師岳山頂に至ってこのまま鳳凰小屋に引き返すのであるが、ザック持参であれば薬師岳から派生している尾根の道、即ち、青木鉱泉に下る中道ルートがある。
我等は、このまま縦走路である夜叉神峠に下るのが今日のルートである。



次回、 「稜線展望





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南ア・鳳凰三山紀行(31) 「赤抜沢の頭」

2012年06月18日 | 南ア・鳳凰三山紀行
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南ア・鳳凰三山紀行(31) 「赤抜沢の頭」



その鳳凰山大神は、神仏習合によってやがて鳳凰権現という仏の山となり、江戸期には地蔵尊を崇拝する地蔵仏陀信仰の山になっていったのである。

当時の鳳凰権現像は、冠と衣装をつけ日の神とも言われ、実は奈良法王御尊象とも言われている。
逆に、日の神は大日如来、あるいは天照大神、太陽信仰の原点とも言えるものであるが、それらを祀る形の整った祠や社も、江戸末期あるいは明治の始め突然姿を消したともいわれる。
特に、時が至った明治期においては、神仏習合時代から神仏分離政策に移った矢先でもあり、その為の政策の一端として、各地の神宮寺仏閣は悉く取壊されたか、神社に建て替えられたと言う。


鳳凰山の山域一帯においても、或いは小規模ながら仏社が存在したかもしれないが、神仏分離の廃仏毀釈令(排仏棄釈;明治初年の仏教排撃運動で、1868年;明治元年に神仏分離令が出されたのをきっかけに、神道家などを中心に各地で寺院・仏像の破壊や僧侶の還俗強制などがおきた)によって、完全に消滅したのかも知れない。

ただ、これらの事象については、地元では調査をすすめているようだが、はっきりしたことは判らないという。
尚、、山域の峠や山頂等に存在する多数の石碑や地蔵仏などは、地元山岳信仰の根強さと場所柄の困難性から、神仏の転換期とはいえ取り残されていたものと考えられる。





地蔵から観音の尾根
(赤抜沢の頭から望む地蔵から観音の尾根)



お地蔵さん整列地帯を登り返すと、アサヨ峰や広河原に通じる白鳳峠と観音岳の分岐の稜線である。

気がつけば、地蔵岳の尾根に広がる砂礫のピークは「赤抜沢の頭」で、今登ってきたルートと高嶺、早川尾根方面ルート、更には明日縦走予定である観音、薬師の本邦へ通じる三方向分岐の分岐でもある。
この頭からの展望は360度の大展望が広がっている。

先ず、オベリスクの左側に南八ヶ岳の連山、そして直ぐ隣に蓼科山の円錐峰を軸に北八ツの峰々がが見えていた。

目の前にはバットレス崩壊面を正面にした北岳や間ノ岳、農鳥岳の白峰三山が並んでおり、思わず驚嘆の声が出る。
更に、右に甲斐駒ヶ岳、真ん中にアサヨ峰、左に仙丈ヶ岳が圧巻で、いやー、なんだこの迫りくるラインナップはと溜息の連続である。

そして登ってきた東を見返ると雲上の富士、富士山の頭が。
素晴らしいすぎる景色にもう興奮しまくりである。
勿論、明日向かうはずである観音、薬師の本峰が眼前に迫り、特に、観音岳への登りルートが良く見える。やはりというか、あちらの登山路も砂地の尾根道である。



十分に展望を楽しんだあと、鳳凰小屋へ戻ることにする。
見えている道を下り始めると先ほどまでの晴れ模様から、しだいに霧が湧き上がっているのが判る。
地蔵岳、オベリスクからの最高の眺めを堪能して、名残惜しみながら地蔵岳を出発。


ザレた尾根の道をしばらく進むと鳳凰小屋へ直接行ける分岐へと至る。





次回、「観音岳稜線







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