織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

上高地(Ⅷ) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳)

2009年05月28日 | 上高地
「ウェストン・レリーフ」
日本アルプスを世界に知らしめたウェストンは明治~大正時代上高地を訪れた際には清水屋(現ホテル)に滞在した。この宿の隣の大きな岩にレリーフが建てられている。毎年6月に、この前の広場でウェストン祭(上高地開山祭)が開催される。

上高地(8) (上高地・穂高連峰・槍ヶ岳) 

【 ウォルター・ウェストンのこと・・、 】

大正、昭和の初期、芥川龍之介、若山牧水、斎藤茂吉、高村光太郎などの文豪が滞在したこともある。 彼の代表作の一つである小説「河童」に上高地と河童橋を登場させている。
国鉄が後援し東京と大阪の新聞社が主催した「日本八景」の渓谷の部では、上高地が第一に推された。

又、昭和天皇の実弟・秩父宮殿下が上高地から奥穂高岳に登り槍ヶ岳への縦走が行われ、連日新聞の話題となった。
この時期、上高地の河原で日本で初めて「ケショウヤナギ」(ヤナギ科、本州北部の水辺に生ずる落葉高木)が発見された年でもあった。

尤も、上高地を世に知らしめたのは、日本人ではなく外国人であった。
山屋さんで、上高地に1度や2度入ったことのある人はご存知だと思うが、イギリスの探検家(実は宣教師)でウォルター・ウェストン(1861-1940)という人である。

この人が、明治期に「日本アルプスの登山と探検」という本を出して上高地を広く世間に知らしめ、併せてこの時、山が信仰のための登山だったのを、楽しむためのスポーツとしての登山を紹介したのであった。 
それ以降、著名人や文化人が上高地へ入るようになった。
そして、その話題性、必要性にかられて、地内に簡単な施設や交通手段が思考、実行されるに到ったのである。

こんな折に釜トンネルは、半島の労務者を招き入れ、手掘りという手段で急ピッチで完成させたのである・・、昭和8年のことであった。 
併せて、上高地の宿泊施設の開祖ともいえる「上高地ホテル」(現、上高地帝国ホテル)も、ほぼ同じ時期完成を見ている。

ホテル建設当時は未だ道路は未開通で、資材は釜トンネルを抜けると大正池を船で運んで施工したといわれる。
この年以降を境に、上高地は一般大衆にも知れわたり、観光客は大幅に増加したといわれる。

平成の時期、新釜トンネルが完成するに及んで、旧来に数倍した観光客が訪れ、あの麗しき上高地は東京の繁華街にも負けない雑踏が繰り広げられるかも知れない・?。

現に昨今では、年に200万(冬期間は除く、通行止めで施設は休業)もの人々が殺到しているといわれる・・。
上高地自体は、天然記念物や国立公園に指定されている。

地元、上高地の住民達は昭和40年頃から「上高地を美しくする会」を発足させ、ゴミのない美しい上高地を目指して日々道路や周辺のゴミ拾いなど活動を行っているらしい。

主唱者は、この上高地の自然は日本の守るべき宝物で未来永劫に残すべきものであり、上高地を未来の子供たちに受け継いでいきましょうと・・。
 


「そうだ・・、上高地へゆこう・・、」

 【完】


次回は、上高地(続編・1)、明神へ・・、



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