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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

穂高岳登山(14) 「重太郎新道; 紀美子平」

2010年08月30日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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穂高岳登山(14) 「重太郎新道; 紀美子平」
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)




紀美子平の道標:dh32



紀美子平の様子と道標2:dh32-2


この僅かな平坦地は「紀美子平」といって奥穂と前穂の分岐点であり、この先、吊尾根を経て奥穂高へ、そして、ほぼ正面の前穂高の基部に当たるところでもある。 

ゴツゴツした如何にも男性的な岩の殿堂に、可愛らしくも「紀美子平」と女性の名前が付いているところが微笑ましい・・!。


紀美子平のその名は、重太郎新道を開いた故・今田重太郎氏が、一緒にその手伝いをしていた娘の紀美子さんが若くして亡くなられたのをきっかけに、その名づけられたそうである。 
重太郎新道は、5才の紀美子を遊ばせながら道づくりをしたといわれている。



余計ながら、今田紀美子氏は今田重太郎氏の姪で、後に養女になっている。 
重太郎氏亡き後、暫らく穂高岳山荘を管理していたが、重太郎氏の甥で紀美子氏の実兄・英雄氏が妹の紀美子を助けながら、更に小屋の跡継ぎにと嘱望 され、後に今田家の養子となっている。 
現在(昭和50年代)も2代目オーナーとして活躍中である。
尚、紀美子氏は昭和45年、23歳という若さで病死している。 



因みに、この穂高周辺に紀美子平と対極にあるのが、同じく男性の人名を使用した名称で「長谷川ピーク」というのがある。
槍⇒穂の稜線上にある大キレットに位置する鋭く尖ったの岩稜ピークにことで、長谷川恒夫氏の名を付けたものである。

彼は日本を代表する世界的なアルピニストで、奇しくも小生の住んでる(神奈川県厚木市)隣町の愛甲郡愛川町半原の出身である。
世界各地の登攀を達成し、特にヨーロッパの三大北壁、エベレストに情熱を傾けた。最後にパキスタン・ウルタルⅡ峰を登山中、雪崩により遭難死している。


決して平とは言えない、猫の額ほどの「紀美子平」であるが、其々の人々が其々の想いで休息をとっていた。 
だが、霧雨の中、時折吹き付ける風雨の悪天候、人々は今ひとつ表情が冴えない。 
これも仕方がないことでもあろう。




紀美子平からの前穂高へのルート:dh34




本来なら周囲の大展望が得られる所であり、特に、前穂及び明神の峻険な峰が至近に眺められるところであるが、本日ばかりは実に生憎である。

ところで、重太郎新道から紀美子平までの標高変化は岳沢ヒュッテ:2170m、カモシカ立場:2450m、岳沢パノラマ:2600m、雷鳥広場:2750m、紀美子平:2910mであり、前穂高標高:3090m、奥穂高標高:3190mなどである。


そんな中、大柄な外人が上がってきた。 続いて通訳の人でもあろうか可憐な女性が同伴してきた。 
気が付くと二人とも3000m級の登山の服装ではなく、上高地をぶらつく普段着の格好であった。
男はジーパンスタイルでズック靴、大きな背に小さなザックがチョコンと付けている。 女性はさすがにスラックススタイルであるが、驚いたことに手篭をもっていてショルダーバックのように肩に掛けていた。 
更に、この雨の中雨具の所持もなく、濡れるにまかせている。 
やや無謀とも思える登山者・・?である。

ところが、両人は疲れている気配が全くないのである。 
そして、休む気配もなく地図を出し、前穂と奥穂とを見比べて、結局、奥穂へ向うらしい。

付近の登山者に二言、三言、声を掛け、確認してそそくさと歩き出した。
外人の大柄な身体だけでも目に付くのに、装備のスタイルといい、その所作といい我等は呆気にとられた感じである。

次回へ・・、


尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



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穂高岳登山(13) 「重太郎新道;クサリ場」

2010年08月29日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(13) 「重太郎新道;クサリ場」  
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


確かに、この頃から下山の人達が目立つようになった。 
やはり、このルート・重太郎新道は下山向きのルートが一般的らしい。

上部へ到達するに従って、勾配、斜面も相当にきつくなっているようで、アルバイトが一段と強いられる。 
時間的にも、そろそろ稜線に出てもよさそうであるが・・?、


下山中の登山者におもわず声を掛ける・・、

「あのー、吊尾根稜線はまだかかるようですか・・?」、

「ああ、もうすぐですよ。 ただこの先、急なクサリ場が有りますので・・!」と色よい返事が返してきた。




梯子の登り(紀美子平近し):dh29



その言葉を信じて、やや力を得て前進する。 

暫らくすると、小さな岩尾根のピークに達した。 
この後、彼が言っていたクサリではなく、先ず、ハシゴが現れた。 
それも、当然の上りと思いきや、チョッとした下りにハシゴが架かっていたのだ。


この場所を難なくクリアすると次に、凹みの場から、やはりと言うかクサリ場が現れた。 
見上げるような、殆ど垂直と言っていいほどの岩礫帯で、しかも三連続けて延びているようだ。 




紀美子平下部の最初の三連鎖:dh30



紀美子平下部の最後の三連鎖(上方から望む垂直の壁):dh31



滑りやすい岩場のスタンスを確保して、クサリをしっかり握りしめ、注意しながら攀じる。 
疲れた身体に鞭をうちながら、バランスよく登ってゆく。

辺りを覗うと、岩場には他にも薄っすらと踏み跡が付いていて、必ずしもクサリを掴まなくても四つん這いの三点確保で上れないことはないようだ。 

この鎖はどちらかといえば降り用と思えなくもない。 
岩場の下りは、登りよりも危険であることは山家の常識でもある。

尤も、普通のクサリ場を攀じる、叉は、降りる時は腕力に頼って体重を掛けるのでは無く、あくまでも主体は脚部のスタンス(足場のスペース)であり、腕は補助的なものとして扱ったほうが良いのであるが・・!。


下山中の数人の登山者が上で待機していたようで、小生の苦闘する姿を見てか・・、

「お疲れさんです」と声を掛けてくれた。 

「いや、どうも」と小生も会釈しながら礼を返す。

他人同士でありながら、ほんチョイの気遣いが心と身体を和ませてくれる。 
これも山歩きの良さの一つであろう。


三連鎖を上り終えて、ほんのチョイといったところで、小さな平坦地に着いた。
そこには今にも朽ちそうな道標があって、三方向を記している。(今は立派な指導票が立っている)

続く・・、

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穂高岳登山(12) 「過酷;重太郎新道」

2010年08月28日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(12) 「過酷;重太郎新道」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


気が付くと既に森林限界に達しているようである。 

高度が増すに従ってダケカンバなどの低木も疎らになってきて、白山シャクナゲや這い松に変わりつつある。 
そして、花は終わったものの緑の高山植物の草付岩稜帯になっている。

しかし、シャクナゲや高山植物に見とれる暇もなく、これより先も黙々と、ただひたすらに登るだけである。 




dh27 這い松や高山植物帯とハシゴ場



前穂の頂上や直ぐ隣に控える「明神岳」も、今確かめた限りでは、まだかなり高方にあったように思う。 
しかし考えようによっては、すぐそこにあった様な気もする。



dh28  先鋭・明神岳の雄姿



先刻のガスの束の間の晴れ間じゃないけど・・、

大展望を欲しいままにして登るのと、現況のように目先しか見えない闇の中に歩をとるのと、どちらが得策か・・?。
変な自問自答をしながら、天然自然のことは意に沿わないことを承知しながらも、やはり悪天候が恨めしい・・!!。

気持ちが次第に沈気に成ってゆくのも、やはり疲れが蓄積しているのであろう、気持ちに合わせるように、叉々小雨が降りてきた。




dh26 岩場の登り(紀美子平近し)


重太郎殿、もうそろそろ勘弁して下さいよー・・、」と、泣き言の一つも云いたくなる。


岩場に付けられた○、⇒のマークを頼りに行くのであるが、所々、風雨に洗われて薄く、見難くなっているところもある。 
ただ、踏み跡ははっきりしているようだ。

ところがよく見ると道は一方とは限らず、特にガレバの踏跡には二方、三方と付いている場合もある。 
下山中のパーティが上方から声がして、間もなくすれ違うのかなと思ったが、かなり離れた場所を降りてゆく。 
とこんな具合であるが、そんな時は自信をもって、はっきりした安全そうな道を選ぶのが肝心である。

次回へ続きます・・、



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穂高岳登山(11) 「重太郎新道; 水分補給」

2010年08月27日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(11) 「重太郎新道; 水分補給」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)



やや、疲れも出ているのだろう、進行が少々鈍くなっているようでもある。 
それでも着実に両脚は前に移動している。 

勿論、併せて高度もそれなりに稼いでいるようだが、ガスの動きが一層盛んになってきているようで、周囲を見比べることも出来ず定かでない。 

右手から吹き上げてくる白い雲海は、幸いにして雨粒は含んでいない。




重太郎新道の「パノラマ展望地」:dh23


パノラマよりの上高地、焼岳の展望:dh24


パノラマより吊尾根、奥穂の展望:dh25



岩場の突起があり、やや平坦な休憩に適当なところへ出た。
岩の先端に「岳沢パノラマ」と記してあった。
本来なら、岳沢から上高地方面が見下ろすことが出来、周辺は眼前に穂高山系の雄大な展望が利くところであろう。 
そして、何より休憩に適地なところでもあろう・・!。 
だが、本日だけはそうはいかなかった。

幸い今は雨は小休止しているようである、小生もここらで小休止といこう。

残りのオニギリをペロッと平らげた。 
食欲はあるようだ・・!。


思えば上高地から登行が始まって、余り水を口にしていない。 
そのことは良いことなのか、はたまた悪いことなのか・・?。

水分補給については疲労の予防、回復につながり、且つ安全に山登りが楽しむための重要な要素の一つである。
登山において、一般的には高度の影響もあり、喉の乾きの感覚が鈍くなるともいわれ、 そのため水分を摂ることを特に意識する必要があるともいわれる。 
ただ、汗をかくのと水分補給が激しくなると体の代謝も盛んになり、それによって余分なエネルギーを消費するようになり、逆に疲労が蓄積されることも考えられる。 
要は疲れないように、余分な汗をかかないように心がけ、それには余分な水分をとらないように心がけることも肝心であろう。

小生の場合、現在の状態を保っておれば良しと思われる。


谷から吹き上げてくる風が心地よい。
すると突然、全く突然真っ黒い霧が切れてグリーンの山肌が見えだした。
その向こうは奥穂高へ連なる吊尾根の圧倒するような、どす黒い岩肌が見えていた。

近くの登山者も思わず・・、
「 おお・・!、霧が晴れたぞー 」と悲鳴に近い声がする。

眼前には前穂のピークであろうか・・、威風堂々の峻立する岩峰が迫ってきている。 
すぐ右隣の岩塊は明神であろう・・?。
人々数人が、突然開けた視界を喜んで手を振っていた。 
小生も慌ててカメラのシャッターを押す。

そうこうしているうちに、あの忌まわしい黒雲は再び視界を閉ざした。 
あの鮮やかなグリーンも闇の中に姿を隠してしまった。 

一瞬の出来事だった。

続く・・、


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穂高岳登山(10) 「重太郎新道;下山者」

2010年08月25日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(10) 「重太郎新道;下山者」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)



岩の小さな尾根を右へ横切ると猫の額ほどのテラス(水平のスペース)があったので小休止しながら雨具を装着する。 
降雨は余り激しくはないが風に伴って吹き付けてくる。 
冷たい雨で、やはり高所と季節柄でもあろう。


小さなテラスをほんの少々行くとまたまた、絶壁を攀じるようになる。
この辺りは崩れた岩くずの浮石が多いところだ・・!、
ステップと落石に充分注意しなくてはならない。 

岩肌が濡れて冷たく感じるので軍手を付ける。 
四つん這いで、体調と自問自答しながら、慎重に慎重に登る、攀じる。 


今のところコンデションはまずまずであり、自分のペースで地味にではあるが一歩一歩確実に進む。 
進まなければ目的地には達しないのである。 

当たり前であるが3000m近い高峰で、時節的にも風雨が冷たく、体力も限界に達したとき、その一歩一歩がままならず、所謂、疲労困憊による行き倒れ・・!!、

何てことも起こりうるのである。 心して進まなければならない。




dh22-2  岩場に取り付く登山者>


この頃より下山の人達がチラホラ見え出した。 いずれの人々も雨具をがっちりと装着している。 
やはり、上部は荒れ模様である事が覗われる。


やや、歩きやすいコースに出たとき、女性を含む数人のパーティとクサリ・ハシゴ場のところですれ違うことになった。
全員が下り降りるのを待って・・、

「こんちは、 お疲れさん」 

「おはようございます」と朝とも昼ともつない挨拶を交わす。


仲間同士で懐かしい訛(なまり)の会話が聞こえたので、チョッと話しかけてみた。

吊尾根、稜線までは未だかなりありますか・・?」

「そうだね、我等はここまで凡そ30分程かかっておりますのでね・・!」

「ははーー、ところで、懐かしい言葉訛が聞こえたが、どちらからですか・・?」

「俺らげ・・?、茨城は日立からだ」

「ああ、やっぱし、 わだしは今は神奈川に住んでけっど、出身は“いわき”です」

「ああー、いわきと日立だったら隣町(となりまぢ)みでなもんだね」

「んだね・・、ところで今朝は穂高小屋からげ・・?」

「んだ、 出たのは7時っころがな」

吊尾根では、やっぱし吹かれたげ・・?」

「んだな、奥穂まではマアマア静かだったけど、吊尾根の途中がら降ってきたね」

「いろいろどうも、下りは危なっかしいどころがいっぱいあっがら気をつけて」

「ああどうも、登りも結構急などころが有るんで気をつけて、そいじゃ・・、」

お互いに一息入れて、出発である。



ゴツゴツした岩の登り、ザクザクとしたガラ場の歩き、いずれにしてもかなりの急斜面で胸付き八丁の登行であり、相当なアルバイトを強いられる。


ところで、この穂高名物・重太郎新道は「北アルプス三大急登」の一つとも言われる。 
他のアルプス急坂は、中房温泉から燕岳の“合戦尾根”、信濃大町から烏帽子岳の“ブナ立尾根”と言われるが、岩稜の急登、急降下はこちらの岳沢・穂高ルートの重太郎新道がダントツではなかろうか・・?、 

尤も、「三大○○」というのは、規定や規約の取り決めで決まるものではなく、“おらがのところが、日本の三大○○だべ・・”と、勝手に自称で名乗っている場合もあるようだ。
北アルプス三大急登は他にも、笠ヶ岳の笠新道なども上げられる。


因みに、小生の知る関東周辺の名だたる山岳地の急坂は、北ア・烏帽子岳へのブナ立尾根、南アルプス・赤石岳の椹島(さわらじま)コース・高度差にして1500m以上、同じく南アの甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根、谷川岳への西黒尾根や鳳凰三山の御座石鉱泉から尾根道の鳳凰山(地蔵岳)へ至る道であろう。
身近なところでは、丹沢山塊の塔ノ岳 (1491m)へ至る大倉尾根で、ベースの大倉(290m)から1200mの高低差を延々と上り、通称「バカ尾根」でも知られる。


いずれにしても、疲れきった身体での岩場の上り下りには、クレグレも要注意で慎重さを要求される。

次回へ・・、


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