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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(39)男体山 「連山一家の長」

2013年01月15日 | 男体山
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 霊峰・日光の山々(39)男体山 「連山一家の長」 




日光の連山一家(右より男体山、大真名子山、女峰山、太郎山)





奥日光は、2万年前に発生したとされる男体山の大噴火活動などにより、劇的に地形を変えてきたエリアである。

これも「二荒」の神が、自然的造形をもたらした結果であって、湖や滝、草原や湿原などさまざまな景観が箱庭のようにそろっている。



奥日光の歴史は、奈良朝末期から平安朝初期にかけて活躍した僧侶・勝道上人が二荒山(男体山)登頂に成功したことに始まることは、この項で事あるごとに述べてきた。

以来、江戸時代までは男体山を中心とした修験の地として、明治以降まで継続されることになる。




男体山は、見るからに富士型円錐形の大きな山容を有して、裾野から更にそのままの角度で、中禅寺湖の湖底の深さ160mまで深く沈んでいるという。

山様は、県内はもちろん群馬県や埼玉県の平地部、特に空気の澄んだ日には南関東からも独立峰のような堂々とした姿が臨まれる。


又、山麓部にあたる日光市街や中禅寺湖畔、また戦場ヶ原や奥日光の山々からも容易に見ることが出来、同じ日光表連山の女峰山、大真名子山、小真名子山等と並び、日光連山を代表する山となっている。




明治時代に新政府によって書かれた下野国誌にも、『黒髮山(クロカミヤマ) 都賀郡、日光山の奧にあり、當國第一の高山にて、遙に武藏、下總、常陸等の國々よりもみゆるなり、世俗は男體山とも呼なり』とあり、男体山が当時から栃木県内第一の山で、現在の埼玉県、東京都、茨城県からも見えたと認識されていたことが判る。



男体山という山名は、東北側の山続きの女峰山との対で付けられたものと考えられる。

男女一対の山には、雄岳と雌岳を有する奈良の二上山、男体山と女体山が並立する筑波山など多くの例があるが、男体山と女峰山は、間に大真名子山、小真名子山という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山を擁し、家族のような連山一家を成しているところも特徴的で面白い。



尚、同じ日光連山を代表する山として日光白根山(百名山)がある。(詳細後述)

日光は勿論、実は栃木県最高峰であり、更には以北最高峰すなわち、白根山より北には白根山より高い山がないのである。

しかし、その位置が地理的に奥まっており、関東地方平地部と日光白根山の間に所在する、2,000m超級の日光表連山および奥日光の山塊によって遮られるため、関東地方からは日光連山の稜線上に山頂部が僅かに見えるのみで、それが関東以北の最高峰だとは気付き難いのである。



次回、男体山 「霊峰・開山




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霊峰・日光の山々(38)男体山 「二荒山・フタラサン」

2013年01月14日 | 男体山
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霊峰・日光の山々(38)男体山 「二荒山・フタラサン」





登山道手前にに立つ「二荒山登拝門鳥居」



二荒(フタラ、あるいはニコウ)の名称には他にも諸説あるようで、『式内社調査報告』には以下の説が紹介されている。


★  二神示現説…男女対の神の現れ。二神のあらわれ。
★  補陀落山説…観音浄土を表す、補陀落(ふだらく)山の転化。
★  布多郷説…男体山一帯を、和名抄の布多郷にあてたもの。
★  二季暴風説…年2回の暴風。
★  アイヌ語源説…アイヌで熊笹を意味するフトラの転化。
★  土子説…マタギの地名「根子(ネゴ)」が土着後「土子(ニコ)」となった。
★  荒風現象説…二季に渡る「男体颪」と「日光雷」。
★  荒神説…二荒は、太荒であり、荒神の意味。
★  安羅説…日本府のあった安羅の音から、荒々となり、二荒と変化。
 
等々、多彩である。




「式内社調査報告」とは、

平安中期に書かれた朝廷及び朝廷周辺に関する規律(律令)、格式を著わした書物を延喜式(えんぎしき)といい、その中に神社の格式を著わしたのを「延喜式神名帳」(えんぎしき じんみょうちょう)と呼ばれている。 

それは、延長5年(927年)にまとめられた「延喜式」のうち、巻九・十に纏められたものをいい、当時、「官社」とされていた全国の神社一覧である。


式内社調査報告は、その「延喜式」に書かれてある神社を調べるために、或いは、調べた結果を記した中心的な書物である。
この「式内社調査報告」は、全巻25冊にも及ぶとされ、聞くところ、神田の古本屋で一冊25万円で販売していたとか。


次回、男体山 「連山一家の長




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霊峰・日光の山々(37)男体山 「二荒山中宮祠」

2013年01月12日 | 男体山
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霊峰・日光の山々(37)男体山 「二荒山中宮祠」






男体山と二荒山中宮祠



大昔、私たち日本人の先祖は、天高くそびえ、雲、雨、雪、かみなりなどさまざまな自然現象を展開し、命のもとである大切な水を恵んでくれる高い山々に、惧(おそれ)れと尊敬の心を抱いた。

そして、そこには神がいると信じられ、自然に生まれた山岳信仰が芽ばえたのである。



関東平野の北方にそびえる霊峰二荒山 (男体)も古くから、神のおられる山として、敬われてきた。
その、中禅寺湖の北岸、男体山山麓の景勝の地に、二荒山の神が鎮座する神社が、二荒山神社中宮祠である。




一般に日光というと、市街地(日光市内・日光山内)方面のことを呼ぶ場合が多い。
これに対して、中禅寺湖や男体山周辺、さらに湯元方面まで含むエリアを奥日光という。

それは概ね、清滝を過ぎた「いろは坂」以降、特に、ここからよく見える「屏風岩」が境ともいわれる。 
尤も、湯元エリア付近のみを奥日光と呼ぶ人もあるようで、と言うことは、中禅寺湖、中宮祠辺りは中日光と呼んでもおかしくない様だが・・?。
 

その中宮祠御本体である男体山は、二荒山とも呼ばれ、その「ふたら」とは観音浄土の補陀洛(梵語-ぼんご-)から出ていることは再三述べた。

二荒山の命名説は、「屏風岩の穴から現れる風神と雷神が 年に2回嵐をもたらし、荒れるから」という説がある。


また日光という地名は、「二荒」を音読みにしたものともとされ、元々は、市街地方面を日光と呼んでいたわけではないのである。


次回、男体山 「二荒山」





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