goo blog サービス終了のお知らせ 

織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(44)男体山 「登拝門」

2013年01月23日 | 男体山
,




 霊峰・日光の山々(44)男体山 「登拝門」 






二荒山中宮祠登拝門と1合目階段



登拝門
男体山の登山口にあたる登拝門では、毎年5月5日開山祭を執行、10月25日閉山祭まで御山が開かれ、奥宮へ登拝することができる。

元々は素木造の門でしたが、山頂鎮座1,200年祭記念事業として昭和50年に朱塗銅板葺に改築された。



登山口
登山口となっているのは、中宮祠(日光二荒山神社)(栃木県日光市中宮祠2484)などから、登山することができる。

日光二荒山神社中宮祠の登拝門で、鳥居とその奥にある朱塗りの登拝門を潜った先には、山頂へと向かう階段が続いている。



中宮祠までは、東武日光駅から東武バスが出ていて、駅からバスの所要時間は50分前後、無論、中宮祠の場所は、日光二荒山神社本社とは異なる場所にある。

中宮祠と男体山頂上の間には、1合目に遙拝所、4合目に石鳥居、8合目に滝尾神社、山頂に日光二荒山神社奥宮と太郎山神社、および二荒山大神像がある。

3合目と4合目の間は30分ほど車道を歩く。

登りが凡そ4時間、下りが3時間程度。




次回、 「男体山・登拝祭





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」












霊峰・日光の山々(43)男体山 「さざれ石・2」

2013年01月22日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(43)男体山 「さざれ石・2」




日光中宮祠の「さざれ石」(細石)



この、「さざれ石」は、他の主要な神社にも鎮座されている所があり、特に京都の護王神社(京都市上京区:京・平安遷都に功績のあった和気清麻呂を祀っている)のものは和歌に詠まれた「君が代」の原点になったものといわれる。 



「さざれ石」は、その他の主要な神社である出雲大社(島根県)、鶴岡八幡宮(鎌倉)、霧島神宮(九州)、又、「君が代」を尊愛する関係先では千鳥が淵戦没者霊園(東京都)、さざれ石公園(岐阜県)というのも在るらしい。




国歌・「君が代」について、

『 わがきみは 千代にましませ さざれ石の 
           巌となりて 苔のむすまで
 』  (古今和歌集 よみ人しらず)

(あなたは、千年も万年もおすこやかに長生をお保ちください。細かい石が大きな岩となり、苔が生える先ざきまでも) 新潮日本古典集より



この歌句が、「君が代」の大元になったとされている。

明治憲法では、「万世一系の天皇はこれを統治す」として、「君が代」は天皇自身を指していたが、これは歌の解釈が当時の「富国強兵」に、解釈利用されたものとも言われている。

戦後の「君が代」は、国民にある種の思惑(戦時を起想するもの・・?)で翻弄された節もあるが、現在は天皇を超えて、国民を讃美、讃歌する歌として親しまれていることには間違いないとしている。


次回、男体山 「登拝門





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」









霊峰・日光の山々(42)男体山 「中宮祠・さざれ石」

2013年01月21日 | 男体山
.



霊峰・日光の山々(42)男体山 「中宮祠・さざれ石」




中宮祠の「さざれ石」




本殿の右に「二荒山上奥宮登拝口」と書かれた碑があり、狛犬に護られた優雅な登拝門が建っている。 
登拝門から入ると、急な石段が続いている。

この門が開けられるのは、毎年5月5日の開山祭(開山日)から10月25日の閉山祭(閉山日)までの間だけであり、この期間中は、社務所に申し出て参拝料(登山料金)、この門から男体山に登ることになる。


その他境内には、稲荷社、大黒殿、山霊宮、幸運の社等の境内社や七福神などが点在しており、ご神木の「イチイ」も畏敬の念を覚えさせる見事な姿で聳えていた。

また、境内奥に「さざれ石」というのがあった。



さざれ石と国歌・「君が代」の由来、

『 君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
 』

今の言葉、口語にするとにすると

「 汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生える日まで 」



「さざれ石」というのは「細かい石」の集合体ことで、鉱物的には長い時間をかけてこれらが集まり堆積して、粘土や砂などと混ざって礫(れき)岩となり、やがて巌(大きな岩)になったものである。

古来、小粒のものが大きく育つ意味合いで、目出度い「石」とされている。

勿論、我が国歌「君が代」の題材になっていることは承知である。



次回、中宮祠 「さざれ石・2





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」







霊峰・日光の山々(41)男体山 「二荒山中宮祠」

2013年01月17日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(41)男体山 「二荒山中宮祠」





二荒山中宮祠拝殿正面と本殿




中禅寺温泉からは東表参道にあるこの鳥居、中禅寺湖の湖畔からは浜鳥居が境内への入り口となる。

浜鳥居から階段を上ると、8本の柱で支えられた八脚門があり、境内に入ると拝殿に続く唐門までに社務所、日光灯籠、手水舎、稲荷神社などの社など、数多くの建造物があり、本殿右側に山頂奥宮への登拝がある。

主要建造物は、重要文化財指定されているが、しかし、建造が比較的新しいせいか、世界遺産には登録されていない。

境内は3400haにおよぶ。
宝物館には、日本一大きな刀「祢々切丸」をはじめ、男体山出土品、国宝、重要文化財が展示されている。



先ず、道路沿いの駐車場に車を停めて入口に向かうと、右側に変わった石があり、牛の顔に似ている「牛石」といわれる。

いろは坂から以降は、女人禁制・牛馬禁制だった頃、禁を破った巫女が巫女石・牛が牛石になったそうである。

湖畔の参道から石段を右奥に登っていくと、「八脚門」が建ち、門を入ると東参道と合流し、手水舎や稲荷社を脇に見ながら唐門へと進む。
 


唐門の奥からが境内で、右側には宝物館があり、渡り廊下のあるで拝殿、中門、本殿と繋がれている。
拝殿は、間口15m、奥行き12mの単層入母屋造り、総弁柄塗りの重厚で華麗な造りで、本殿は三間社流造り、昭和34~37年に塗り変えられて現在は彩色が際だつ華麗な姿を見せている。

普段は掖門及び透塀越しにしか見られない本殿ですが、八月の登拝祭には内陣への参拝が許されている。


拝殿の左側には、まだ新しい山霊宮があり、日光連山に篤い信仰を奉げた功休徳者の御霊を祀っているという。 その裏には天然記念物のイチイが聳える。
中宮祠にも神橋があり、正式名称は「上神橋」という。


次回、男体山 「中宮祠・さざれ石




【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





.

霊峰・日光の山々(40)男体山 「霊峰・開山」

2013年01月16日 | 男体山
.




霊峰・日光の山々(40)男体山 「霊峰・開山」







先般から紹介しているように、男体山の初登頂は奈良期の782年(天応2年)に地元の下野の僧・勝道上人によって成し遂げられた。 

この登山については高僧・空海の記した『性霊集』に詳細が述べられているといい。 
この時期の初登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。




奥日光、男体山周辺は、化け物も寄り付かない魔の山とされていた。

この魑魅魍魎の跋扈する奥日光・男体山に挑んだのが、かの勝道上人であった。
勝道は、「われもし山頂にいたらざれば、菩提にいたらず」、つまり山頂に達することが自分の悟りを開くと考え、前人未到の男体山への登頂を志した。

また、釈迦が雪山で苦行をしたという前例から、あえて残雪期の登山を選んだともいう。



勝道上人の登頂初挑戦は767年(神護景雲元年)4月上旬であったが、嵐にあって撤退を余儀なくされた。 
更に、2回目は781年(天応元年)4月上旬、またしても悪天候により失敗した。

そして翌年782年(天応2年)3月、48歳の勝道は今回こそはと意を決し、中禅寺湖畔で経を読むこと7日間、頂上へ踏み出した。

湖畔から山頂まで1,200mの急坂、木々を掻き分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、ついにその宿願を果たしたという。 
実に、初挑戦から16年後のことであった。





さて、男体山の山頂にある二荒山神社奥宮と、日光山内にある二荒山神社本社の中間にあるので、中宮祠と呼ばれている。

山麓、中禅寺湖を臨む景勝の地、標高1,200メートルの高地にあり、男体山頂奥宮への登拝口にあたる。

古くは男体大権現・男体中宮と呼ばれました。
頂上の二荒山神社奥宮と日光山内の日光二荒山神社本社の間にあるため、中宮祠と呼ばれています。

勝道上人が山頂をきわめた後、延暦3(784)年、ここに二荒権現をまつる社殿を建てたのがはじまりである。

祭神は二荒山神社(山内本社)と同じ、大己貴命・田心姫命(たごりひめのみこと)・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の三神である。

本殿・透塀・唐門・拝殿・浜鳥居など重要文化財指定の主要建造物のほか、数多くの建造物があり、本殿右側に山頂奥宮への登拝門がある。



次回、男体山 「登山口・中宮祠





【小生の主な旅のリンク集】


《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」