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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(27)女峰山  「シロヤシオ」

2012年12月22日 | 日光・女峰山
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 霊峰・日光の山々(27)女峰山 「シロヤシオ」 





写真;シロヤシオ




白樺金剛の先で、道は緩やかに右へと曲がる。
この辺りから山様が変化してきて、暫くは、見ごろも終わるころであろうが、松肌のシロヤシオの群生が懐かしい。

最盛期は過ぎているが、つい最近まで花はあったようで、足許には白い花びらが新鮮な状態で残っている。



シロヤシオは、何と言っても小生の実家の近くの丹沢山塊(丹沢三ッ峰に多い)の大群生が有名であろう。 

主に、太平洋側の山地に自生するツツジ科ツツジ属の落葉樹で、時に10メートル前後の大木になり、5~6月に緑の葉と同時に純白の花を咲かせる。 

枝先に5枚の葉が輪生状に付くことから、別名としてゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも呼ばれる。 

大幹の木肌樹皮は松肌のように裂けていて、特に老木は樹皮が剥がれるのが特徴である。マツハダというのは、古い樹皮が松の木に似ているからとのことです。




アカヤシオ



因みに、シロヤシオに似た花で「アカヤシオ」もある。 
日光ではお馴染みの花で、「市の花」にも指定されている。

市内からでも手軽に見られ、特に鳴虫山やイロハ坂、奥日光では手軽に観られ、春、満開に咲くこの花を見ることを目的に、登山をする方も多いようです。

葉は菱形に近い卵形の長さが2〜5cm、5枚づつ枝を中心に輪になるように並んでいて、葉が出る前の4~5月に、花冠が5つに裂けた漏斗状のきれいな淡い赤紫色をしたツツジ様の花が咲きます。




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霊峰・日光の山々(26)女峰山 「白樺金剛」

2012年12月21日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(26)女峰山 「白樺金剛」




写;白樺金剛





カラマツ林を過ぎた頃から、俄然、登りも急になってきた。
所々に黒光りする大きく露出した岩が、立ちはだかる様になる。

気がつと先ほどから、小ハエか蚋(ブヨ)が付きまとうようになって、耳たぶが刺され、痒みを感じると同時に、刺された跡が膨らんでくる。 

まことに鬱陶しい。

多くの山を経験しているが2000m近い山中で、このような仕打ちを受けるのははじめてであった。


因みに、ブヨ(ブユとも言うらしい)はハエより若干小さく、体長3~5mm程度の吸血性の虫で、幼虫は小川や渓流で育ち、綺麗な水辺を好むため、蚊と違って都会ではあまり見かけない。 

夏場のキャンプ場や渓流、ゴルフ場で刺された経験のある人は多いといわれる。 
発生するのが6~7月といい、渓流歩きや釣りのシーズンと重なりますので天敵である。 

ブヨに刺されると「ブヨ刺症」と呼ばれ、治療するための立派な科目だそうである。




左の方へ目をやると、巨大お椀を伏せたような男体山が相変わらずで、大真名子、小真名子も命名の如く子供のように付き添っているのは、実に奥ゆかしい。

後方、遥か眼下には日光市街が未だ鮮明であるが、かなり遠ざかっていることも確かである。



笹原そしてカラ松林の中の急登をゆっくりと進む。
背後を振返ると、山中深く入り込んだ様で、これで日光の街並みも見納めであろう。


この辺りは、疲れもピークになるところであろう、ホトバシル汗を拭き払いながら我慢の歩きで、そうやら「白樺金剛」なんて標識を見る。

「白樺なんてのは名ばかりで、カラマツの植林地帯である」、思うに、かってはこの辺りは白樺の純林帯であったのだろう。 

それを完全伐採してしまった為、唐松の御礼植えをおこなったのかも知れない。


次回、女峰山 「シロヤシオ





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霊峰・日光の山々(25)女峰山 「稚児ヶ墓」

2012年12月20日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(25)女峰山 「稚児ヶ墓」




稚児ヶ墓



陽がだいぶ高くなり、輝きだした頃の6時頃「稚児ヶ墓」到着。
一服するには良いところで、ここらで軽い朝食を摂ることにした。

その前に、お地蔵様(稚児)にお参りする。
台座の石碑には何やら刻してあり、鮮明ではないが坊さんの名が刻してあるようだ。



その伝えを「日光輪王寺 25号」(昭和41年、日光山輪王寺)から要約すると、

『 延元元年(1336)8月、女峰山に分け入った実道坊という修験僧の後を追って入山した稚児が、師に逢うことも叶わずこの地で倒れ、亡くなってしまった。これを哀れみ、一山の僧たちが相謀って墓を営み供養したのが稚児ヶ墓である。後にこの知らせを受けた実道坊は、悲嘆のあまり黒髪山中腹の断崖に身を投げてしまったという 』。



黒髪山は男体山の別称であり、稚児とは幼子ではなく、寺院で下働きをする少年をいうらしい。 
その墓石は、右手に錫杖(しゃくじょう;僧侶・修験者の持つ杖)、左手に宝珠を持つ地蔵菩薩である。


造立は嘉永元申年(1848)。台座正面には「兒墓」、裏側には「實蔵坊 観徳坊 永観坊 通勝坊 正住坊 乗音坊 城秀坊」など、江戸時代の正保2年(1645)に確立したとされる近世日光の寺院である衆徒二〇院、一坊八〇坊のなかのいくつかの寺名が刻まれている。




露の草原帯からカラマツの再び植林帯の中へと進むが、眼前に見えている主峰は一向に近づいてこない。

決して急な登りではないがチョット息苦しく、動悸も激しく、顔面から汗が滴り落ちる。 朝食後ということもあろうが、未だリズムに乗れないようだ。

斜度は次第に上がってくるが、それに呼応するかのように明るい笹原が周囲に広がる。振り返れば、彼方の向こうに日光の街が鮮明に望める。 気が付けば、ずいぶんと遠くまでは来たもんだ。 



すると突然、ガサゴソと人の気配がした。
様子を伺うと、何やら覇気が無さそうであり、口を開いたのは「すいませんけど、水を一口戴きたいが・・、」、言われるままに、素直に差し上げて事情を聞くと、「夜っぴいて登っていたが、この先で完全にバテてしまい、それに水を持参するのを忘れてしまい、仕方なく下山するところです」という。 

山歩きには、常識的にも水は必携品であり、貴重品である。 まして女峰山へは主として尾根道のルートであり、水場は無いと心得るべきである。


次回、女峰山 「白樺金剛







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霊峰・日光の山々(24)女峰山 「殺傷禁断の碑」

2012年12月19日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(24)女峰山 「殺傷禁断の碑」 .




堂々とした「殺生禁断の石碑」




行者堂のはすぐ裏手が、所謂、行者道で女峰山への登山口となっている。

道は暫くは笹の道で、多少、朝露に濡れながらの登行となる。
薄暗い杉林の中の道は、緩やかな道だが、果てしなく続いているようだ。
救いは上空は一点の雲も無く、透き通るような青の世界が広がっていることであろう。 

有り難いことだが、陽が昇ってからの稜線付近のことを思うと焼かれることが必定で、実は余り有難ばっかりとは言えないのである。



檜と杉の混じり合う樹林帯を漸く抜ける。
東方上空は、赤黄色に迫っていて、間もなく日の出を迎えようとしている。

そして、広々とした草原に到った時、御来光があった。
時に、4時45分、太陽はユラユラと紅蓮の放射光を発しながら、意外と速い速度で上昇してくる。 

やはり有り難いものだと拝まずには居られないほどで、陽光に向かって、今日の所業の無事を祈る。
又、ここから眺める日光連山は格別で、正面に控える女峰の連山は流石に堂々としたもんだ。



植林帯の急斜面には思い思いの踏跡があり、なるべくはっきりした楽そうな道を選びながら進むと、やがて足元は笹床に変わる。

急斜面を抜けると巨大な花崗岩に刻まれた「殺傷禁断の石碑」がぽつ念とあり、その堂々とした立派な文字に驚かされる。



この石を境にすべての殺傷を禁ずるという結界石であろうが、その大きさにはビックリで、高さは2m以上あり、幅といい厚さといい、この場所までどうして運んだのだろうと不思議に思う程の大きさである。 

一枚岩を運び上げるのはそうとうな力仕事のはずであるが、残念なのはこれだけ立派な書体なのに、建立者も建立年代も記されてないのである。




落葉松の点在する笹尾根、やがて、道は尾根の西へと逸れ、再び植林帯の中を進む。
そして又、明るい笹原に出る。 

地形図でいうと稚児ヶ墓に向けて道が二股に分かれる地点で、右手のツツジの回廊へと進むようになる。
ツツジの花季は既に終わったようであるが、ミツバツツジやレンゲツツジが咲き誇り、実にきれいなところである。


ようやく頭上が明るくなると、周囲にはシラカバも目立つようになるが、周囲のツツジはいっこうに減る気配も無く、その茂みの中を進む。

左手に湿地帯が見える頃、ようやく視界が晴れてきて、歩きやすい道となる。



次回、 女峰山 「稚児ヶ墓






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霊峰・日光の山々(23)女峰山 「滝尾神社・2」

2012年12月18日 | 日光・女峰山
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霊峰・日光の山々(23)女峰山 「滝尾神社・2」 .





女峰山の女神(田心姫命)を祀る「滝尾神社」



ところで二荒山神社の創建は、奈良時代の後期、勝道上人が男体山頂に社殿を建立したのが始まりとされるが、更に、一般参拝者が男体山や女峰山への登拝が困難な事から、麓に中宮祠を建立、その後、空海が女峰山の麓に滝尾神社(滝尾権現)を建立して遥拝所としたとされている。


空海は、御存知、平安初期の真言密教の祖である。 
しかし、日光山輪王寺は天台密教の影響を受け、現在に到っても天台宗の寺院である。 
それは、勝道上人は元より、偉大なる滋覚大師・円仁によるところが大きいとも言われる。 
それ以前、つまり空海より前の奈良前期頃には、既に、女峰山への登坂ルートとして、修験道が拓けていたのであった。


滝尾神社は、日光二荒山神社の別宮というより、女宮であろう。 
日光山内に鎮座する本宮神社(子宮)、二荒山神社(現在の新宮・男宮)とともに日光三所権現の一つであり、女峰山の女神、田心姫命(たごりひめのみこと)を祀る。

明治初年の神仏分離までは、楼門には大師の筆といわれる「女体中宮」の額が掲げられ、仁王像が安置されていたという。
本殿裏には、石鳥居や石灯籠、石柵を配した「-三本杉」の巨木が立ち、これは御神木とされていて、この地が滝尾の大神である「田心姫命」が降臨したところと伝えられている。


滝尾神社・由緒 .

『 聖地日光の中でももっとも聖なる地と言われ、東照宮北側より石畳の参道が約1kmも続く。日光二荒山神社の別宮であり、古く女体中宮と称えられ、本宮神社、日光二荒山神社と共に「日光三社」の一つです。
女峰山の女神が降臨し、弘仁11年(820)に弘法大師により創祀されたと伝えられ、御本殿・唐門・拝殿・楼門・鳥居・石畳は国の重要文化財に指定されている。
滝尾神社は、女峰山の遥拝所なのである 』



次回、 女峰山 「殺傷禁断の碑






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