土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

東西のエルサレムを分けたもの。

2013-08-23 18:11:30 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

拙ブログオーナーの私は、とても歴史好きです。
そして、自覚的には平和主義者です。
戦争に関する記事が多いので、信じていただけないかも知れませんが。(笑)

歴史を紐解くと、日本人が平和を、こよなく愛する国民であることが良くわかります。

戦前の日本は、戦争ばかりしていた印象で語られていますが、日本人は毅然とした民族ではあるが、戦争好きでなかったからこそ、あのような苦難の歴史を歩まざるを得なかったと思っております。
逆説的ではありますが、そう定義付けると、諸説合い乱れる、あの不可解な歴史のつじつまが合うのです。
(詳しくはカテゴリー、「誇るべき日本の歴史」をご参照ください。)

いま拙ブログでは、平安時代に着目し、日本の失われた歴史と、失われた誇りを取り戻すべく取り組んでおります。
平安時代と呼ばれるのは、この時から開かれた首都(いまの京都市の一部)の名前が、平安京と呼ばれたからです。

平安京という名前は、当時の桓武天皇の、この都市への願いが込められた名称です。
音読みですが、意味は説明不要ですよね。
その字のごとく【平和の都】です。

そして平安京は、その理念を体現すべく、当時日本人が知りうる、東洋の宗教を全て(仏教・日本神道・道教)を、都の街づくり中に入れ込むという手法で作られた、一大宗教都市でもあります。
もしその時に、日本人が景教(キリスト教)や回教(イスラム教)を知りえたり、教えに共鳴する部分を感じていたならば、桓武天皇は都に、教会やモスクを建立していたかもしれません。

その桓武天皇の願いと理念通り、平安時代は300年以上の平和を享受し、江戸時代や戦後など、日本は長期間の平和の歴史のある、稀有なる国家となりました。

さて、日本からはるか遠くの中東に、日本の平安京と同じ意味を持つ、古い歴史を持つ宗教都市があります。
それは現イスラエル共和国の首都、エルサレムです。

エルサレムとはヘブライ語で、【平和の街】という意味であり、平安京とエルサレムは同じ意味なのですね。
エルサレムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地という、世界で最も有名な宗教都市でもあります。

しかしこの、平安京とエルサレムという東西の、【平和の都】の名の代表的な都市を持つ、日本とイスラエル両国の歴史は、皮肉にも真逆と言える状況でした。

日本の平安京の街づくりは、宗教融合を理念としていると言えます。
一方、イスラエルのエルサレムは、宗教対立と宗教戦争、それに付随する民族紛争の象徴となっているとしか、歴史的には表現のしようがありません。

ユダヤ教発足から3000年余り、そして現在に至るまで、この土地は長き戦乱と、つかの間の平和という、日本とは全く逆の歴史を繰り返しているのです。

この違いは、一体どこからくるのでしょうか?

結局のところそれは、神様とは何か・・・ということを、日本人が本質的に知っていたからではないでしょうか?

日本神道の古典的な信仰観は、アニミズムと思われています。
しかしそれがひいては、万物に神は宿る・・・という基本的認識を日本人が古来より、自然に持つにいたる要因となってきました。

日の神、山の神、海の神、木の神、川の神、日本人の古典的な信仰の概念は、このような感覚を持っていると言われますが、それは仏教の山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)の仏教的理念・・・つまり、全てのものに仏性は宿ると同じなのですね。

教えはないけれども、概念はしっかりしていた日本神道の基本的理念と、教えがしっかりとある仏教の、当時の最新の概念とは、結局同じものだということを、古代の日本人がすんなりと、ごく自然に思えたことが、結局はとても大きかったと思うのです。
(よく考えれば、これはすごいことですね。)

それがなぜ思えたか?
結局のところ、神様、そして神様の本質というものが、一宗教の枠組みの中に納まるような、そんなちっぽけな御存在ではない・・・ということを、古代日本人である我々の直の先祖たちは、はっきりと、そして自然にわかっていたからだと私は思うのです。
でなければ、平安京のような街づくりはできないのです。

つまり、大宇宙の全ての全てをつくり、人間を作り、木の葉一枚までおつくりになった神様が、どのような御心であるかを知るためには、神道であれ、仏教であれ、道教であれ、一つ知れば良いということで、足りるはずがないということです。

この考えは、たとえ口には出さなくても、現代でも多くの日本人が、自然と持ちえる基本概念なのではないでしょうか?

そしてその中で、教えがしっかりとあり、他の考え方にも寛容であり、自由な議論が許されるが、最終的には三宝(仏法僧)に帰依するスタイルの仏教が中心軸となることで、思想的に自由でありながら、最終的には意見がまとまる形の国家の基本形が、この平安時代に形作られたと私は思うのですね。

思想的に自由・・・と言ったのは、思想や信仰が違っても、命や自由や財産を奪われることが、平安時代には全くなかったからです。

一方、西の平安京、イスラエルのエルサレムの歴史では、日本と同じとはなりませんでした。
それは、この街で語られる宗教が全て一神教であり、他を排する傾向があるからです。

私は、ユダヤ教やキリスト教イスラム教を、特別に非難するつもりはありません。
ただ一つだけ批判するとするならば、彼らは自分たちの信じる教えの枠組みの中に、神様を閉じ込めていると思うのです。

これは、言い方を変えるならば、自分が理解できる神様の側面しか信じない・・・と言っているのと同じです。
これでは、信仰深いと言いながら、本当かどうかはわかりませんよね。
なぜなら、自分が理解しようとしない神様の側面を、人間の分際でありながら裁いているからです。

神様が偉大なお方であることが真実ならば、自分が理解できる以上の側面を、神様はきっときっとお持ちのはずです。

いま世界は、地球中で宗教紛争を繰り返しておりますが、いつかきっと、この平安時代に構築された日本文明における、日本人の信仰信条の基本的価値観と概念が、世界中で切に求められる時代が来ると思います。

その時は、それほど遠い先の話ではないと、私は思っているのです。
ですから今を生きる日本人は、失われた歴史と誇りを取り戻し、自分たちの言葉で、誇るべき日本の歴史を十分に語れるように、しておかなければならないと思います。

なぜなら我々日本人の歴史には、世界が欲している答えは、既にもう十分にあるからなのです。
ですから日本の方々は、決して浅薄な自虐史観などに、惑わされてはなりません。
                                               (続く)





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