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土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

坂本龍馬の瞳に映る夏

2015-08-13 03:31:30 | この国を守るために

                                      

                  長崎の坂本龍馬像

土佐のくじらです。

 

日本の夏。

それはどこか、過去への郷愁を秘めていると感じるのは私だけでしょうか?

夏休みがあり、子供たちが無邪気に遊ぶ夏。

お盆もあり、久しぶりに家族が集う夏。 

そしてかつて、戦争が終わった夏。

日本人にとっての夏とは、過去への慙愧(ざんき)の思いと、希望と開放感が入り混じる、複雑な季節なのかも知れません。

 

今月8月9日は、長崎に原爆が落された日です。

私は仕事で当日のニュース報道が見れておりませんが、長崎では平和の集いが開かれたのでしょうか?

そこでは通年の如く、女子学生らによる、平和への論考が読み上げられたのでしょうか?

 

最近は被爆地長崎ですら、若い世代への原爆への関心が、薄れてきているとお聞きしております。

しかしそれは、致し方ないのかも知れません。

なぜならば、被爆地である広島や長崎には、ただ平和を唱え、日本の過去を断罪するだけでは、その歴史的使命は果たせないことは、地元にいらっしゃる方こそ、深く認識なさっているのではないかと思うのです。

平和を願うだけで、平和だった時代は、もう終わっているからです。

 

 

日本本土の、最西端(西の国境)にある長崎。

日本の国際人のさきがけであった、坂本龍馬先生が拠点を構えた長崎。

その長崎に暮らす人々の本心は、「これで、いいはずはない」と思っていらっしゃると思うのです。

 

 

今の状況下において、日本が現実に平和を続けるためには、平和にいたるための要因を創り出していく努力が、要求される時代となっているのです。

先の大戦における、日本がしなければならない反省の大きなポイントとして、

「地政学的に、東アジア全体が平和でなければ、日本は平和でいられない。」ということがあると思うのです。

その条件に対して、国際的なパワーバランスが、急速に崩れてきているのです。

 

 超大国アメリカの没落が目に見えて顕著となり、共産主義の中国が、急速に軍事的脅威を増しているからです。

日本はその中で、国の自由と未来を賭けて主体的に判断し、それを実現できるだけの力を、現実的に持たなければなりません。

でなければ、日本の地理的条件であれば、2つの大国に翻弄され続けるか、いずれかに飲み込まれるかの、どちらか一つの選択を、絶対にしなければなりません。

 

 

日本がそういう未来で、本当に良いのか・・・ということです。

戦後これまで続けてきた、祈るだけ、願うだけの平和活動では、未来は必ずそうなります。

 

私は子や孫が暮らす日本が、自由で豊かで幸福で、世界に善き影響力を与えていける国であって欲しいと願っています。

被爆地長崎に像の建つ、郷土の英雄坂本龍馬先生の瞳には、何が映っているのでしょうか。

龍馬先生が、今の時代を見たならば、国民一人一人に、熱く何を語りかけるでしょうか。

 

 

戦後70周年の夏、それは日本が誇りを取り戻す最後のチャンスです。

80周年では、先の大戦は、確実に歴史の一コマとなっているからです。

終戦記念日に発表されると言われている安倍談話。

それは、日本の未来の道筋を決める、重要なメッセージとなります。

日本の未来に生まれ生くる子供たちに、美しき心を持った先祖のことを、誇れる国を残したいと願います。 


テロに屈してはならない!

2015-01-22 21:24:13 | この国を守るために

今月20日、イスラム国による、日本人殺害予告が起こり、映像がyoutubeに投稿されました。
イスラム国は、「72時間 以内に、身代金2億ドル(240億 円)を払わなければ人質を殺害する」と日本政府 に要求しています。

 



これは、エジプト・カイロで行われた安倍首相の演説、

「イスラム国と闘う周辺国に、2億ド ルの支援を行う」という内容に、イスラム国が反発したようです。

 

 

テロに、屈してはなりません。

 

人質になった方の恐怖と精神的苦痛。

また人質になった方の、ご家族の方のご心配は、痛いほどわかります。

筆舌に尽くし難いです。

 

しかし、1977年9月、ダッカで起こった日本赤軍によるハ イジャック事件での、弱腰の対応を繰り返してはなりません。

 

当時の福田赳夫首相は、人命第一主義の下、「人の命は、地球より重い。」とし、テロリストに屈し、日本赤軍 の活動家6人を「超法規的措置」により解放し、 600万ドル(当時で16億円)を支払いました。

 



テロリストの要求に応じた日本で、その後何が起こったか。

ダッカ事件の1カ月半後には、横田めぐみさんが 北朝鮮に拉致され、その後は大勢の日本人が北朝 鮮に連れていかれて、40年近く経つ今でも、多く の拉致被害者は戻らず、解決の糸口はつかめてい ない状況にあるのです。

 

つまり、一度テロに屈したら最後、世界中にいる数千万の日本人が、「日本人だ。」という理由だけで、命の危険な状況下に置かれてしまうということです。

 

それは、弱腰の政府が導く罪です。

それは、目先の人命第一主義が、招く災いの未来です。

 

世界中にいる日本人を、テロの脅威から防ぐ手立ては、

「日本人に手を出したら、痛い目にあう。」という認識を、テロリストたちに定着させるしかないのです。

 

ですから日本政府は、テロに屈してはなりません。

日本人は、テロに屈してはなりません。

日本国民は、テロに屈しない政府を、絶対的に支持しなければなりません。

 

日本赤軍ハ イジャック事件の過ちを、もう二度と繰り返してはなりません。

 

できうるならば、これを機会に、自衛隊の特殊部隊による、海外邦人救出を成し遂げるべきです。

 

それは、拉致被害者を未だに返さない、北朝鮮政府への警告にもなります。

 

それが合法的に成しえないならば、それこそ、超法的措置の判断を行うべきです。

 



安倍首相は、エジプト・カイロでの演説で、「中庸こそ最善である」という、日本と中東地域に共通する格言をもとに、「寛容」の大切さを繰り返し述べていたそうです。

 

この場合の、日本政府としての中庸とは何か。

「国としての正義を貫くこと」と、「国民の人命を救うこと」です。

 

今求められているのは、この両者の中庸なのです。

 

これができるのは、、防衛法制の抜本的改正を直ちに行い、自衛隊の特殊部隊 による、邦人救出が実行できる体制を創り、法整備を速や かに行うことです。

 

政府がその決断をしたならば、日本国民はつべこべ言わないことです。

人質の命を、政局に利用するような、愚劣な行為は慎むべきです。

 

政府に、「240億円を支払え。」と言うならば、個人で金をかき集め、犯人を説得するべきです。

日本政府は、日本国民の代表として、決してテロに屈してはなりません。

 

とにもかくにも、人質になっている方々の命が無事であることを、同胞として心よりお祈り申し上げます。


安倍首相は、変質したと思う。

2014-11-10 20:02:30 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
多忙ゆえ記事更新が遅れ、久しぶりのエントリーでございます。

本日日本時間の午後、日本の安倍首相と中国の習近平(シー シーピン)国家主席が、 中国にて首脳会談を行いました。
率直に言って、首相は中国に行って良かったのでしょうか?

今、小笠原諸島沖の、日本の排他的水域において、中国漁船がサンゴを密漁しているこの時期に、
本当に、中国に首脳会談など、して良かったのでしょうか?

通常の人間関係で考えてください。
お隣の家の悪がきが、我が家に勝手に入り込んで、盗みを働いている真っ最中、
お隣に行って、「これから、関係改善を図っていこう。」などと、共同声明しますでしょうか?

関係改善も何も、あったもんじゃぁないのが、普通なのではないでしょうか?

「あいつら(中国の密漁船)を、何とかしろ!」と怒鳴り込むならいざ知らず、
「関係改善を図っていこう。」というのは、お門違いなのではないでしょうか?

これを普通の人間関係でたとえるならば、 悪がきの盗みは棚に上げる行為ですから、
「サンゴ、持って行っていいよ。」というメッセージになります。

今回の安倍首相、今のタイミングでの安倍首相の訪中は、屈服外交ではないのでしょうか?

「当初から予定が入っていたから、致し方なし。」 というならば、キャンセルすれば良いことです。

私が首相ならば、今の時期に、小笠原諸島の不法侵入を取り締まらない国家に、絶対に訪問などしません。

予定をキャンセルし、ウクライナに出向いて、ロシアとウクライナとの関係改善策を提示します。

なぜ安倍首相は、この時期に訪中しなければいけなかったのでしょうか?

首相は、左傾化したと私は思います。

内閣閣僚のスキャンダル等で、反対勢力の意見や、親中派の公明党の顔色を伺う必要性が出てきているはずです。
でなければ、政権運営が危なくなってきていて、
12月に控えている、10%消費増税後の政権が危なくなってきているはずです。

だとすれば・・・
安倍首相は、自らの政権運営のために、志を捨てたことになります。

土佐のくじらは、この国を愛する者です。
土佐のくじらは、もう安倍首相を、支持することはできません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


世界は、もっと日本化するべきです。

2014-09-07 16:36:29 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

今回の記事は本来ならば、終戦記念日に投稿したかったものでしたが、
ブログへの時間が取れず本日になりました。

私は、戦争賛美はいたしません。
戦前日本の価値観が、最も美しいとは思いません。

ただ、日本兵士の戦死者は、300万人にも及ぶとお聞きしています。
その内、餓死したり病気で亡くなった兵士は、6割にも及ぶともお聞きしています。

そのような劣悪な環境を、現場に押し付けた軍部上層部の判断の甘さらは、当然批判されるべきでしょう。
しかしそのような劣悪な環境下において、兵士たちが渾身の働きを見せたからこそ、連合国は日本の占領を諦めました。

それほどまでに、日本は怖かったのです。
なぜなら、日本は侵略を目的として戦っていなかったからです。

侵略というのは、軍事を使ったビジネスです。
ですから戦況が危うくなれば撤退するのが侵略です。
ですが、日本軍は侵略目的ではなく、国防目的であったから強かったのです。

映画にもなった硫黄島での戦いにおいては、アメリカ軍は日本軍よりも大量の戦傷者を出しました。
硫黄島の戦いのデータを元ベースに、日本本土での軍略をめぐらせば、
アメリカ兵士の戦死者は、100万人を超えると推測されるからです。

その代わりあちら(アメリカ軍)は、硫黄島や沖縄で行ったような、
壕に潜む兵士や民間人も、バーナーで焼き討ちにするでしょうから、
日本人の戦死者は、民間人を含めて1000万人を越えるでしょうけれども。

そのような非道非人道の戦争によって、いったい誰が得をしたかといえば、実はソ連です。
私はこの日中、そして日米と続く大東亜戦争を、画策した本当の戦略者は、当時のソ連だと思っております。

しかしその話は、また後日。

さて、戦後の世界において、世界で大きく変わった価値観があります。
その第1は、「人種差別はいけないことだ。」という国際世論になったことです。

それが世界から、植民地主義の根底をなす価値観を、根底から壊滅させました。

そしてアメリカにおいても、マルティン・ルーサー・キング牧師らの公民権運動となり、
黒人ら有色人種の、アメリカ内での人権確保運動となり、今アメリカは、黒人大統領の時代となりました。

自由の大国を自認するアメリカが、人種差別を公的になくしたのは、1970年代になってからです。
アメリカの人権意識は、白人に対してのものだったのです。

その証拠に、戦後直後に来日したGHQの米兵は皆、白人だったはずです。
つまりアメリカは、国内にいる黒人を、信用してはいなかったのです。

当時アメリカ人にとって、有色人種は進化したサルと見ていたと、言い切って良いと思います。


もうひとつ重要な価値観として、「国境を越えて進軍することは、いけないことだ。」というものがあります。

今ロシアとウクライナでは、これが物議の中心にあるのですが、
この国境を遵守する考え方を、戦前に持っていたのは日本だけなのですね。

これは、日本発祥の価値観なのです。
戦前までの世界には、国境を遵守する考え方は、事実上存在しませんでした。

世界の国境は軍事境界線・・・つまり、軍事力と軍事力とがつりあうところが国境であって、
昔の人間が決めた国境という概念は、事実上存在しなかったのです。

ヨーロッパ人が決めたアフリカの国境線は、定規で引いたようにまっすぐですよね。
アメリカとカナダの国境線もまっすぐです。
またアメリカ国内の、洲と洲との境もまっすぐです。

これらは、現実に定規を用いて決めています。
地図を広げて、定規でざっと線を引かない限り、あのようなまっすぐな国境線にはなりません。

住民の生活圏を意識した国境の区切りでは、絶対に国境線は、まっすぐにはならないのです。
生活圏は必ず、山や川で仕切られているので、ジグザグになるからです。

その事実が表す、彼らの真意とは何でしょうか?

「国境なんて、無意味さ。」ということです。

まっすぐな国境線は、生活圏を無視していますから、実質無意味です。
適当に決めているので、使えない国境線です。

つまり地図にまっすぐな国境線を引く人たちというのは、軍事境界線が事実上の国境・・・という意識なのです。

そのような世界の中で、日本だけが国境を遵守していました。
これは日本が、江戸時代を経験したからです。

徳川幕府によって、藩という半独立国家が日本中にありましたけれども、
その一つ一つは、行き来を禁じられていて、勝手に藩境を超えると、幕府からお咎めがありました。

日本人には、「藩境=国境を越えなければ、文句は言われない。」ということが、国民の当たり前としてあったのです。

これが、日清日露戦争の要因ともなり、また日中戦争の要因ともなり、
また昭和に至るまで、世界の植民地主義を温存させる要因ともなるのですが、それもまた後日改めて。

ともあれ今の世界は、国境を遵守するのが当たり前・・・の世界になりました。
これに関しては、戦後日本人の、血と汗と涙の物語もあります。

戦後の日本は、世界史上初めて、国土拡大を伴わない国力の上昇だったのですね。
これが結局、世界から侵略戦争を無くし、植民地主義復古への流れを止めたのです。

人類の心から、侵略・・・という発想そのものをなくさせたのは、戦後の日本人の努力だったのです。
戦後日本の、国土拡張を伴わない繁栄こそ、侵略の動機そのものを無力化したのです。
つまり戦後の日本人は、人類の心から、侵略の必要性そのものを消し去ったのです。

なぜならば、日本型の繁栄は、他国からかっぱらい行為=侵略をするよりもリスクが少なく、
しかも、確実に利益を得られる方法論だったからです。

肉食獣がえさを取るために、獲物を狙うのは当たり前です。
ですから侵略行為には、「生きるため。」という動機付けがありましたし、言い訳することもできました。

しかしそれには、狩り=軍事行動というリスクがあります。

狩り=侵略行為のリクスなく、獲物が確実に手に入るならば、
狩り=侵略をする必要はなくなりますし、他国に迷惑をかける侵略行為は悪・・・ということになりますよね。

なぜならば、「利益を得るために、軍事的行動を起こ必要はない。」ということは、
戦後日本の経験を見て、世界の常識となっているからです。

「それなのになぜ、あなたの国は、軍事的行動を起こしますか?」ということですよ。

この国境遵守の価値観は、日本だけが持っていた価値観なのです。
そして戦後日本は、その本来民族が持っていた価値観を実践し、自国を豊かにすることで、世界を変えたのです。

日本国民の皆様、我々が当たり前に持っている価値観は、世界を変える力を持っています。
もっと世界は、日本化するべきなのです。

そのために日本人は、日本を取り戻すことです。
日本の誇りを、日本人は取り戻すべきなのです。
でなければ、世界はこれ以上日本化することはできません。

日本人は無意味な自虐史観など、払拭するべきです。
未来の世界の、平和と幸福のために。

それだけではなく、日本がまだ無意味な自虐史観などに惑わされていたら、
世界はまた、争いの時代に戻りますよ。



戦争の歴史と反省

2014-08-25 20:25:40 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

仏教には、八正道という反省項目があります。
正見・正思・正語・正業・正精進・正命・正念・正定です。

その最初は正見(しょうけん)です。
「正しく見る。」という項目であり、「正しく見たか。」と観点で、心を見つめるわけですね。

「正しく見たか。」ということですけれども、「正しい見解であったか。」という観点でもあります。
この正見の反対を、仏教では邪見、または悪見と申します。

見解が間違っていると、その後のすべての見解が間違ってきます。
そして次の「正しく思うこと。」つまり正思、正しい判断ができなくなるのですね。

その結果、人は不幸になっていくというのが、仏教的な人生修行の前提です。

私は、歴史にも正見というのが存在すると思うのです。
そして、その正見の逆、すなわち、歴史における邪見、歴史における悪見というのも存在すると思うのです。

その歴史における邪見・悪見こそ、戦前日本の侵略国家説であり、独裁ファシズム国家論であると思います。
なぜならば、それらは事実に基づく見解ではなく、第2次世界大戦に勝利した国家たちによる、
彼らにとって都合の良い捏造の歴史であり、一方的に押し付けられた歴史だからです。

国家の体をなしていなかった、幕末の朝鮮に対しての征韓論を、朝鮮侵略論議のように語られ、
世界から孤立化した日本の窮地を、打破するために動いた日本軍の行動を、それを日本軍の暴走と語られて、
それが、日本の世界からの孤立の要因とされ、ありもしない、また実行不可能な南京大虐殺を仕立てられて、

さも、日本軍が日本国内では信奉を集めていたが、国外では非人道的な集団であったかのように、
これでもかこれでもかと、宣伝され続けてきたのです。

日本が孤立化したのは、日本が人種差別撤廃を訴えたからです。

当時は、植民地主義が世界を覆っており、それは人種差別を前提にしていましたから、
日本の提言は、世界の植民地大国=連合国の意に沿わなかったのです。


だから孤立化したのです。
そうでなければ、戦前の日本の孤立化の動きが、大正時代から始まっているかが、説明できないのです。

征韓論は、国防論議です。
はっきり言えば、日本が朝鮮に侵攻することを論議しているだけで、欧米諸国は朝鮮を諦めたのです。
ちょっと軍事的な知識があれば、これはすぐわかることです。
つまり、英雄西郷隆盛を、日本はこの征韓論で失いましたけれども、それによって、朝鮮は欧米列強から守られたのです。

明治維新の意義を、単なる政権交代としてのみ教えられ、
また征韓論を、朝鮮への出兵論議とだけ、現代では教えられています。

しかしこれは、教えている歴史教科書著者や、教科書を選択している人に、軍事的知識が欠如しているか、
もしくは知っていて、敢えてその部分を欠落させて教えているのです。

そのような歴史の教育状態に、今の日本があることを、できるだけ多くの方に知っていただきたいです。

極めて底の浅い歴史議論が、幕末から今に至る日本の歴史教育がなされています。
また肝心なところ、つまり、軍事的な側面を含めた教育は、一切なされていないのが現実です。
平和教育の名の下に、軍事的知識の欠如した歴史観を押し付けられているのが、現代日本人の歴史観です。

それは、病気を教えない医学のようなものです。
無役です。

明治維新革命を、ただの政権交代論議で語るならば、
なぜ明治政府は、大名を華族として残し、幕臣たちを、明治政府要人として使いましたか?

ありえない判断です。

それは、旧幕府も新政府も、理念は国防だったからです。
同じ国防の観点に立ち、その方法論が違っていただけなので、革命成就した後は、お互いに協力できたのです。

また、明治政府革命の主人公は武士なのに、なぜ明治政府は武士をなくしましたか?
国防ならば、武士がいた方が良いですよね。

それは軍を、短期間で近代化する必要があったからです。
一体化した近代日本軍をつくらなければ、欧米列強に太刀打ちできないからです。

いざというとき、占領されそうなときには、旧武士階級は頼りになります。
そのために、大名を華族として温存しているのです。

世界の軍事的観点の欠如した明治維新の物語からは、英雄待望論と、政権交代論しか出ては来ないのです。

左翼的歴史観は、邪見です。
なぜならば、軍事的教養の観点が、まったく入っていないからです。
軍事的観点の欠如した日本の歴史観は、まったく意味不明の歴史観を生み出しているのです。

邪見からは、正しい判断は生まれてまいりません。
日本人は、正しく歴史を反省するべきです。

でなければ、悲しいかな。
平和を願えば願うほど、戦争へと誘われることになります。

健康を願えば願うほど病気になるならば、これほど悲しいことはありませんよね。

因果の理法はくらませないのです。
平和教育という名の、軍事的教養抜きの歴史教育は、
陰謀を見抜く知恵も、他国の動きの意味も、何も見えなくするからです。

病気のことを教えてもらっていない医者には、患者の病気はわかりません。
病気のことを教えてもらっていない医学生というのが、軍事的教養を教育されていない、現代の日本人の姿なのです。


日本人は、八正道に照らし合わせ、歴史を顧みるべきです。
それこそが、日本人が行うべき、真の歴史の反省なのです。