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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

雇用機会は均等化できるか

2007-01-25 01:10:06 | 日本脱出
企業求人、年齢差別禁止を義務化…雇用対策法改正案で(読売新聞) - goo ニュース


他のニュースでも言われているけれど、これは実効性の無い法律になりそうに思います。普通に考えられる理由としては、罰則が無い事、何故高齢者が雇用されなかったか調べる方法が無い事などがあります。


しかし実効性が発揮できない本当の理由はそんな事ではありません。
簡単に言えば、あえて年齢に無関係にその人のスキルや経験や可能性だけを考慮して高齢者を雇用するなんて、そんな事を「誰も(どの企業も)本気でするつもりが無い」からです。

実力主義の社会に変わるなどと言いながらほとんどの会社は未だ年功制を崩しません。一般的には営業畑で育った人が昇進して営業部長になるのは自然です。技術部長にも技術畑の人が成るでしょう。それが自然に思えるのは、その畑で育って昇進した管理職が管理職としてのスキルを身に付けているかどうかを考慮していない証拠です。

(職務の事についてやたらと細かい事は知っていても、部下使って仕事を完成できない管理職を私は何人見てきたことやら。)

実際、今正社員で働いている人は、以前よりは将来が不透明になったにせよ、自分の将来は大体予想できると思っているはずです。(でなければ30年もの住宅ローンを組んだりはしませんよ。)毎年新卒の後輩が幾人か入ってきて、上司は何となく昇進したりして何年かが過ぎてくのですから。

そんな職場に自分より高齢で全く違った文化の中で生きてきた人が入って来て現状が大きく変わるなんて、想像もしたくはないでしょう。今のほとんどの会社でそれができるわけが無いと思うのです。


年齢に無関係に人を雇用させたいと思う時に「法律でそうしなさい」と言うのは確かに第一歩ですが、逆に今の雇用形態で安穏としている状況を壊す方も一緒にするべきです。正社員は会社ときちんとした雇用契約を結ぶ事を義務付け、その雇用契約の中に報酬と年限も明記させたらどうでしょう。


既得権を得ている正社員さん達は反対するでしょう。
けれど安い賃金で雇われてずっと我慢しながら高給取りになるのを待つ、退職金を待っている姿は人間の生きる姿でしょうか。もし、今の仕事以外にいろいろやってみたいと思っても途中で会社を抜け出して勉強し直すチャンスも無いなんて!

Wonkaのチョコレート

2007-01-24 19:59:15 | 映画って !
日本に居ない間にWonkaのチョコレートバーが発売されていたらしい。
500円もしたけれど、オーストラリアが夏で柔らかくなってしまうからこれが最後の入荷などと書かれていては買わざるを得ず。GoldenTicketが入っている事を期待。チョコレート工場におじいちゃんと一緒に行こう。その前に恐山で呼びだしてもらわないと。


『チャーリーとチョコレート工場』のウォンカバーを探せ!

映画「An Inconvenient Truth」(不都合な真実) -政治家

2007-01-21 19:35:01 | 映画って !
この映画は間違いなく、一度は見るべきものだと思います。
(TOHO系のいくつかの映画館では日曜日のみ500円で見られます。)

映画の内容については他の方々も書かれていると思いますし関連書籍も出ています。そして日本のテレビでもゴア氏出演番組がありましたから、その件についてはここでは何も言いません。(でも、とりあえず見てください。)



全然別の気になった事をちょっとだけ書いておこうと思います。
それはゴア氏に関してです。

ずっと以前にこのブログのどこかで、
「政治家は何故政治家になろうと思ったのか?」と書きました。
そしてその答えは多分永久に明らかになることは無いだろうとも。

やっと一人だけこの疑問に答えられる人が見つかった。
それがゴア氏だ。


振り返って日本ではどうか。
まだまだずっと先の選挙で勝つぞがなりたてている姿がニュース映像に映る。
選挙に不利だから日銀に脅しをかけるような事を平気で言う。
毎日のように汚職や事務所費を不正に受け取っている報道もある。
一億円もの献金を受け取ったかどうか忘れたと開き直る姿。

いったいこれはどう言う差なのだろうと思う。

不都合な真実

映画「Darwin's Nightmare」(ダーウィンの悪夢) -きっと見ようね

2007-01-19 00:24:22 | 映画って !
英国の元首相マーガレット・サッチャー氏の父は雑貨商をしていたそうだ。
父は娘に店の商品の1つを指差して、それがこの店に来るまでに多くの国の多くの人々の手を経てそこに並んだのだと教えたと聞いた事がある。

そう言った広がりを想像する事は、これほど通信が発達した現在難しいことではないと思う。けれども最悪な事に人はそれを見ようとしないと言う性質があって、何事にも無関心であり続ける事が容易だ。

この映画の中身についてどうこう言っても仕方無いので一つだけ言っておきます。
「必ず見ておくべきです。」


以下参考資料
(※映画は魚の事だけを問題にしているのではありません。またナイルパーチを販売したり食べたりする事は法的に問題はありませんのでご注意ください。これは単なる耳慣れない名前のナイルパーチと言う魚への興味で調べたことです。)

ナイルパーチなる魚を魚屋さんで探してみたがそれらしき魚は売られていないのでインターネットで調べて見ました。
【生態系】 ナイルパーチ -WorldWatch

こんな一般情報はどこにでもありますね。
本当に日本でナイルパーチを食べているのか、これも検索してみたらちゃんとありました。しかし、風評被害と言われる恐れもありますからURLは書きません。簡単だから自分でやってみてください。

大手検索サイト運営のネット通販で購入可能のようです。他にも東京都にあるエジプト地名のレストランや北関東のペンションでもメニューにあったりします。

スーパーでも買えるらしいです。
2001.6月の魚 - 私的ハゼの百科事典

残業代ゼロ - イチローのように !

2007-01-17 00:56:33 | 日本脱出
「働く人、敵に回せぬ」世論読み誤った残業代ゼロ断念(朝日新聞) - goo ニュース


とうとう「ホワイトカラー・エグゼンプション」は法制化されない事になってしまった。残念、残念。

「残業ゼロ」だけが強調されてしまった事で目先の「給与所得が減る」と言う面だけが強調されてしまった結果でしょうか。



簡単に書いておこう。
1.自分の仕事に自信がある人、時間給を貰っている事が自分のプライドを傷付ける事だとは思いませんか?

->本音では傷付いている人は多いと思う。青色LEDの中村さんまではいかなくても、時間で評価される以上の働きをしていると自認している人は多いはず。


2.このままのやり方で日本人は今の生活レベルを維持できると思いますか?

->同じ額面の給料を貰っていても将来は無理だと思います。今の我々の生活が豊かに感じられるのは世界の他の国々より相対的に円が強いからです。(でなければ100円ショップであんなにいろいろな物は揃えられません。)

円が強いのは世界の中でそれだけ高い価値を生産する事ができているからですが、日本の価値の源泉である生産現場が海外に移ってしまってはこのままの円の価値を維持する事は不可能になってきます。

だからと言ってアメリカのように多くの知的財産を作って売っているかと言うとそうでもありませんから今の日本は微妙な立場であると思われます。



と言う事で、時間給をあてにして仕事する人の割合を日本はもっと少なくしていかなければならないと思います。



ついでに、上のニュースの中でちょっとだけ触れられているパートや派遣などの否正社員以外の労働者の待遇改善なんかは全く反対で、正社員を3年や5年など定期契約制化する等の方に力を入れるべきじゃないでしょうか。

スポーツ選手のような働き方する人がもっともっとたくさんいてくれた方が日本は絶対に豊かになるはずです。

ミュージカル「ライオンキング」 -責任を果すこと

2007-01-13 00:14:42 | 映画って !
初めて劇団四季のミュージカルを見た。

結論から言えば、この(元)脚本をちゃんと理解して作ってるんだろうか?と疑いたくなる内容だった。つまり前評判ほど良いようには思えないと言う事。

主人公は親を自分の軽率な行動から死なせてしまう。
その事で自らの責任能力を疑い、結局なるようになるさと楽な生活に入っていく。
だがある事がきっかけでそれでは良くないと思い返す。
自らの責任を果すべきであると。

しかしこのお話の中では悪役が退治される事により主人公が引き受けるべき罪と責任の重さは軽減されてしまい、勧善懲悪的な結末とも取れる結末になってしまう。
それでは怪獣映画と同じだ。


しかし、お話の中にはもっと重要な台詞が多く含まれている。
「僕たち(ライオン)は草食獣を食べるんでしょう?」
自然のシステムの中で肉食獣が草食獣を食べ、肉食獣が死ねば土になって草が養われ、それをまた草食獣が食べることによってバランスが保たれている。
そのシステムの頂点に立つものの責任に言及している台詞は多くある。

これは人としての責任に関する比喩と取っても良いと思う。自分の社会や自然のサイクルの中での役割をきちんと果す事が自らの責任であると。


残念ながらこの舞台では、そんな台詞の重要さが悪を退治する事で弱められてしまっている気がしてならない。(父の死の真相が明らかにならずに終わってしまっても主人公は同じように行動できたのだろうか?)

舞台装置もよくできているし、音楽も、衣装も良い。でもよく纏まり過ぎていて考えさせられるべき部分が隠蔽されてしまっているように感じてしまう。搾り出されるほどの主張が綺麗にまとめられて見えにくくなってしまっている。ライブ感も乏しい気がしてならない。奈落から響く生演奏が録音でも同じじゃないかと思えたりもしてしまう。

これに1万円以上払うのはどうなんだろうと思った。



追加
先日香港ディズニーランドでライオンキングを見たが、こちらは全然別物。音楽と踊りの美しさだけで良いなら香港ディズニーのショート版の方をお勧めしたい。

日本人の働き方は

2007-01-11 00:42:43 | 日本脱出
残業代ゼロの基準は年収900万円以上、と厚労相(朝日新聞) - goo ニュース

「残業代ゼロ制」法案提出前に理解必要…自民幹事長(読売新聞) - goo ニュース

残業代ゼロ制、「説明責任、十分ではない」 中川幹事長(朝日新聞) - goo ニュース

多くの人は時間をお金に換えるという方法で生活を支える糧を得ている。
「時間をお金に換える」この方法は仕事のやり方としては一番簡単だ。
本当にはすべき仕事が無かったとしても「そこに居る」事でお金が入る。

けっこう多くのサラリーマンや役人はそれで賃金を得ている。
自分はそうじゃないと言う人もいると思う。
でもやはりそう言うスタイルは日本では一般的だと思う。


ちょっと前まで台湾で働いていた身としては、
「日本人、このままで良いの?」
と、言いたい。


なぜなら、「時間をお金に換える」などと言う働き方はもっと賃金単価が安い他の国の人でもできるからだ。どう考えても、将来に渡ってこのままの(世界でもトップレベルの高い)生活レベルを維持していく方法がそれだとは思えない。


台湾では多くの(かなりの)若者が働きながら学校に通っていた。
アメリカやカナダ等への留学も多い。
多いと言うより一般的と言った方が近いかもしれない。
幼稚園児の頃から英語を習わせたりするほど親達も教育熱心だ。
現在の台湾人の賃金は日本人の半分程度。

あと数年したら日本人に支払う賃金より台湾人に支払う賃金の方が割安に感じられるようになるかもしれない。日本人がする仕事の質が台湾人のそれと比較して2倍もの価値があると、誰も思わなくなるだろうから。

本当の事を言えば、今だって2倍もの価値は無いと思う。
何故2倍もの賃金差があるかと言うと、本当に2倍も価値のある仕事をしていたり2倍も効率良く働いているのでは無くて、私達の親世代が作ってくれた日本と言う国の価値のおこぼれを頂くことができているからだと思う。親の遺産を食い潰しながら生きているのと同じようなものだ。

今の日本人はその賃金に見合うほどに勤勉でも優秀でも無い。
そのうちに台湾よりもっと単価の安い国の人に単純労働どころかもっとインテリジェントな仕事まで持って行かれるに違いない。アメリカでトップクラスの教育を受けた中国人やインド人の方が安いし人数だって多いのだから。


いつまで残業代で生活を楽にしようとするのか日本人。
いつまでボーナスあてにして住宅ローン組むのか日本人。

日本人がしなければならないのは長時間労働じゃなくて労働自体に価値を付ける事。つまり単価を上げる事なのじゃないのか。


ホワイトカラー・エグゼンプション」を法制化されてサービス残業させられるのが嫌だなんてつまらない心配してるより、1日8時間+残業を1日6時間にしても今までの2倍や3倍結果を出す仕事をすべきじゃないか。

天気予報がどうした!

2007-01-10 17:53:04 | 日本脱出
久しぶりに日本に帰ってテレビをつけると.....
天気予報がやたらと多いと思った。どうも日本人は天気予報が好きらしい。


海外でテレビを見ていてそんなに天気予報が多いと思った事はない。
こんなに多いのはもしかしたら日本だけだろうか。

天気予報を見て傘を持っていくかどうか決める?
今日は厚手のコートにするか薄手のものにするか決める?
でもそんな事意外、天気に関して何かできるの?


そう言えば台湾に来て「暑い」を連発する日本人は多い。
まあ、それは当たり前。日本より赤道に近いんだから。

でもね、だからそれに対して何ができるの? こんなに時代が進んでも衣服にエアコンは付いていないし、ましてや天気を変えたり気温を操作することは現実的じゃないよ。


暑いとか寒いとか、自分にどうにもできない事について文句言っている暇があったら
、その時間をもっと自分にできる何かに当てた方が良いんじゃないかな? お天気や気温が何かができない言い訳になるなら天気予報なんて無い方がマシだと思うけどね。

虫の一生

2007-01-05 23:09:33 | 日本脱出
朝目覚めたらボクは虫になっていた。
ボクは仕事に出かけた。
同僚たちも皆、虫だった。

彼らは群れを為して仕事場目指して歩いていた。
ボクもその群れに従った。
それが自然だったから。

しばらく行くと正面に大きな石が転がっていた。
先頭の虫が右に避けて歩いた。
ボクたちは従った。

またしばらく歩くと上から枯葉が落ちてきた。
ボクたちは必死になってそれをかわした。

群れの歩く方向は真っ直ぐからちょっと左に逸れたようだったが、ボクたちは気にしなかった。また歩いた。

さらに行くと大きな水溜りがあった。
群れはさらに水溜りを左に迂回した。
なぜ左に行ったかはわからない。
でもボクは群れについて歩くべきだと思った。

夜になった。
寒くなってきたのでボクたちは歩くのを止めた。
地面に接した6本の足が次第にかじかんで体温を奪い始めたから。
ボクたちは円陣を組んで互いに体温を与え合った。
これで朝まで凌げそうだ。

ボクは考えた。
朝目覚めてボクは何処に行こうとしていたのだっけ。
いくら考えても思い出せなかった。

ただ、ボクには人間だった時代がある事はわかった。
人間だった時にはもっと視野が広かったと思う。
ボクの立っているこの地面の向こうに街があり、その先の草原には花が咲き、さらにその先には山があり、鳥や動物達が住んでいた。もっと先には海がありたくさんの魚が悠々と泳いでいた。そしてもっともっと先には見たことのない大陸が広がりサイやカバやライオンやキリンなどの野生動物が暮らしていた。そこに広がる大空の高い高いところから丸い地球を眺めることも想像できた。その先には宇宙がどこまでもどこまでも広がっているようだった。その宇宙は長い長時間をかけてできたものらしかった。その時間から見れば人間の歴史はほんの少しの時間であった。そのほんの少しの時間の中でも人間は多くの発見をし多くの発明をし多くの文明を築き、そして歴史を作りあげてきたのだった。


ただ、今のボクにはそんなものはどうでも良いものだ。
今ボクに必要なのは歩いて行った先に出現するあらゆる危険を避け、餌を探して歩き回ることだけだ。鳥に啄ばまれる危険を避けるために群れから離れないようにせねばならぬ。風に飛ばされないように手近な何かに捉まったり何かの陰に隠れるのだ。

うまく行けば死ぬまで生きられる。
それが今のボクの人生なのだ。

初詣、行きましょう。

2007-01-03 21:23:41 | 日本脱出
年始には初詣だが、仕事に入る前には朝礼がある。
特に必要な報告事項などはほとんど無い。
別にやりたくてやっている朝礼ではない。今までずっとやってきたから、どちらかと言えば止めるきっかけが無いままに続けているだけの事。しかもこの伝統は台湾に来てまで継承されている。たいした人数でもないのに。


こればかりではない。
日本人のビジネスには決まり事がとても多い。
面倒臭いと言ったらこれ以上のものは無いほどだ。

だが、ほとんどの者はその慣習的行事に意味らしきものの片鱗さへ見出していない。
何のためにそれをするのか知らないし興味すら無い。
ただそれに従って時を過ごせばそれで足りるものもあると言うだけだ。
考えていたって始まらない。

けれども中にはそれを執り行う事が使命と感じている無邪気な者もいて、もちろんそれは一応正論だったりルールなのだから当然行われるべき儀式として続けられることになる。


そうなってくるともう、それは守るべき伝統であり儀式となり神への御捧げとなる。
儀式が開始された当時は意味をもつやり方だった可能性もあるが、それが継承されるに従って意味よりも形が、それを行う事自体が目的になっていく。

そして儀式は人々を拘束し自由を奪う。想像力を奪う。進歩する手段を葬り去ってしまう。


日本人はいつしか伝統儀式の僕(しもべ)となってしまった。
今や若者はそこにある物や方法やルールや法律を当然のごとく利用するだけの存在だ。

日本人は立派なVoodoo教徒なのである。
初詣はVoodoo寺院へどうぞ。

2007年元旦 -願掛けず

2007-01-01 11:49:55 | いろいろ雑記帖
あけましておめでとうございます。

台湾の新年は2月なので何も無い静かな休日です。
窓の外からは名も知らぬ鳥の声が聞こえています。
この街中にあっては珍しい爽やかな雰囲気を醸し出してくれています。


子供の頃にはよく両親に連れられて初詣に行きました。
灯篭に火の入った参道では甘酒が振舞われていました。
境内に焚かれた炎に手をかざします。
顔を赤く照らされた人々が何か日常とは違った言葉を交し合っていました。

父からもらったお賽銭を投げ鈴を鳴らします。
お小遣いが増えますように等と子供ながらに言ってみます。
神様にお願いする事など何も思いつかなかったと言うのが本当でしたけれども。


それから多くの時を経ました。
私は何かを得る事ができたかと自問します。
得たとも言えるますし、そうでないとも言えます。
私は何も持つことができませんでしたが今ここにいて今生きています。
それだけで充分得るものがあったように思います。
自分の力だけでそれができたのでは、もちろん無いです。


そして今年も神様にお願いすべき事は何も思いつきません。