第一印象:この映画、日本で公開して誰が分かるっての?
まず、英語のニュアンスが、特に列車の中で見つけたメッセージをストーリーと結びつけられるように訳して字幕にできるか?無理じゃないかな。
なぜ主人公がメッセージを集める事に情熱を傾けているかって?
「日常生活の中にあるメッセージに耳を傾けなさい。」その中にヒントや答えがあるとするニューエイジ的な考え方に基づくものと思われる。全ての物事はある流れの中にある。だから偶然と言うものは無く、全て必然なのだと。
主人公は仕事柄いろいろな言葉を収集しているのだけれど、その心の奥にある動機まで映画から読み取るのは難しい。ましてこの映画から主人公がどんな信条のもとに生きているのかを読み取るのは。
と、そんな事を想像せずに見るなら、この映画で「灯台」が何度か出てきた事を「偶然」として見るしか無くなってしまう。「灯台」や数々のメッセージを偶然として処理するならこの映画は単なるアホが作った映画でしかない。
でもこの映画では必然でないと思われる物やメッセージを必然として捉えて欲しい、いや、そう捉えるべきだと言う考え方が底に流れていると見るべきだ。
ケ・セラ・セラ なるようになる。これは自暴自棄的なメッセージでなくて、流れに沿っていけばあなたは「大丈夫」と言う積極的なニュアンスのイメージだろう。主人公はそれについて少し疑いを持っているけれど。
でも、それらのメッセージが自分を良き未来へのメッセージなのか、それとも死のメッセージなのか、分かり難い事になってくる。結局はその両者だったのだけれども。
では、あのメッセージに囲まれた部屋が"in the cut"だったのかな。
(結果:ほとんど無理です。メグ・ライアンがどうの...ってだけの映画に解釈されるだろうな。)
in the cut: 切れ目、割れ目、女性器、安心できる隠れ家
Que sera sera(ケ・セラ・セラ):ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」でドリス・デイが歌った曲。
♪~ケセラ~セラ~、なるようになるワ~、先のことなど~、わからない~♪(ペギー葉山が歌った歌詞)
参考:People who knew too much.
The LightHouse(1855): ウィルキー・コリンズによる戯曲。「クリスマス・キャロル」で知られるチャールズ・ディケンズの演出により公演される。
参考:ディケンズの演劇活動---"The Lighthouse"の上演 西條隆雄
追加
やっぱり誰も分からなかったらしいね。
イン・ザ・カットのシネマレビュー
追加
さっきプロの評論家さんの書いたものを読んでみたのだけれど、やっぱり分かってない。「40代の女性主人公が性と愛に目覚めていく」とかメグ・ライアンのヌードシーンしか話題にしていなくて、結局ダメ映画の烙印。
確かに分かり難いとは思うんだけれど、あんなにたくさん出てくる偶然についての考察や普通の大学の先生が自分をわざと危険な方向に導いてしまう動機については誰もが素通りしてしまっているのが不思議だ。灯台の授業に灯台の置物に本物の灯台、ウェディングドレスとプロポーズ、茂みの下のキスとブロージョブ。これが素通りされるなんて。
「40代の女性主人公が性と愛に目覚めていく」って書いたのは映画の配給会社の宣伝文句を見て先入観ができてしまっているからじゃないのかな。
まず、英語のニュアンスが、特に列車の中で見つけたメッセージをストーリーと結びつけられるように訳して字幕にできるか?無理じゃないかな。
なぜ主人公がメッセージを集める事に情熱を傾けているかって?
「日常生活の中にあるメッセージに耳を傾けなさい。」その中にヒントや答えがあるとするニューエイジ的な考え方に基づくものと思われる。全ての物事はある流れの中にある。だから偶然と言うものは無く、全て必然なのだと。
主人公は仕事柄いろいろな言葉を収集しているのだけれど、その心の奥にある動機まで映画から読み取るのは難しい。ましてこの映画から主人公がどんな信条のもとに生きているのかを読み取るのは。
と、そんな事を想像せずに見るなら、この映画で「灯台」が何度か出てきた事を「偶然」として見るしか無くなってしまう。「灯台」や数々のメッセージを偶然として処理するならこの映画は単なるアホが作った映画でしかない。
でもこの映画では必然でないと思われる物やメッセージを必然として捉えて欲しい、いや、そう捉えるべきだと言う考え方が底に流れていると見るべきだ。
ケ・セラ・セラ なるようになる。これは自暴自棄的なメッセージでなくて、流れに沿っていけばあなたは「大丈夫」と言う積極的なニュアンスのイメージだろう。主人公はそれについて少し疑いを持っているけれど。
でも、それらのメッセージが自分を良き未来へのメッセージなのか、それとも死のメッセージなのか、分かり難い事になってくる。結局はその両者だったのだけれども。
では、あのメッセージに囲まれた部屋が"in the cut"だったのかな。
(結果:ほとんど無理です。メグ・ライアンがどうの...ってだけの映画に解釈されるだろうな。)
in the cut: 切れ目、割れ目、女性器、安心できる隠れ家
Que sera sera(ケ・セラ・セラ):ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」でドリス・デイが歌った曲。
♪~ケセラ~セラ~、なるようになるワ~、先のことなど~、わからない~♪(ペギー葉山が歌った歌詞)
参考:People who knew too much.
The LightHouse(1855): ウィルキー・コリンズによる戯曲。「クリスマス・キャロル」で知られるチャールズ・ディケンズの演出により公演される。
参考:ディケンズの演劇活動---"The Lighthouse"の上演 西條隆雄
追加
やっぱり誰も分からなかったらしいね。
イン・ザ・カットのシネマレビュー
追加
さっきプロの評論家さんの書いたものを読んでみたのだけれど、やっぱり分かってない。「40代の女性主人公が性と愛に目覚めていく」とかメグ・ライアンのヌードシーンしか話題にしていなくて、結局ダメ映画の烙印。
確かに分かり難いとは思うんだけれど、あんなにたくさん出てくる偶然についての考察や普通の大学の先生が自分をわざと危険な方向に導いてしまう動機については誰もが素通りしてしまっているのが不思議だ。灯台の授業に灯台の置物に本物の灯台、ウェディングドレスとプロポーズ、茂みの下のキスとブロージョブ。これが素通りされるなんて。
「40代の女性主人公が性と愛に目覚めていく」って書いたのは映画の配給会社の宣伝文句を見て先入観ができてしまっているからじゃないのかな。
あのヒロインの内面は、相当子供ですね。
思春期の子供の、訳のわかんない感じが出てるような気がして、なんか不思議な映画でした。
<なぜ主人公がメッセージを集める事に情熱を傾けているかって?>なんてことも、考えなかったなあ。
この映画の中に、どんなメッセージが込められているのか読み取るのはむつかいいです。
レンタルして観たんですが、あまりに訳がわからなくて検索して来ました
読ませていただいてちょっと納得しました
コメントありがとうございます。
アメリカ映画ってメジャー志向で作られているのかと思ってしまうものですが、けっこう思想を反映しているものがあるようで日本人にはよくわからないものが多いですね。