大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

あの百日草が!

2011-11-05 | 日記
とつぜん百日草が首を真下に落とした。
百日草と出合ったあの日から半月過ぎて、とうとう百日草は逝った。
毎日ピンとして色艶もよくてすっかりそれが日常化していた。
あらためてよくよく観察してみたら花の付け根から5センチ下のあたりがキュッと萎んでいる。
真紅の花の色がくすんで褪せてすっかり生気を失った。昨日まで元気だったのに。。。。
今朝突然、まるで自分で選んだかのような最後だった。
この半月、咲き続ける百日草の花を両手で挟んでは頬っぺたすりすりして愛おしんだ。
考えてみたら長生きした。同じ日に、夫が選んだ花はとっくに枯れている。
ひとや動物の死に対面したときいつも感じる「ぬけがら感」が一本の花からも感じられた。
生きている時に感じるその存在の意思が、自分に伝わってこないことで初めて実感する喪失感。
ぐったりと腰を二つに折って下を向いていた百日草が、まっすぐ背すじを伸ばし、その花びらを真上に向けて
咲き続ける姿に、自分の心がどれほど勇気づけられていたかという事を知らされる。
何も言葉を発せず、身振りも手振りもするわけでなし、与えられた環境の中でただ生きて
そんな姿がだれかの心を勇気付け、癒し、愛おしまれ、だれかの心の中に生き続ける、そんな生き方を花に教わる。
自分もそんな存在になりたい・・・なれるだろうか・・・・黙っていつもニコニコただ生きていれるだろうか。。。。。
口が静まっているのは食べる時と寝ている時。編んでいるとき。一人でいるとき。
しかし、目の前に誰かが現れたとたん口が開く。聞かれないことまで自分から喋る。聞かれれば延々と語る。
結果いつも口疲れて(しばらく人には会わんトコ。。。)と決心する。ほんとうに、これ、なんとかしたい。
ここから抜け出せれば、一皮剥けた自分のめざす大人のいい女に一歩近づくのだ。


山崎家で70年前まで使っていた「足踏み脱穀機」 

今回は 黒米を皆の手で脱穀しました


まずは 脱穀だよ



篩いに掛けて 大きなゴミを取り除き


とうみに掛けて 細かいゴミを取り除き 実入りのわるい米と選り分ける


夜8時 やっとやり終えたね 万歳!


ネズミとアライグマから守る為 籾を入れておく保存庫を早速作ったよ