大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

スイス旅行顛末記 その7

2014-05-10 | 旅行
スイス⑦
娘が週に一度参加する英会話教室に、母もどうぞと先生の了解も頂き、参加することになる。
当日朝、「母さんの自己紹介文書いてみて」と言われて、レポート用紙に向き合う。
言いたい事たくさんあって、長々と書いていたら、娘にどんどん削除された。
「全く通常の授業になるかもしれないし、母さんにだけ時間割けないからね」と言われたり・・・
「でも、質問攻めにあうかも知れないから」とも言われて、どっちでもいいか・・・・
日本の北にある小さな村(ほっかいどうなんて知らないと思うと言われ)で農業をしていること。
結婚したばかりの娘がスイスで暮らすことになり心配していたが、来てみて安心したこと、
今日はあなた方に会えて本当にうれしいです。というようなことを簡単に書いて、
それを娘が英語に書き直した原稿を台所のテーブルで練習させられた。
発音を何度もチェックされて、映画「英国王のスピーチ」気取り。行く前からドキドキしてくる。
バスで15分くらいの場所にある町内会館のような施設の一室に入っていくと
70代80代にみえる年配の女性たち4-5人が私たちを迎えてくれた。
先生はイギリス人のミデイさん。60代位の女性で、握手しながら”ラブリーラブリー”と言う。
皆、お互いに一人ひとりと念入りな挨拶を交わし、娘とわたしにも”ラブリー”と盛んに言うので
「母さんって、まだ若いからラブリーなのかね?」とウキウキ聞いたら、「ちがう」と娘。 
「今、共に在るこの時間が”ラブリー”っていうことだと思う」 「あ、そうなんだ。。」 すてきだな。。。。

最初の一人一人との長い挨拶で、用意してきた自己紹介文は特に読み上げる必要なく授業に入る。
各々A4版の分厚いテキストに向き合い、順番に1センテンスづつ英文を読みながら進んでいく。
毎週来ているひとも、久しぶりに顔をだしたひとも、すごく真剣にテキストに向かい合っているのが印象的。
ミデイ先生も特に私に気を使うわけでもなく、淡々とテキストに添って授業を進める。だだ、ただ聞いている。
授業が終わりそのまま解散、となりそうになって、「実は母がこれこれしかじか。。」と娘が切り出した。
ご一同、「oh!!!」とわたしのスピーチに耳を傾け、笑顔で拍手してくれて、一仕事終える。
しかし、誰からも何の質問もこず。。。また、ひとりひとりと長い別れの挨拶をかわす。
ニッポン国に興味ないのかな?と思うほど、いつものメンバーと飛び入り異邦人の分け隔てがない感じ。
しかし、こんな高齢になってから他国語を学ぼうって意欲はどこから来るのだろう?
こうして分厚いテキストを開き、発音する自分の声を聴くだけでも気持ちが沸き立つな。。と想像した。

解散した後お茶に誘われたが、残念ながら次に行くところがありバイバイ。
いつものようにホールの片隅にあるカフェで一息ついてお喋りして帰るのだ。
ふと、生徒の一人ベテイさんが「気を付けて帰ってね」と英語で言ってくれて、「さんきゅー」と英語で返したとき
一瞬ものすごくはにかんだような表情になって、それがいつまでも気になっていた。。。
しばらくして、あっ、と気づいた。  ドイツ語でお礼を言えばよかった。。。。。と
その一言は、英語でなく、彼女の母国語で心を込めて言いたかった。。。。。

スイスの人たちは長い歴史の中で想像もつかないような国民一人一人の本能で、愛国心、自立心を
培い、育みながら、全世界に向かって永世中立国として存在し続けてきたのだろうな。。。
世界地図の中のスイスは、日本よりまだ小さく、よくまあ此処にこの面積だけ残されたものだと思う。
移民も多いというから興味本位に他国人に対して心は開かないだろう、と静粛な気持ちになる。


スイス旅行顛末記 その5

2014-04-12 | 旅行
スイス⑤
「母さん、週末2泊でサンモリッツの雪上競馬見に行かない?」日常の暮らしをひとまず満喫した頃誘いを受けた。
スイスの地図を時計にたとえて4時の辺りにあるサンモリッツ。高速道路を使って車で3、4時間というから、
長沼からだと釧路まで行くか行かないか、、ってかんじなのかな。。。。地図のすぐ下はイタリアだ。
凍った湖にコースをつくって競馬をするという、年に一度のお祭り。標高が1856Mとあるから寒そうだ。
せっかく寒い北海道を逃れてきたから雪も見たくないし、競馬には興味ない。車で4時間も疲れそう。。。。。
が、「母ちゃん留守番してる」と言ったときの娘のがっがりした顔を見たら、「イクイク!」と気持ちがひっくり返る。
この祭りはスイス中の大金持ちが毛皮を着て観戦にくるのだとガイドブックにあり、ではそれを拝見と一応目的を持つ。
サンモリッツから10分ほど離れた小さな町の石造りのホテルは1914年生まれの100歳。なのに、まだまだお嬢さんって感じ。
娘たちとは別の一人の部屋で、朝5時ごろ目が覚めテレビをつけたらドイツ語で日本のハイジを放送していた。
オリンピック中なのに、スイスのテレビ局は国民をオリンピックに釘付けないような素っ気なさで、自分のオリンピック熱も上がらず。
小さな教会の屋根に大きな鐘がぶらさがっていてそれが朝グァラ~ングァラ~ンといつまでも鳴り響く。日本なら騒音扱いレベル。
町の周りは3000M級の山々が青い空に向かって真っ白にそびえて連なり、石造りの町がその山裾を飾り支えて調和している。
直ぐ近くの2456Mの山へ行く登山電車に乗り込むと、老若男女小さな子供も皆、そりを持っている。スキーじゃなくてソリなのか。。
10分ほどかかって到着した山頂に太陽光発電装置を備えた立派なホテルがあり、そのテラスで皆ビールを飲んでいる。
2456Mで冷たいビールなんかとんでもない、と思ったら日差しが強くてだんだん暑くなり、冷たい物が飲みたくなってきて、なるほど。。。
ふもとまでそりのコースが整備され、みなキャーキャー叫びながら滑り降りるのを、おしっこちびる位ゲラゲラ笑いながら観る。
結構急なコースを小さな子どもまで、ひっくりかえりながら下りていくのを見ていたらやってみたくなる。が、止める。
夜、食事するために外に出たらさすがに寒く、正月明けに行った帯広の凍りつくような寒さを思い出した。
翌日は正午開会の競馬場にバスで行く。ホテルにもバス停にもいたいた!毛皮の人!さすがに着こなしが決まっていて、みとれる。
会場には、もっといるいる!毛皮の人、人。 ウサギなのかキツネなのか熊なのか、ミンクなら何匹使ってるのか$$という目で見る。
ロングコートに身を包んだ人たちの手には必ず愛犬のリードが握られ、様々な種類の犬たちと毛皮の人々はセットのようだ。
そして、それに報道カメラマンが集中し、人々の視線が集中しているのを毛皮の人々はきちんと受け止めて応えているのだった。
これが、サンモリッツ雪上競馬の見所だとしたら、市長から国中のお金持ちに、毛皮着用参加依頼状が届けられるのかどうなのか。。。
毛皮の彼らは競馬にはさほど関心ない人も多く、皆広場のパラソルの下でワインやビールを飲みながら談笑していた。
娘と婿さんは、前日から本気で競馬新聞みて的を絞り込み、馬券売り場の英語が分からないドイツ語のおじさんと四苦八苦しながら
手堅く本命買いで大枚一万円相当をつぎこんだ結果、娘は600円戻り。婿さんは一万円戻り、結局チャラだが二人はルンルンだった。
サンモリッツから戻る道路は渋滞で裏道を探していると女性の声のナビがUターンUターンと本来の渋滞道に誘導する。
それを無視して進んでいたら、突然ナビが新しい道に案内してきた。「おお!!その手があったか!」とそれに従う。
要するに、ちょうど釧路から長沼に帰る38、274が渋滞だから、網走経由で旭川方面からのルートに変更したのだ。
そのルートはカートレインがあり、峠越えを鉄道でする。車に乗ったまま順番に前から詰めて乗り、いっぱいになったら出発。
係員がいるが、注意事項とか何も言わない。アナウンスもない。これで落ちないのか、チェックしてくれてるのか?などと思う。
日本にいたら至れり尽くせりにどっぷりつかって、さらに何かあれば相手が言ってくれないから、、なんて思ってるな。。。。
高い山のお腹をくぐって、3人とも大満足。 いや~~~楽しかったな。 カートレイン、目からうろこの発想だった。
夜9時過ぎに家に着き、娘がキッチンの白い大きな扉を開けてインスタントラーメンを出し、3人でハフハフ食べて寝た。
     楽しいと、なんでも楽しいんだな、、、

スイス旅行顛末記 その4

2014-04-01 | 旅行
スイス④
今年のチューリヒは暖冬で雪が無いのだという。2月の気温もプラスで、上着を着て歩けば日中は快適。
街中を縦横無尽に走る電気バスに乗ってお使いに行く。ちょうど宮の森から札幌大通りに行く感じだ。 
様々なルートがあるので今日は何番で街に出ようか。。と娘が気を回してくれる。
日本の友達に手紙を出すために出向いた中央郵便局は石作りの大きな立派な建物だった。
市役所は中央から離れた場所にさりげなく建ち、郵便局よりも長沼町役場よりこじんまりとしていて驚く。
その町の中心にドンと派手に存在すること多い日本のその考え方とは、どこがどう違うのかな。。。
郵便局で手紙を出し、そのすぐ近くにあるシャガールのステンドグラスで有名な教会にふらりと立ち寄る。
平日のせいか観光客は少なく、20人くらいの小中学生が床にペタンと座ってステンドグラスの写生をしていた。
ぺちゃくちゃとやかましい子ども達を、引率の先生らしい髭の立派な男の人が、私たちを気付かってたしなめている。
「だいじょうぶですよ」という気持ちで彼の眼を見て微笑むと、「ありがとう」という表情で微笑み返してくれた。
日本で同じ場面に遭遇したら、「やかましーい!」と子供の首根っこ掴んでるかも。。と思ったら可笑しくなる。
お使いに出たら必ず本屋で一休み。編み物の本・料理の本・絵本、と、文字が読めなくても楽しめる本を探して、
店のあちこちに設置してあるソファーに座り、ゆっくりページをめくる。どの書店も図書館にいるみたいに自由だ。
小腹がすいて、チューリッヒ湖畔の屋台でフランクフルトとパンを一人前(700円)買い、二人でベンチっで食べた。
ちょっと高い?と思うがパンが美味くて「まあいいや、、」 喉乾いたらカフェでコーヒーを飲む。これもまずまず。
スターバックスやマクドナルドはたまに見かけたが、ユニクロは無かった。ダイソーも無い。
「SPAR」があちこちにあって驚いたが、ヨーッロパが本拠地だと知ったら、北広島に一件あることにびっくりした。
「kiosk」がバスターミナルにも鉄道の駅の中にも必ずあって、にっぽん国JRの専売特許だと思ったら、
これも中東や地中海沿岸で発達した庭園の簡易建造物のことだと、全部グーグルが教えてくれた。 
知らなくても少しも困らないが、知ったらなるほど~~~と愉快になる。
  週末、婿殿が会社の同僚2名とチーズフォンデユの店で会食するという席に呼んでもらった。
娘が日本で会社にいた時の顔なじみということもあり、娘の数々の失敗談に花が咲き、親の立場を忘れて爆笑。
仕事に行き詰まって、夜になると毎日死にそうな声で泣きながら電話をかけてきたのがなつかしい。
「それ、母さんに言っても解決しないから、会社の人に相談しなさい」と心を鬼にして突き放したら
その役割を上司だった婿さんが引き受けて、そしてその結果、こうなった。
人事部の婿さんが「あの子秘書課にどうかな?」と相談したSさんの「いいね」の一言で地獄に落ち、仏に会う。
そのSさんもスイスに赴任して目の前でフォンデユの鍋をつついているこの不思議。 
「自分が自分でいられない会社ならすぐに辞めなさい」と本気で言ったのに、、、親の言うこと聞かないから、、、、、
そのおかげで、今自分はスイスにいる。。。つくづく何がどうなるかなどわからないものだと思う。

スイス旅行顛末記 その2 ”麺食らう”

2014-03-20 | 旅行
日本を発って36時間、チューリッヒ時間で10日朝9時すぎ、ようやく娘の家にたどり着く。
そして、やれやれと3人でお茶を飲んだような飲まないような、、その時のことは覚えておらず、、
カアチャンちょっと一眠り。。と2-3時間眠って起きたら婿さんは出勤した後。元気だな。。
「母さんお腹すいてない?」と娘が湯を沸かし、スイスでの初食は、日清の”どんべい”だった。
明るくて広くて洗練されたキッチンの白い大扉を開けたそこには、ヨリドリミドリのインスタント麺が
キッチーンとぎっしり並んでいる。 その、あまりのギャップに面食らいながら麺を喰らう。 
娘の麺好きを知る日本から出張に来る会社のめんめんが、手土産に持ってきてくれるのは麺。
うどん、そうめん、佃煮にお茶漬けの素、味付け海苔、きのこご飯の素、江戸歌舞伎揚げ、、、、
台所の棚の中は日本語で溢れていた。 毎日この麺ならゴメンだな・・と思いながらその日の夜何食べたか覚えておらず、、、
翌朝6時ころ目が覚めてキッチンにいたら.シャワーを浴びて会社に行く支度をした婿さんが入ってきた。
真っ白な壁に組み込まれていた大型冷蔵庫(こんな所にあったのか!)からヨーグルトと牛乳を出して一人で手際よく摂取し、
「毎朝じぶんで適当にやってます。じゃあ、いってきます。」とニコニコと出かけて行った。娘はまだ起きてこない。
ここに来た目的は、やはり飯炊きおばばか・・・・・そんなことだろうとは思っていたが、、腕が鳴る、ぶんぶんぶん♪
しかし、一応この家の主婦である娘の領域に無遠慮に踏み込んでは角が立つ。けんかしたら逃げ場が無いし。
くれぐれも説教めいた余計なことは言わぬようにと自分に言い聞かし、注意深く暮らし始める。
が、朝早く目が覚めてしまうので、いつだれが食べてもいいように、みそ汁とおにぎりを握って置いておくようにした。
やがて起きてくる娘と婿さんが二人そろって幸せそうに味噌汁をすすっている姿をみるのが母にとっては何よりのご馳走だ。
そのあと自分はパンとコーヒーでゆっくり朝食。こちらのパンはほんとうに美味しくてパン好きにはたまらない。
婿さんがおにぎりを弁当に持っていくようになる。会社の近くでランチをすると2000円かかるという。
娘は日中何しているのかと思えば、絵をかいたり、粘土遊びしたり、紙工作したり、、、まるで夏休みの小学生だ。
母は山になった洗濯物、ワイシャツのアイロンかけ、、、、いくらでもやることが見えてしまい、せずにいられない。
「あ、かあさんやってくれたの~~ありがとー」と言われると、さらに何かないかと探してはせっせとやる。
やることが山のようにあって一日中退屈知らず。面白くて仕方ない。
おしゃれな家具や調度品付きの部屋には、ちょっと不似合いなほど使い込まれたアイロン台が洗濯室の前に置かれていた。
この部屋の持ち主の奥さんもアイロンかけ大好きだったのかな。。。と想像する。
こんなに遠く離れた国でも、衣服を洗い、アイロンで仕上げ、食事するために食器を使い、その食器を水で洗い、、、、
スーパーには野菜があふれ、あらゆる食品や調味料、パック詰めのお惣菜、海苔巻、生寿司までが並んでいる。
毎日毎日繰り返される衣食住の生活は世界中どこにいても同じなのか。。。
食事は悲しいことがあった時少しだけ食べる法律の国とか、嬉しい時にはお腹がすかない人種とか、、、いないのだろうな。
 なのに、言葉と文字だけがどうしてこんなにちがうのかな・・・・


スイス旅行顛末記 その1

2014-03-16 | 旅行
ただいまーーー!! (急だったので”行って来ます”もありませんでしたが・・)
娘婿の赴任先のスイス・チューリッヒで3週間過ごしてきました。
「2月の初め東京に行く」と連絡が来ていたので「ならホテルに米送るから持って帰って」
となっていたのが、「母さん一緒に行かない?」婿さんが飛行機代出してくれるという。
「行く行く、それなら行くーー!」と2つ返事。善は急げ。ありがたや。一生分の米と相殺ね。
 2/9、関東大雪・大混乱真っただ中の成田空港に予定通り到着し、娘と婿さんが
乗り換え出口で待っているとばかり思いきや、都内のホテルからのバスが運休。電車もだめ、
タクシーで向っているが、フランクフルト行の便には間に合いそうもないと連絡が来た。
(あ、そう・・・)と、千歳で預けたらあとはチューリッヒまで自動的に運んでもらうはずだった荷物を引き取る。
米7k、麹、大豆、塩各1k、餅2k他を詰め込んだカバンは片手では持てず、
ガラガラのついてない普通の小さなバックだから、カートに載せたら隙間から落ちそうだ。
空港の通路は毛布を巻いて横になっている人、人、人、、、、成田市内のホテルは2日前から満杯らしく。。。
娘たちの到着をベンチに座って待っていたら、「食堂やレストランも、もう食材が尽きているみたい」という話が
耳に入ってくる。今日はここで夜明かしか、、とタクシーで空港に向かう娘に食料調達を発令する。
1時間ほど待ってようやく3人合流し婿さんがANAのカウンターに行くと、なんと出たはずのフランクフルト行は
機材はあるが、機材を動かす人の到着が遅れて出発できずにいた。 あっはっはーと大笑い。
そして、悠々とチェックインを済ませ、ゆっくりコーヒータイムしながら4時間遅れで成田空港を飛び立った。
飛行時間12時間、時差がー7時間。予定通り昼の12時に成田を出ればフランクフルトに夕方4時着、
チューリッヒには夜の7時過ぎに到着するはずだったが、フランクフルト空港には夜の9時着となり、
ANAの計らいで思いがけずドイツのホテルで一泊することとなる。
私たちの様にここで乗り継ぐ人が20人くらいいたが、荷物を受け取った人から順番にANAの担当の男の人の
誘導でホテルに向かうバス乗り場に急いでいる。私たちの荷物はいくら待ってもなかなか出てこず、
ドイツ人らしいANAの女性が「イシイサン、イシイサン、、モシモシ」とトランシーバーで彼を呼び続けている。
あのひとイシイサンなのか。イシイサンの仕事も大変だな。イシイサン段取り悪そうだな。と勝手なこと思う。
「ねえ、もしわたし一人で来ても、イシイサンがいてくれたらなんとかなるかな?」と婿さんに聞いたら
「ならないと思います」とはっきり言われた。
こんなに至れり尽くせりは日本だけらしい。他国の航空会社ならホッタラカシにされて当たり前らしい。
ようやく米と麹と豆と塩と餅の入った小さなカバンが再び手元に戻された。
「まるで鉄アレイのようですね、お母さん」と婿が呆れ顔で自分のスーツケースの上に載せてガラガラ引いてくれる。
最後に残った日本人5-6人を乗せたバスがホテルにむかって走りだした。夜の10時を過ぎていた。
一寸先に何が待っているのか想像もつかないことの連続。
すべてを放して天に任せて今の一瞬を味わう。