大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

真の母性・真のボス性

2011-04-25 | 食生活
新入りの「かぶ」がメンドリかーさんにかぶりついた。
かーさんの背中の羽根がむしり取られ首まで真っ赤に充血している。
かーさんは倉庫の玄関前の隅でじっとうずくまっていた。
思わず抱き上げて家の中に避難させる。体が熱い。
抱かれていても動かずじーっとしている。かあさんごめんねごめんねごめんんね・・・・・
子犬のかぶは他の犬たちとじゃれあうように母さんの背中に抱きついたのだ。
かあさんは、そんなかぶをわかっているのか、おびえたり怒ったりする様子は無く
ただただ傷みをじっとこらえてうずくまっている、という風にみえた。
メンドリの母性の前にニンゲンのメスはひれ伏し、胸が熱くなり、涙がとめどなく流れた。
(元通りに羽根が生えてきますように)と何度も祈りながら、背中の傷口に枇杷の葉エキスをかけた。
翌日はずいぶん元気になって少し歩き回るようになり、ココアを溶かした水をお椀一杯のんだ。
かーさんは、かぶがはじめて我家に来た夜、淋しくてキュンキュンないているかぶを自分の小屋に入れて寝かしつけた。
おととしの春に、はるか農園で産まれた「きみ」と「たち」が来たときも同じようにかーさんが自分の小屋で育ててくれた。
きみ・たちは、畑で虫をつついて首を上下するかーさんの後姿を見ながら、同じ動作で畑を散歩するようになった。
いつの間にか、メンドリかーさんは犬たちの前で、決してひるまず、堂々と暮し始めていた。
過去に10羽以上いたニワトリはおおかた犬たちに襲われて命を絶っており、ここは常に命がけの空間なのだ。
かぶは夫にも私にもさんざん叱られ、子犬だからと土間に入れて一緒に過ごしていたが、〆出された。
雨が降ってずぶ濡れになり、クンクン啼きながら入れてくれと懇願するが夫も私もかぶを中には入れなかった。
しかし、ふと、かぶは自分が何故叱られているのか分かっていないのではないか・・・と思い
「とーちゃんがボスなんだから、そこんとこをかぶにきっちり教えないとね」と夫に言う。
「そんなこと分かってる。でもあんたは大ボスだろ。。。」と暗に反論してきた。 ばれていたのか。
(確かに、実は、何を隠そう、ここだけの話、私がこの家の大ボスです。亭主は関白、わたしは天皇。いひひひ~。。) 
総理大臣も学者もやれっこないのに、今日も茶飲み話に世間のボス族をボロクソ言ってる自分を恥じた。
真のボスってなにか・・・・まずは永野王国でのボス学を究めることだな・・・・・実践あるのみ・・・・



こんな可愛い顔をして 悪戯し放題の”かぶ”



痛々しい姿の 母さん 可愛そう・・・

落花流水太茫々

2011-04-20 | 日記
土曜の夜の風は凄かった。朝 目覚めたら倉庫ごと山のてっぺんに
移動しているかも・・・と思うくらいの勢いだったが、幸い何事もなかった。
この強風は何をどこに運んだのか。何をどこから連れて来たのか・・・・
工場の煙突から出るCO2も、中国の黄砂も、放射能も、まぜまぜされて中和か・・・

 禅語 『落花流水太茫々-らっかりゅうすいただぼうぼう-』
「茫々」は、果てしなく流れていく様。花が散り落ちて、それが川に流されていく光景。
転じて、無心に、流れに逆らわず、身を任せて生きよ、との寓意。

禅語の世界には、「止まる」ことと「動く」ことの不思議を見つめる眼が常にある。
物事が移り変わり、動き、流れていく。 その流れが、いつも変らずにそこにある。
変化し続けるという動きが、永遠に変化しないかのようにそこにあるのだ。
 日頃の私たちは、それを逆にとらえていることが多い、という気がする。
変化し続けることを嫌い、永遠に続いている流れのほうには気がついていない。
・・・・・・・中略・・・・・・・
健康、愛情、お金、若さなど、私たちは何かが刻々と失われていることに心を痛め続けて生きる。
失恋すれば復縁を願い、アンチエイジングと称して様々な薬を使い、人よりも得をしたいと計算し続ける。
そうした、何かを失わずにいたい、取り戻したい、と思う心の切迫した苦痛には、終わりがない。
なぜなら、どんなに努力しても、失われたものを取り戻すことはほとんど、不可能だからだ。
でも、目の前のことが失われるということは、もう一方の「繰り返される永遠」を保つことに繋がるのだろう。
何かを失わずにいたいと思う苦痛から自由になることは至難の業だが、もしそれができたら、
落花流水の美しさを自分のものにできる。 真に美しい人の中に、そのような流れを感じることがある。
       石井ゆかり 「禅語」zengo pie books より抜粋

笑って生きる

2011-04-11 | 日記
強風が、うず高く積っていた硬い雪を、あっという間に消して畑をむき出しにした。
秋に、添え木をして万全と思っていたブルーベリーの木が、添え木ごと折れている。
「ああ!!・・・」相当ガッカリしたが、こんなことぐらいで・・・と気を取り直す。
今年のあの大雪に、ブルーベリーの木が身代わりになってくれた・・・ありがとう・・・
薪小屋の屋根のビニールとハウスのビニールが破けて穴が開いて雨が漏っている。
こんな被害で済んだんだ、、、ありがとう、、、、
毎週いつものように野菜が届けられる。クロネコヤマト便、〒パック便、、ありがとう・・
先日被災地に出した荷物が戻って来た。宅配便が入っていけない地域だった。
昨日までの当たり前は、今日通用しない、明日はまたどうなっていくのかわからない。
放射能が風に乗って、南に行った、北に来た、西にも行った・・・と情報が錯綜する。
これを機会に、やおら「原発」を知ろうという気になり、いくつかの資料を前にしたが、もっとわからなくなる。
放射能の単位や数値がこれでもかと並んで説明されても、基礎知識のないこの頭では到底真の理解はできず。
反対する人の反対の理由も理論や経験や感情や、直観、第六感・・あらゆる角度からの反対理由があったとしても
安全派には安全派のそれがあり。。。。。ほんとうに、どうしたらいいのか。なにが本当なのか。
     もう、腹を括るしかないのだ、今までのことをとやかく言っている場合ではない。
政府の対応、東電の態度、利益最優先の企業に怒りを向けたり、マスコミがなんちゃらとボヤいたり、批判したり、
そんなことをしている時間はもう無い。次の瞬間に、何が起こるのか、何が起こったとしても、にっこり笑っている。
今までもじゅうぶん笑って生きてきた。ビンボーも、寒さも、笑って笑って自家発電で乗越えた。
練習はじゅうぶん積んできた。これから更にノーテンキ発電に磨きをかけるときが来たのだ。
連続テレビ小説15分見るのも、ビバルデイ5分聴くのも、3時間くらい笑って蓄電すればなんとかなるかな・・・・・
      

  雨なら雨で、風なら風で、あれば食べるし、無ければ無しで、東西南北奔走せずに 五感澄ませて時を待つ
  いつもにこにこ笑ってる 死ぬまで笑って生きている  そうゆうひとに わたしはなりたい


大かぶに新犬来る


ゴールデンレッドリバーのチョイミックス


大かぶでの初めての夜 鶏の母さんの寝床に宿を取ったのです。

どこでもドアー

2011-04-11 | 日記
四月だ。もう、四ヶ月も経つのか、正月から。。。。。
めまぐるしくて、記憶が無い。。。。。
夢の中にいるみたいだ。。。。。
(そうさ、みんな ゆめなんだ) どこからか声がする。
「だれか来たな」と外に出た夫が「誰もいない・・・」と首をかしげて戻って来た。
「たしかに誰かが来たと思ったんだ・・」
最近こんなことが多い。
自分にもしょっちゅう起こる。たしかに、外に車が停まって、ドアがバタンと閉まる音がして
あ、だれか来た・・と外に出ると、誰もいない。
(年寄りがボケるってのは こういうことが起こってくるからなのか~?)と うれしいような、かなしいような。。。
とうとうボケか・・・と思う反面。(これは異次元交流なのだ)ワクワクする気持ちが半分、確信めいているのがおかしい。
(ぜったい見つける)と思っていたドラえもんの《どこでもドアー》の入り口が、すぐ目の前にあるんじゃなかろうか。。。。
行きたい世界をイメージして、そのドアを開けたなら、きっと、そこに移動している。
♪あんなこといいな♪できたらいいな♪あんなゆめ。こんなゆめ。いっぱいあるけど♪
♪みんなみんなみんな♪かなえてくれる♪ふしぎなポッケでかなえてくれる♪
2000年、4年間の農業実習も最後の年、長沼の道々沿いの畑を借りて、そこにプレハブを置いて一年暮したが、
もっともっと山の近くで、草をいっぱいはやしてもだれにも迷惑かけないような、大かぶ的理想の地を求めて、
ひとり、毎日毎日ドラえもんのテーマソングを歌い、ドラえもんがいっぱい付いたどんぶりで味噌汁を飲みつづけた。
そうして、あるひ、とつぜん、軸が動いた。
わたしたちにぴったりな、荒地にも似た、原石のようでもあるこの場所がわたしたちを迎えてくれた。
   ドラえもんが叶えてくれた。
今、日本中の人々がドラえもんのテーマソングを口ずさめば、かならず夢が叶う。
                 と信じているのはわたしだけか・・・・・・


朝日を浴びて・・・


蕗のとうも顔を出して