大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

”クロベ”がいない!!

2011-09-30 | 日記
「年とった迷い犬拾ったけど飼い主が見つからなくて保健所行き。大かぶで飼えない?」
人一倍犬猫愛護精神旺盛なEちゃんが泣きそうな声で電話をくれたが、「NO」。
カブを亡くして傷心していた夫が、また子犬をもらってきて、それが昨日から行方不明。
自分事で精一杯。Eちゃんはこれから保健所に行って拾った犬を引き取って来ると言う。
(まったく、放っておけば自分で家に帰る可能性有るものを、余計なことして。。)
と、その手の親切やサンには肩をすくめるが、ま、ひとそれぞれだ・・と気持ちを治める。
もうその話には乗るつもりもなかったはずが、うっかりKさんに「犬いらない?」と電話する。
Kさんが直感ですぐに打診した相手の人が由仁保健所まで老犬を迎えに来てくれた。
一件落着。その日は凄く忙しい日だったが保健所で引き取りに立ち会ったEちゃんと
Kさんに「うちに来ない?」と思わず電話で誘い、今回の騒動の妙を語り合った。
なんと、EちゃんKさん、たぶん捨てられたのだろうというヨボヨボの犬を引き取ってくれた北広島のペンキ屋さんは、
ここ一ヶ月の短い期間にお互いが、長沼在住の私も知らない森の中のピザやに何度か出向いていた。ほお!
老犬は皮膚もボロボロで美容室で手入れをしてもらおうと、その足で何軒か当たったが全て断わられたという。
しかし、「大丈夫、最後まで大切に面倒見るから安心して」というペンキ屋の大将の電話にKさんは目を潤ませている。
夫が留守で、やることが山のようにあるので、おしゃべりはそこそこにしてKさんを家まで送って行くことになる。
このことでKさんはわざわざ岩見沢から由仁保健所まで来てくれたのだ。
車を走らせながら、ふと、うちの犬は今、どこでどうしているのだろうか。。。。と思い出す。
今までも、初めは何度も犬たちのだれかかれかが家出した。何日も山の中を走り回って、たいがい帰ってきた。
思い切り冒険し、たぶんすごく怖い体験もするのだろう、いちだんと逞しくなって帰ってきた。
そして、謙虚になって、すごくいい感じに皆と調和する方向に変化していくのがわかった。
だからこの場合、あえて大騒ぎしたりすれば、恥ずかしくて帰りそびれるかもしれず・・・じっと、信じて待つしかない。
と、思っていたが、ちょっと、寄ってみるか・・・・・と閉館間際の保健所に滑り込む。  「くろべ!!!!!!」
家から数キロ先で住民の通報で役場のひとに保護されて昨日の午後に保健所に来たのだという。
「やーよかった、明日からまた休み続くし。。よかったよかった」 ひとのよさそーな職員の人たちに見送られる。
Kさんびっくり。Eちゃん唖然。夫ウルウル。私は、これから始まる真っ黒々のクロベとの暮らしが、一体全体
自分自身に何をもたらすのだろうか・・・・新しい扉が静かに開いたような感覚を身体におぼえた。
「子犬が来るかも知れない」と夫が言ったとき、(絶対に来ませんように)と強烈に念じたにもかかわらずクロベは来たのだ。

"泥棒は神仏の使者"!

2011-09-18 | 日記
午後2時。約束の時間はとっくに過ぎているのにサダチャンが来ない。
電話ぐらいよこせばいいのに、しょーがないなー。。ま、いつものことだからさほど驚かず。
しばらくして 「今交番。ガソリンスタンドで財布盗られた。」と短い電話。
うちに来るという時に限って、さだちゃんの身の上に何かが起こる。
その前はセルフのスタンドでガソリンと軽油間違えてその処理に2-3時間かかってた。
今日はもう来ないだろうと思っていたら諸々の手続きを終えて夕方到着。
「タイヤ交換してもらってる間、椅子に座って新聞読んでたら急にふっと眠くなって
はっと目が覚めたらバックからお気に入りのあの財布だけ無くなってた。」
スタンドにはスタッフがいて、その時他に一人の客がいて、目が覚めたときも
同じ状態だったというが、聞けば聞くほど摩訶不思議。本人の不注意っていえばそれに尽きるが、
どう考えてもこれはもう神様からの祝福としか思えない。腹の奥がにい~~と笑っているからたぶんそうだ。
「こういうときは寿司でも食べに行こう!ぱーーっと」「うん、でも一文無し・・」「あるある!!まかせなさい!」
そういえばよねちゃんも、6月に大阪で財布落としてスッカラカン♪というときに、ふっと長沼に来た。
女三人、寿司屋の小部屋で顔見合わせ・・・「やっぱり、、、もう、、金は持たなくてよさそうだね・・・」とうなずき合う。
有れば盗られまいかと落ち着かないが、なければその心配も無く。有るところから無いところに必要なだけ流れる。
金は天下の回り物。宇宙自然界はみなタダだった。。。どこかで聞いたセリフだが。。。あああ、ジッカン実感。
ちょうど、偶然出合った小さな冊子の中にこんな言葉をみつけた。

泥棒は神仏の使者
泥棒が入ったら赤飯を炊いて祝いなさい
病気も事故も災難も倒産も貧困も、その人を幸福に導いてくれる天使の手引きである。
大自然の摂理に無駄はなく、すべては大調和への自律作用である。
白羽の矢を得た人は、赤飯を炊いて祝うのが礼儀である。
この礼儀、一粒万倍の不思議な世界への入り口である。


花から花へ 蜜蜂が 


キリギリスは 温室の片隅で しばし 演奏


レタスの葉の上で 恋を語るバッタ






刈取りを待つ 自然農法の稲たち
ヒエや草と元気に育つ


田圃に生える奇麗な花


 






”こども”

2011-09-05 | 食生活
毎年この時期NHKラジオの「夏休み子供科学電話相談室」をきくのが楽しみだった。
しかし、年々つまらなくなって聴いてもすぐ退屈になる。
昔はもっと面白かった気がする。夢中になって大真面目にラジオに聴き入った。
自分が変わったのか、それとも番組の路線が変わったのか・・・しばし目を宙に浮かす。
回答者の大センセイはそろってインターネットで調べれば出てくるような答えを言う。
幼稚園の子にさえ専門用語使って複雑な説明しようとする。よっぽど頭が悪いのだ。。。
「わかったかな?」って一方的に分からせた気になる。自分はホントに分かってんの?
電話の向こうで、こどもは小さく「はい」と行儀よく答えるが、腑に落ちてないことが明らか。
質問者が本当に何を知りたがっているのか、、、それを真剣に向き合って探そうとしない。
進行のアナウンサーがつまらない。回答者のご機嫌や時間ばかりが気になり、子供への観察力集中力がない。
ほどほどの回答で人数をこなして粗末な番組にしてしまっている。残念無念のじんじろげ。
毎朝スイッチをつけるが、最後まで聞く力が持続しない。
こどもと対等に向き合うのはものすごく集中力が要る。それを怠らなければ大人は広大無限の世界を与えられる。
こちらが大人の顔して向き合えば、決してその柔らかな心をさらけ出しはしない。結果自分の鏡を見せられる。
いつだったか、風邪気味のゆほちゃんにたのまれて3-4歳だったまゆを長沼温泉に連れて行った。
いくつかの注意事項を引き継いだが、普段のお互いの関係なら楽勝とたかをくくっていた。甘かった。。。。
まず、脱衣所でなかなか服を脱ごうとしない。イライラしてあの手この手でその気にさせようとする自分の哀れな姿。
さらに、湯船にびしょびしょのタオルを入れて遊ぶのを人目を気にして必死に止めさせようとする自分。
15分もしたらヘトヘトになる。「もう出る」 とつきはなす 「やだー!まだ出ないー」かんぜんに甘く見られる。
さっさと服を着て脱衣所を出る。きっぱりした態度を示したら、だらだらせずについてきた。(よっし)
ゲームコーナーを素通りしたので(ほっ)としたのもつかの間、自動販売機の前で「じゅーすー!」と叫ぶ。
「買わないよ。」「やだーーー!ほしいー!」「お金ないもん」「やだーーじゅーすーー」と私の財布を開けに来た。
ぷっつん。。。。「止めてー!そういうことするのだいっきらいー!!!!!」と自分の口が火を噴いた。
まゆが一瞬ぽかんと口をあけ、そばに来て私の肩を抱き、すごく冷静に「じゃ、どうする?」と大人ぶって言った。