大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

足もみと体

2015-07-27 | からだ
あつ~~~~い・・・・・・
.ばあさんのか細い肉体からナケナシノ水気がじりじり抜けていく・・が、手足はまだ元気に動く。
ひと月前、ふと思い立って「世界一痛い足もみ」と銘打つ足もみに行った。
昔から足もみの効用には納得していたし、官有謀(カンユウボウ)さんの本で自分なりに実践はしていた。
足は第二の心臓と言われ、足に溜まってくる老廃物を歩くことによってポンプアップで腎臓に戻し
尿や便から排出する、というからだのしくみだが、食の乱れ、薬剤依存、歩かない生活により、
現代人の足は老廃物でぱんぱんらしい。
隣町のたまに行くパスタの旨い店に併設された岩盤浴もできるそこで、さゆりさんが3年ほど前に
その資格を取得して「足もみ」を始めた。
さゆりさんの先生は24歳の時 甲状腺がんを足もみによって自身で克服した人で,ワニブックス近澤愛沙著の「足もみ力」
には説得力がある。
自分で揉んでも充分痛いから、人にされるのは怖くて行く気は無かった。
しかし、ふとマがさす。予約をする勇気はなく、もし運悪く(良く)空きがあれば。。)と言う気持ちで行ったら「どうぞ!」となった。
「きょうは3人目だから 力よわいかもね~」と さゆりさんが笑ってる。 ちょっとほっとする。
が、まず左足の裏の人差指と中指の間の下にある副腎を押されたら(痛----い!!!)
「これが輸尿管、ここが膀胱、そして尿道ね、、ここ3か所が基本ですから」(は、はい、、、)声は出ず。ひたすら息吐いて弛緩する。
「指の裏は頭。脳ですね。親指の裏はぼけ防止ですよ」(そ、そうなんだ。。そこがそんなに痛いってことはソートーボケてきたな。。。)
痛みの正体は老廃物。それが神経に触って痛いのだそうだ。 だから正常なところは痛みは無い、ということになる。
「裏も表の老廃物も、膝の奥に流れていく静脈に戻すためにはふくらはぎが詰まっていてはどうにもならないんです」(た、たしかに。。)
ふくらはぎの両側面を くるぶしから膝裏までの一直線にも老廃物はゴリゴリと音を出して存在をアピールする。
さゆりさんは優しい声で自宅でやる時のポイントを伝えてくれるが、耳に余裕無し。出産時の呼吸法が時を超えこんな時に効を奏す。
「おわりました、湯冷まし500ccを30分以内に必ず飲んでくださいね、老廃物を心臓、そして腎臓まで戻すために必要なんです」
ふだん、あまり水分を欲しない体質だが、老廃物を腎臓に送る!と思えば白湯500ccはぐびぐび飲めた。
さらに岩盤浴を1時間して(通常900円がセットにすれば500円だというので)排毒効果に拍車をかけた。
翌日、足を観察すると 数カ所アザになっている。(ああ、ここに結構溜まってたのかー)とニヤニヤする。
今まで自分流でやっていたのがまだまだ足りないことを実感し、毎日寝る前に自分で揉むがさゆりさんのようには中々出来ない。
かといって、さゆりさんの力は恐ろしくて、再挑戦する勇気は無い。。。と思っていた。
が、2週間したら またマがさす。 二度目は少し余裕だったが十二分に痛かった。  早く正常になった足を見たい。。。。


   
    えごま

                         
                          ブルーベリーが色づきました これから収穫

命をつなぐ

2015-07-20 | 日記
毎朝、家の前の国有林の中で 鶯がうるさいほどさえずる。
春先から鳴き続けて、いつまで鳴くつもりなんだろう、、、、
山鳩やヒバリやカッコー、カラスにスズメなどなどが一日中鳴き通す。森の中は連日歌謡ショーだ。
その森の裾をマオイ山から流れてくる小さな川が我家の水源となっている。
15年前ここに着地した時、昔この家を建てた人が使っていた井戸は枯れており、
水道を引くには膨大なお金が掛かるというし、どうしたものかと思ったが、家の横に川が流れていた。
夫がホームセンターで買って来たホースを家から川まで引いたら自動的に台所に水が来た。
冬になれば凍ってしまい、茶碗は川で洗ったこともあった。春先大雨が降れば泥水となり、
しばらく置いても茶色の水をさほど苦にもならず、それでお茶を沸し食事もつくった。
水源地の管理は夫の仕事で、何かにつけてはスコップを持って川に行き、さまざまに工夫を重ね、いのちの水を確保してきた。
真夏の日照りの時も決して枯れることなく 川は流れ続けてくれている。

田んぼの用水は支笏湖からくる。
春にいよいよ水田農家の作業開始の時期になると 用水路に支笏湖の水が満ち溢れ、各々の水田農家が取水口を開けば
必要時に必要なだけ田に水を引くことができる仕組みになっている。
その水にはフナなどの魚が一緒に流れてきて白サギ等が餌を探して田圃にやってくる。
稲刈りの時期に水を切ると魚がぴちぴち跳ねる。
そうして、用水路もまた春まで閉じられる。
用水路の整備事業には莫大な資金が投入されていて、各々の水田農家は水利権としてそれなりの経費を負担しているが
本州などの そういう仕組みを持たない地域では 大抵水の取り合い合戦が今でもあると言うから、なんともかんともえとせとら。。。
長沼は昔何度も水害に遭いその都度さまざまな工夫や知恵を出し合って基幹産業としての農業を守って来た町だ。
お爺さんのお爺さんたちが開拓に入ってアイヌのひとの力を借りて今があるという。
明治初期、120年前は、ちょうどこの辺りにも40人ほどのアイヌの人たちが暮らしていて、開墾に従事したそうだ。
 
そんなおおむかしから、家の横の川はずっと流れ続けているのだ。


    

           



人生 入れ替わり

2015-07-20 | 日記
夏だ。夏の暑さだ。  田植えが終わってひと月過ぎたらもう夏の盛りだ。
まだまだ小さいと思っていた ハウスのトマト。脇芽があっという間に伸びて暴れている。
ごめんごめん、と一本一本を整える。下にはすでに青い実をつけている。
いつものことだが、周りの農家から4手も5手も遅れてハウスの中にキュウリ、オクラを定植。
種は早くにポットに播いているのだが、いかにせ稲のことに気を取られているうちにホッタラカシ。
そうしてドタバタしながらも気分転換と称し登別、定山渓と温泉にも行く。
こんなに急がれていることが山積みにも関わらず、そういうときこそひゅっと抜く。
夫、夜な夜なパソコンに向かってピコピコしていたのはジャランの格安プランの検索だった。
若い時なら、こんな時期にとても温泉気分になどなれなかったが、とにかく身体が大事。
それとやはり山崎さんが50年護って来てくれた土に対する信頼感、はたまた依存度が大きい。
自分たちの未熟さ、いいかげんさ、曖昧さ、イッパイイッパイさなどなどをすべて受け止めた上で最大の結果を出してくれる。
土の力のそれに甘えてなんとか5年やってこれた。 敷地の中にいつも山崎さんが居てくれた。
しかし、目が不自由になって来た山崎さんが息子さん家族と暮らすことを決心し、6月30日長沼から引っ越した。
最後の荷物の大きなテレビと大好きなカラオケのテープの入った箱などをうちの車に積み込み夫と2人で山崎さんを
隣町、島松の新居に送らせてもらった。
島松といえば、17年前私たちが農業を始めようと決心し、研修先の農家の近くにアパートを借りたのが島松だった。
偶然にも山崎さんの新しい住所は私たちが住んでいた寿町。すぐそばに懐かしいアパートがあった。
当時、研修期間が終わってもなかなか思うような土地に巡り合えず、信頼できる生産者の野菜を食べる人につなげる
役割に徹し、10年間毎日国道274を配達で走りながら、前を通り過ぎる時に必ずふと意識が行く一軒の家があった。
倉庫の軒先にTの字に手を広げた木があり、(あの木はいったい何の木だろう、、)(この家の人はどんなひとだろう、、)
と 国道沿いの他の家は風景になって通り過ぎるだけなのに、その一軒だけいつもなんとなく目が行くのだった。
長沼農協を通じて田圃の話を貰い、初めて山崎さんの家に行くことになり、行った所がまさかのその家だった。
 夫が還暦を迎える年に山崎さんとこの田んぼの縁を貰ったのは 自分たちが、自分のやりたい事の最終ラウンドとして
自分自身に贈った最後のプログラムなのかもしれない。
「永野さんと入れ替わりだなあ。。」と山崎さんが笑いながらつぶやいたが、それはすべて天の計らいのように思えた。
山崎さんのプログラムが私たちに引き継がれ、そしてまた誰かに引き継がれてゆくのだろう、、、、
全ての誰でもが、心身ともに健やかに生きてゆくための糧となる米と野菜。それは健康な土からの贈り物。
その一端を担える幸せと緊張感。  気負わずに素直にやらせてもらおう。。。。


孫・・・

2015-07-06 | 日記
大雨が降ってどこもここも洗われた。すっきりさっぱり。
ぼんやりと窓の外を眺めていたら 家の前の大きなニセアカシアや栗の木が
上下左右にゆさゆさと身振り手振り軽やかに まるで本当に話をしているように動き出した。
(ひさしぶりだな。。)前はよくこんな場面に遭遇してた。
最近は人間社会のことに夢中でみていなかった。。。。

昨日の午後 畑で草取りしていると、スイスの娘からケータイに電話がかかって来た。
ケイタイの小さな画面ににこにこした孫の顔がうつった。日中は30度を超える暑さらしく、
娘は床に転がってごろごろしながら話している。孫も隣に転がっている。
ほらほら、きゅうりだよ!ピーマン!トマト!と小さな孫にハウスの中の野菜を見せるために動き回る。
わかっているのかいないのか、ハイハイを始めた孫がこちらに向かって笑いながら突進してくる。かわいい!!
産まれる前ならあんなに神経質になって「ケータイの電磁波に気を付けなさいよ!」と娘にくどくどくどくど言っていた。
しかし、たまにこうして電話が来ると、そんな事はぶっとっぶ。向こう向いてたら「こっち向いてー」と言ったりする。
そんなばあさんの弱点をついて 「母さん、ちょっとナオト見ててくれる~ 洗濯してくるから、、」 などと用を言いつかる。
たとえば、家で豆のごみ取りをしながら、目の前にケータイを置き 画面の中の孫をあやす。
娘がベビーチェアに座らせた孫がうつるようにケイタイを置いて、ばあさんに子守をさせるのだ。それにうっかり乗る。
(あのさ、暇じゃあないんだ。)と言いたいが、話しかければ笑ったりする孫は可愛くてかわいくて、豆なんかどうでもよくなる。
自分の子供が生まれた時、初めて 自分以外の存在の為に生きていく、という自分の気持ちに出会った。
そうして、子供が自分を離れて、もう自分の役割が終わった、という解放と安堵。いつ死んでもいい気持ちにも出会った。
なのに、孫という存在がまた自分を「生きていく」という気持ちにさせてくれる。

オレオレさぎにおかねをふりこむおばあさん。ナケナシノものを出して惜しくない愛する存在を持つ幸せものだ。
その存在の為に、金があれば金を出す。ババに「ここ一番!」の出番をくれるお前さんは もしやサギ神社の大神様かい?
どこかの国では『どろぼーに遭ったら赤飯を炊いて祝え』というコトワザがあるらしい。。。
子も孫も、自分が生きるために不可欠な「愛」というエネルギーそのものだった。。。
ああ、そうなっていたのか!と 自分がなぜ今まで生きてこれたのかということが今更ながら納得できた。