大きなかぶ農園だより

北海道マオイの丘にある大きなかぶ農園からのお便り・・
※写真はsatosi  

共同作業Ⅱ

2019-09-29 | 日記
先週刈り取った蕎麦の乾燥が終わり、唐箕(トウミ)にかけて
綺麗にする作業が残っている。
「おい、手伝え」 午後の日だまりでのんびりと繕いものをしていたら
声がかかった。「へい、へい」と野良着に着替えて出かける。
大きな長方形の箱形になった乾燥機の中に草や草の種、野の花
に混じって黒い蕎麦の実がちらほら見える。(草の方が多いんでしょ)
案の定、唐箕の入り口で絡んだ草をいちいち棒でつつきながら
落としていく作業を、夫は唐箕の機嫌を損ねないよう集中して淡々と無言でやっている。
ということは、1回に10k弱の蕎麦を乾燥機から唐箕まで運ぶのはじぶんの役か、と理解。
疲れないように、最小限の力で効率よく乾燥機からその10kを袋に集めて夫の手元に運んで行く。
その合間に吹き飛ばされて溜まっていく草を袋に詰めて横付けの軽トラの荷台に載せて整理していく。
ああか?こうか?と無い知恵絞り出しながらようやく(これだ)という流れを見つけ出すと後はただやるだけだ。
乾燥機の中に広げてあったときは(今日中に終わるのか?)と思ったが、明るいうちに片付けまで終わる。
選別された蕎麦の実が黒々と光っている。(あれ、思いのほか沢山あるね)
いつも打ち合わせなどは一切無く、お互いが自分の役を無言(省エネ)で手探りしながら流れをつかむ。
毎年同じ事のように見えるがその都度の条件や状況は全くちがうからどの作業も一生に一度感覚だ。
「これからキノに映画見に行かないか?」滞りなく作業が終わりニコニコ顔の夫(ご機嫌だな。。)
「うん、、」夫のご機嫌な気持ちを受け止めたものの、家に帰ると疲れがどっと出て、映画鑑賞の気分ではなくなってきた。
「ねえ、ほこりまみれだから温泉に行こうよ、疲れたから映画には行きたくない」「そうだな」
あっけなく予定変更。お互いの気分が良いと何がどうなろうが心は平常。 よかったよかった

たんこぶ

2019-09-22 | 日記
また大型台風が来るというニュースが連日テレビからラジオから。
コンバインの機嫌が悪かったが家の前の蕎麦をなんとか刈り終えた。
あとはハウスの無事と稲の無事を祈るだけ。風神様のご機嫌次第。
こちょこちょこちょって台風の脇腹猫じゃらしでなでてやろうか。。。

金曜夕方、倉庫の大型冷凍庫の蓋を右手で上に持ち上げ、
いつものつっかえ棒を蓋に当てて中の物を取り出そうとしたときに
突然つっかえ棒が外れて蓋がゴン!!とひたいに落ちてきた。あ、痛たたた、、
瞬間、ポコンとひたいにこぶが飛び出たのが分かった。手で触ったら本当にピンポン球のようなコブが!!
ほおおおおおーーーーでかいな!マンガみたいだ。こんな体験は子どもの時にあったような気がするが。
自然療法の手当の本を開くと芋パスタが効くという。里芋はまだ無いからジャガイモだが擂るのがおっくうだ。
何か無いか。。焼酎漬けのびわの葉っぱをコブに当てて手ぬぐいで鉢巻きをした。
畑から戻った夫に見せようと鉢巻きを取ると、コブは半分になっていて当てたびわの葉はカサカサに乾いている。
3時間ほどでコブは消え蓋が直撃した箇所が青あざになっているのを発見。コブの裏で見えなかったのだ。
ちなみに、『慢性のコブには海藻類を食べると良い。肝臓・腎臓・脾臓の手当が大切』 と東城百合子さんは【家庭でできる自然療法---誰でもできる食事と手当法--】の本に記しています。


「マ」

2019-09-15 | 日記
近所の早く蒔いた畑の大豆はすっかり葉を落とした。刈り取り間近。
国道沿いで一番早い農家の稲刈りが始まった。
大かぶの田も黄金色。 大豆畑はヒエだらけ。
家の前のイタドリの葉が黄色く色づく。じわじわと秋がやってくる。

母親が元気なうちに聞いておきたい事が出て来た。
学校に上がる前だと思うが、母と祖父に連れられて長岡の先の
東三条という駅で降りて、小さな診療所に行った記憶がある。
(親は何が心配だったのか?)と時々思い出す一場面で、ここへきて真相究明願望がわいてきた。
大きな街の長岡の医者ではなく、もっと遠い小さな町の小さな診療所。。。駅名をなぜ覚えているのかも謎だ。
母は日中一人で家にいるが電話を取らないので、妹に実家に行った時聞いてもらえないかと打診した。
「ああ、姉ちゃん、それ、発達障害だったんじゃない?」と妹は即座に反応した。「え?あんたそう思うんだ」
「聞いてみるけど、まあ、だれでもそういう傾向あるって言うけど、顕著だったんだと思う、、」「ふうううん・・・・」 妹から見た姉は発達に障害ありだったんだ。。。心配かけたね。
本人、なんの不自由も感じることなく生きた来た。だいたいソンナもんだろう世の中のことも。

母が覚えているかどうかが問題だが、真相はいかに。なんだろ、なんだろ、なんだったんだろ。。。

車の中でラジオを聞いていたら漫才がはじまった。最後まで少しも笑えず、何でだろう?いつになく考えた。
ああ、マが悪いんだ。ふたりがかみ合っていない。ふたりの心がはなればなれだ。。。。
自分の日常を思い出す。ふと、どうでもいいようなことを夫に「○×○△♪」と軽く投げても、返事が
「聞こえなかった。なんだってえ?!」と返されれば一瞬でテンポは狂って「あ、何でもない」となる。
反対に、真剣に話しているのに的外れなこと言われて茶化されたりすれば「あ、失礼しました」となる。
一瞬だ。一瞬のお互いの波長がかみ合わないと「マ」が抜ける。間に合わず。。残念無念。。
どんなに面白いネタでも二人の波が共振しなければ他をその波に誘う事は出来ないんだな、と思った。
「やっぱり、マだね」と運転中の夫に投げたら「そうだ、マだ」と言った後に
(そうじゃなくてさ。。。)と思うような事言い、
マったくマたか、マいったまいった、マいいか。。。と腹に収めた。
日常生活、相手があればさまざまな波が立つ。相手の性格うんぬんもあるが、すべて「マ」と思えば合点。


美食から微食

2019-09-09 | 日記
やっと終わった、、と思ったハウスの中の草取りだが、すでに(またか。。)
(もうか、、)(まったく・・・・)野菜の成長の一歩先行く勢いで伸びる。
 今の時期、ほうれん草や小松菜などの青菜がない。
大きなかぶのハウスに小松菜とほうれん草を蒔いてはいるが、
今年は暑くてなかなか思うようにならず、、、
しかし、スベリヒユとアカザが虫にも食われず力強く存在している。
「雑草」とよばれ、どの地域の農家でも根こそぎ排除されてきたこれらが
美味しくて、想像を超える栄養価や薬効を持ち合わせていることを薄々知ってはたが。。。。
農家として、毎年厳選された高価な種をわざわざ注文し、春先から時間をかけて育苗し、適期を見定め定植し
水をやり、草を取り、世話して世話してようやく収穫の時を迎える各々の野菜。
一方、自動的に生えて、虫にも食われず栄養満点で元気にたくましく成長する野草の面々。
どちらを食べて欲しいかと言えば「自分が育てた--と思い込んでいる--野菜」になるのは人情だ。
春先の山に芽吹く山菜や野草は特別扱いで喜んで迎えているが、ハウスの中のスベリヒユには冷たい視線。
彼らに対し心の中にモヤモヤと後ろめたさのような気持ちを持ちながら見て見ぬふりをしてきた。
そんなモヤモヤしを吹き飛ばしてくれたのは、毎年日本列島をこれでもかと揺さぶる災害だ。
2年ほど前「スベリヒユがあったら食べたい」と札幌のマンションに住むTさんの一言も背中を押してくれた。
そうだそうだ、そうだった。みんなの健康を願って歩いているはずの百姓道だった。
地震台風水害猛暑、、、、、人が育てる野菜が手元に届かなくても、周りを見渡せば、「あったあった!」
いくらでも美味しく食べられる「草」が在ることを知らせたい。庭のタンポポ、スギナも邪魔にしないでー!!
家の敷地に生えてくる草はその家の家族の身体に対応したものだと書いてある本を読んだことがある。
力のある食べ物は少量で充分用を成す。 美食から微食にシフト。
病人が減り病院困る。今月は初診料が無料です、手術代今なら半額、病人獲得キャンペーン合戦はじまる。
 微食シフト族は(なにいってんだかわからない・・・)健康すぎてごめんなさい。
案外そんな日が来るかもしれない。。。。

水事情

2019-09-02 | 日記
もう九月・・・ウトウトして目が覚めたら夏も終わっている感じだ。。。
一気に降り続いた雨で水を引いている川の流れが変形した。
毎年のことだが補修工事が急がれる。
20年前この場所にたどり着いたとき、古井戸は枯れていた。
ちょうど横に小さな川があり、川の途中にホースを置いたら
落差で流れてくる水を倉庫の片隅に設けた流しで使うことが出来た。
冬になればたちまち凍って、真冬の川で茶碗を洗った。楽しかった。
毎年少しずつ工夫しながら進化し、今は2つの水槽に常時無尽蔵に流れ込んでくる水が浄水器を通り
台所の蛇口をひねれば出てくる。 
大雨の後は川が暴れて水槽に泥が入ったり様々な問題が発生する。
夫はそれを自分の力で解決する事をけっこう楽しみながら暮らしてきた。
しかし、今夫がぽっくり逝ったら、、、ポンプ小屋に張り巡らされた配管やバルブ等の詳細がわからず。。
川の補修工事だって今日はまだこの細腕にスコップを持てるが明日はわからない。。
大雨の前にどのバルブ閉めて(開けて)どの時点でどうするのか等を引継がなくてはならない。
「父ちゃん、配管図完成させてから逝ってよね」「ああ。。」そこだけが気がかりな妻だ。
自分が先に逝っても夫が日常生活に困らないように何気なく訓練は行ってきた。
年に1-2回一週間以上(2-3日では効果なし)家を空けることは、夫がひとり暮らしのリズムをつかむ様にと。
最近は家を空けて1週間ほっつき歩くのにくたびれて面倒で飽きてきて、せいぜい3日が限度となり情けない。
マオイ山からの水が20年間一度も涸れることなく流れ続けてくれていることには感謝しきれない。
だが、この暮らしがいつまで続くかどうかは分からない。。

爺さん見送った後、悲しむ暇もなく毎日川に水くみが日課となり、
今よりマッチョな婆さんになってゲラゲラ生きていたりして・・怖・・