古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

木里の階段

2009-09-29 00:05:35 | 日記
その8 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年9月15日(火)

朝に街をブラブラしていると、後から肩を叩く人が居る。木里に当然知り合いが居るべくも無いのだが、振り向くと、昨日のバスの車掌だ。同じ赤のシャツと黒のジーパン姿でニコニコと話しかけてきた。

木里の街をあっちこっち歩いてみる。木里からのバスは殆んど8時には出発してしまう。近距離の塩源には午後の便もある様だ。

小さなその街は階段と坂だけで平らな所がない。直線の道路がない。それで尚更迷ってしまう。階段は階段で一段ごとに高さが違う。渾身の注意をそそいで歩かないと危険だ。


2009年9月16日(水)

木里蔵族自冶県旅遊体育局へ行く。屋外に二面のバスケットコートが有る広場がそれとなく名を表しているようだ。二十坪くらいの事務所にはたった一人しか居ない。
たった一人の係員はこれまた大声で電話をしている。手でこっちに来て座れというような仕草をしている。応接セットらしき古びた椅子に座ってじっと待つ。

やっと電話が済んで、こっちに向き直った時にすかさずメモを見せる。
「明天、我想去茶布朗到稲城。我要木里県地図。」
明日、茶布朗を通って稲城まで行きたいので、木里県の地図が欲しい。
意味は通じたようだが、OKとは言わない。反対に質問が来た。
「你是什·公地方的、要到什公 地方去」と聞いてくる。
 「何処の地方の人で何処に行くのか」
「日本、去稲城」と答える。

「要到公安局(国安局)登記」「可以、座公交車到三区、毎天有一班車」
「但到稲城的没有車」
「公安局(国の安全局)への登録が必要です。公共の交通機関で三区までは行くことが出来ます。毎日一本の車が有ります。しかし、それより先の稲城までの車は有りません。」
という事のようだ。

やさしい言葉で少し話をして一寸待っていてくれみたいな仕草で席をはずす。何処かへ電話している。誰かがやって来たようだ。ひそひそ話をしている。時々日本という単語が聞こえる。公安の単語も聞こえる。拘わっているとやばいかも知れない。そそくさと礼を言って後にする。最初に見せてもらった行政区画図のコピーはしっかり確保させてもらう。

要するに公共のバスの有る所までは行っても良いがそれ以上は国家の機密なのか何なのか解からないが、登記が必要だとの事。単に公安局へ行って登記してくださいで、ハイどうぞと言われるのか、何か更なる手続きが必要なのかはわからない。本当に行く気が無いのなら余り拘わらない方が良いみたいだ。現にこの数日、木里県城に滞在しているがたった一人の外人も見かけない。ホテルの外人住宿登記簿にはフランス人の記帳が有ったが、一年以上も前のものだった。

好奇心と探究心と体力と気力を持って、木里の郷と稲城への自然のルート探検を行うのでなければ早々に退散したほうが良いかも知れない。

木里県城市へ来る道中の自然だけでも、決して日本では味わえない風景であり素晴らしいものだったのだから。


2009年9月17日(木)

木里ではバスに乗り遅れればその日一日何処へも出て行けない。8時25分までにほぼ全てのバスが出てしまうのだ。山の方へ行くバスは、7時40分発で各地へ5本、街の方へは8時25分までに7本の計12本、午後から2本だけで、合計で14本それで全てである。

今日は四川省の南部の主要都市である西昌まで一気に移動する。約273km。何時間の旅になるやら。今日は大きな峠を二つ越えるはずだ。

木里から塩源までは先日の移動で体験したが、もう一度あのスリルが楽しめるのかと思うと足が少しふらつく。

塩源から西昌までの道もまた素晴らしかった。山岳道路だけを褒めている訳ではない。その技術もたいした物だが、その前にそこに人が住んで居たという事のほうに感動する。何の咎があってこのような山里に閉じ込められたのか何で何でなのかと。常識的な判断基準では人間の住めるような環境ではないのだから。それなのに如何してこんな山の山奥でしかも急斜面の崖にへばりついて生活しなければならないのか。

しかし、現実に人間が生きている。ありとあらゆる悪条件下の元で。

西昌には夕方の17時に着いた。9時間の旅であった。
西昌に到着すると直ぐに西昌鉄道駅にタクシーで移動する。31元も掛かる。成都までの切符を購入しようと思うが、全て「没有」攻撃に合う。ここに更に二三日逗留する気も無い。今日か明日のバスで移動するしかない。バスセンターを出るときに確認するんだった。戻るしかない。今度は市内バスを利用して移動する。1元だ。

成都までは一日一本のバスしかない。明朝の8時30分発のバスを予約する。隣でおばちゃんが賓館のカードを出してしつこく付き舞とう。完全に読まれている。明日の切符を購入したのだからもう此処に泊まるしかないのだ。

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