古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

濾沽湖の祈り

2009-09-28 16:07:10 | 日記
その7 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年9月11日(金)

ドイツ娘は朝の7時30分には麗江を目指して愛用の自転車で出発していった。
ドイツの小さな鉄の女はさすがに強い。中国を旅して約3ヶ月になるという。何処にそんなエネルギーが有るのだろう。
麗江で夕方に時間があったら一緒に食事をしようと約束したが、本当に元気で麗江までいけるのだろうか?

ドイツ娘、恐るべし。

夕方、確かにドイツ娘は麗江の約束の場所に居た。
彼女の紹介で「K」氏なる人物と知り合う。明日から二泊三日で濾沽湖に行くという。初対面だが、渡りに船で一緒に行くことにする。ここら辺が一人旅の良い所で、自分でよいとなれば即決で行動が出来る。


2009年9月12日(土)

バス乗場まで送るというのでドイツ娘が宿に来た。
宿のロビーで僅か十数分話して、表に出てみると、入口の所に止めてあったドイツ娘の自転車のカバンからカメラと自転車のメカ一式が盗まれていた。悔しそうなドイツ娘の顔が気の強さの一面を見せていた。あたりを少し捜すが何の手がかりにもならない。警察に届けても手間隙掛かるだけでこれも何にもならない。諦めるしかない 。悔しそうな顔が自分を責めている。何かに当たりたいのを必死でこらえている。せっかく見送りにと来てくれたのにこちらまで気が滅入ってしまう。

9時40分に「K」氏とその仲間二人(フランスの50代の女性とニュージーランドの50代の男性)の計4人で寧浪行きのバスに乗る。ああそうラッシーという名の犬も連れてバスに乗る。運転手が何か言うがお構いなしに乗せてしまう。バスは19人乗りの満員だ。鶏も居るのだから犬もOKなんだろう。

曲がりくねった断崖絶壁の石畳の道を行く。人間の力は本当にすごい。こんな所にこれだけの道を作るのだから。道だけではない。こんな所に人間が住んでいる。こんな急斜面の断崖絶壁の地で生きている、生活している。人間が一番すごい。

改めて人間の営みの偉大さを考えさせられる。

人間、恐るべし。

濾沽湖は急に前面に開けた。峠の展望台からそのほぼ全貌が見渡せる。
3000mの高地に突然に現れたその湖は、何とも形容の仕方が無いほどに神秘的だ。遥か対岸は霞んでいる。

地元のモソ族の娘さん達が民族衣装に身を包んで迎えてくれる。
やはり観光地なのだ。いっぺんに現実に引き戻される。即、営業が始まる。
カタログでは、神秘の濾沽湖、母系家族を今に残す神秘のモソ族等々の文言が並んでいたが、現実はやはり観光で生活する為の一手段にしか過ぎない。他地区に比べれば、まあましな方かも知れないが、それでも一連の歓迎がもう既に世俗化している。


2009年9月13日(日)

6時頃から、近在のモソ族の人々が三々五々集まり連れ立って祭りの会場へ向かっている。着飾った子供を馬に乗せた親子連れもいる。手に飲み物や食べ物を提げて歩いていく。時々は相乗りした男女のバイクや、親子4人も乗ったバイクが追い越していく。

我々も9時頃に濾沽湖の湖畔の宿を出発する。歩いて、今日のお祭りのメイン会場へ向かう。広々とした草原や、ガレ場の峠道や、土埃の車道を歩いて行く。日差しが強い。遮る物が一切無い。夏の直射日光を浴びる。陽に焼けているだろうが如何することも出来ない。せめて帽子ぐらい持って来るんだったがそれこそ後の祭りだ。

遥か盆地の西の端に永寧を眺め、その南の獅子山の山裾斜面にその廟堂はあった。小さなその廟堂の周りは信者がお祈りを唱え五穀豊穣を祈る。三度廻るのが仕来たりだ。部外者の我々も三度廻れと言う。そして経典が幡めく。新しい経典の幡を奉納して夫々の祈りを捧げる。

廟の四方に烽火を上げるように松を焚く煙がすごい。遥かな高みに昇っていく。目に滲みる。

地元の人々がその廟の下の斜面のあちら此方で煮炊きをし飲食している。
見知らぬ我々にもバター茶の振る舞いがある。その輪の中の小さい子供と筆談で話をしているとその母親がこっちに来て一緒に食べなさいという仕草で誘われる。家族の大きな輪の中に入ってしまった。
その地方の名前を聞いたり家族構成などを筆談で話す。大人はやはり漢語を解せなく子供に通訳をさせる。

この子供達が大人に成った時が本当の中国の力になるに違いない。地方のこう言った子供が大人に成った時が本当の中国の基礎になり、共通の言葉で共通の理念を推進させるのかもしれない。全国的に見れば、今はまだ発展途上中なのかもしれない。


2009年9月14日(月)

「K」氏に268元の請求をされた。麗江から濾沽湖までの交通費60元、入場料60元、宿泊費60元/日 2日で120元、民族芸能舞踏会 20元、ミニバス8元、計268元。
しかし、入場料金は80元なはずだ。中途半端な60元が可笑しい。チケットを呉れと言ったら、数年前のボロボロの39元のチケットを出した。インチキをやっているという自覚がそもそも無いのだろうか、それとも、何と言われようが関係無いと言うのだろうか。呆れて物が言えない。とにかく、胡散臭い奴だと思っていたが、金のことになったら一度に化けの皮を脱いだようだ。もう一刻も一緒には居たくない。早く決着をつけて分かれよう。300元を渡したら、お釣りを出そうともしない。暫く様子を見ていてもどうもその気は無いらしい。「チェンジ」と催促すると、おもむろに財布から、21.5元をよこす。どういう計算でしょうか、自称アメリカ出身の英語の教師の計算ですか。馬鹿でないのかと思いながら、21.5元を返し、新たに70元を渡す。計算が出来ないのか知らん顔をするので100元返せと言ったら、渋々100元を返してよこす。本当に出鱈目野郎だ。気分が悪くなるだけだ。

ゲストハウスのオーナーに濾沽湖古鎮までミニバンで送ってもらう。約20分の距離だ。四川省に入った。丁度10時のバスが出たばかりで、次のバスは11時だ。

濾沽湖の雲南省側の街より街らしい。道路も街も四川省のほうが立派だ。濾沽湖は雲南省で重点的に宣伝しているが、どちらが本家なのか考えてしまう。

濾沽湖古鎮から塩源までは30元だ。山また山の断崖絶壁をヘツり約3時間のスリル満点のドライブだ。一番前の席でスリルを満喫する。塩源はそんなドライブの後の高原に姿を現した数万の都市だ。

直ぐに木里行きのバスチケットを購入すべく売場に行く。ドンピシャの2時40分発の木里行きの切符を手に入れる。一日3本の最終便だ。

塩源から木里行きの街道はことに素晴らしい。濾沽湖から塩源の道よりさらに素晴らしい景観の連続だ。
塩源からの最初の道は、なだらかな林間コースのゴルフ場を思わせる。特異な形状をした石灰岩が松林の中に点在し、グランドは放牧している牛、山羊の類が草類を程よくカットしている。標高2600mから3200mまで、そんな林の中のなだらかな道を1時間ほど登る。

峠を越えると眼下遥かに光る小金河へ道は一気に下る。左手の崖のすぐ足の下にその河は見える。約1400mを一気に下る。車一台がやっとと言うような箇所も有る。所々は落石で道が狭かったり、ある所は舗装が壊れ超強烈な凸凹道だったりする。いくら中国のドライバーといえ時速20kmが精一杯のスピードだ。約20分で1400mを下る。300/1000の勾配だ。

最低地点で対岸へ渡る。標高1800mだ。車一台しか通れないが、上下数百キロで唯一の橋に違いない。木里まではまた断崖絶壁を登る。標高差約500mを1時間で登る。東斜面にほんの少し開けた幅広の尾根上に木里はあった。本当に在ったと言っておこう。山また山、谷また谷のその奥に在った。如何してこんな奥の奥に人が住まなければならないんだろう。急な斜面に畑を開き、その昇り降りだけでもかなりの重労働なのに何故。人家を見て畑を見てその斜面を見て本当に不思議に思う。何百年、何千年前から人が住んでる。本当に人間の力はすごい。肌で感じる。その力を感じる。

木里の街は坂だらけ階段だらけの街だ。道と階段が複雑に絡み小さな町なのに迷ってしまう。




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