古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

中国マジック その2

2009-12-26 00:25:59 | 日記
その30 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年12月24日(木)

中国マジック その2 (緊急)

こんな項目を作るのではなかったと後悔している。

中国では不思議な事や、有り得ない様なことが日常的に起こっているし、色々な疑問点や不思議な事、または日本とチョッと違っているなと感じる事などを書こうと思っていた。

しかし、本当に現実の事となってしまった。将にマジックです。

今までは特定の固有名詞や、人名や、都市名や日時等を伏せて、書かない様にして来たが今回は事情が事情だけに全て公表しようと思う。

12月23日(水)の13時頃に迎賓賓館(住所 雲南省景洪市勐混路2号 電話 0691-2143208 社長 鄭 軍雄)にチェックインした。記帳し何時ものように事が済んで、部屋に荷物を置いて市内観光と夕食に外出した。半日の市内観光と夕食タイムだ。
市内の主だった所とメコン川(中国ではランシャンジアン)を眺めて市内の市場で夕食を取り、21時頃に賓館の部屋に帰ってきた。部屋で啤酒を飲み、その後メモを書いたりして22時前には休んだ。

ツインの部屋なので、開いている方のベットに荷物やら脱いだズボンやらを散らかして寝てしまった。夜中に二度ほど起きてトイレに行ったが何事も無かった。二度目に起きたのは確か午前3時頃だったと思う。
その次に目が覚めたのは午前7時、トイレに行こうと入口の方へいくと、入口のドアの前に脱ぎ捨てたようにしてズボンが落ちている。入口のドアが少し開いている。あれ、何だろうと思いズボンを持ち上げると、そこにはテッシュやハンカチが落ちている。ズボンのポケットに入っていたものだ。あれ、何でズボンが此処にあって、ドアが開いているんだろう。

何時もズボンのポケットに入れてある札入れや小銭入れが無いし。
暫らくは事情が飲み込めなかった。ドアは閉めてあるはずだし、夜中にズボンを履いて、もう一度ドアの前で脱ぐなんておかしいし、

ようやく泥棒と解かったのは暫らくたってからだ。
昨夜の3時から7時の間に何者かが部屋に忍び込み、金品を盗んでいったのだ。部屋は自動ロック式である。間違いなく鍵は掛っている筈だが。それを開けて誰かが侵入したのだ。

全ての荷物をチェックする。ズボンのポケットに入れてあった人民元と2台のデジタルカメラだけが無くなっている。別に仕舞ってあったパスポートや、クレジットカードや日本円、米ドル等は無事だった。枕元には時計や更にパソコンなど高価な品も置いてあるが、人民元とデジタルカメラだけを盗っていった。親切なのか、阿呆なのか。

如何しよう、警察に届けても、泥棒が捕まる訳でもないし、宿の社長は知らんと言い切るだろうし、とうぜ金も、カメラも戻らないし、ただの時間潰しにしか為らないだろう。
他に被害が無かっただけ喜ぶべきなのかも知れない等々と考えてしまう。
泥棒とかち合せていたら命も危なかったかもしれない等と。

上海の宿で本人から聞いた話だが、南京路で女性に声をかけられて助平心を抱き付いて行き、コーヒーを飲んだだけで4万円を取られたとの事。それに比べれば、泥棒の勉強代の金額も似たもので、安いか。しかしカメラに写っている写真はどうにもならない。

そんなこんなで諦めムードだ。宿の人間だけにでも言っておこうと思い、部屋を出て階下に行こうとした。そしたら、三階の階段の踊り場のダンボール箱の後ろに空になった札入れの袋と小銭入れの袋が在る。ご丁寧にも1角札も捨てられていた。

馬鹿な日本人の旅行者さんよ、確かに有り金頂戴しました。しかし袋と1角は要りません。人民元は頂きますが、角はこの世界では紙切れですから悪しからず。袋は思い出も有るでしょうから再度お使いください。ああ、カメラも欲しかったので2台も頂戴してしまいました。記憶カードだけでも残したかったんですが、時間が無いので全部頂きます。あばよ。

二つの袋と1角札はそう言っていました。俄然頭にきました。

「老板、公安を呼べ。俺の部屋に泥棒だ。早く公安を呼べ。」8時30分
「泥棒にやられた。」110番で公安に電話する。8時40分
9時5分、二人の警察官が来る。当然中国語しか話さない。110番した時は英語でお願いしたのに。
9時25分、調書を作成し、しかしこの間小生に聞かれたのは幾ら無く為ったのかだけで、何も無い。現場検証も事情聴取もそれで全てだ。その後、警察の車に乗り、景洪市公安局黎明派出所案件隊へ行く。9時40分着。
1時間20分も待って、英語の話せる年取った警官に事情を聞かれる。11時10分終了。たった10分だ。
そのまま、待ってなさいとの事。

受付のオネーチャンに、一銭も無いので銀行が閉まる前に銀行に行きたい、それにチェックアウトもしたい、それにもうこの街に居るのが嫌だから、モンラーへ移動したい、もう如何でもいいから事情聴取の写しでも下さい。余り良く通じないが、そんな事を言う。それでも、待ってなさいとの言葉しか返ってこない。

よし解かった。全て公安の言う通りにしよう。トコトンお付き合いします。如何の様な決着をしてくれるのか確認しましょう。最後まで付き合いましょう。開き直って覚悟を決める。今日中にモンラーに行けるか如何か等はもう如何でもよくなった。

待つ事暫し。
パトカーで送って呉れると言う。チェックアウトをするか、銀行に行くかと聞かれるので、チェックアウトをしてから、銀行に行きたいと言う。11時30分に黎明派出所案件隊を出発する。
実に3時間弱を要した。話したのはほんの十数分だ。

宿に戻りチェックアウトをする。老板(中国の社長の呼び名)は何んの悪びれた様子も無い。ごく当たり前の態度だ。公安へ行って気が済みましたかとでも言っている様だ。老板の責任は無いのかと言いたいがそんな事はまったく感じていないようだ。

両替に行くが、最初の中国銀行は物々しく、自動小銃を持った警備会社の人間が現金の搬送をしている最中で、別の支店へ行ってくれと警官に言っている。二行目の銀行で$100両替する。
景洪市公安局黎明派出所に戻り、証明書に判を押してくれる。
保険に入っている訳でもないし、何の約にも立たないが後の戒めにしようと思う。写真にとって報告したいがそのカメラも無い。

12時30分だ。警察官が腹がすいていないかと言う。朝から何も食べていないが大丈夫だと言う。OK OK 飯を食いに行こうという。パトカーで連れて行かれたのは、交通大隊本部の建物だった。脇から構内に入ると食堂風の建屋で警察官が思い思いに食事をしている。
「泥棒にやられた日本人に昼飯を食わしたいのですが、」
「ああ、いっぱい食わしてやれ、」上官らしき人が答える。

警察の食堂で快餐を頂く。朝から付き合って呉れている警官がミネラルウォーターを呉れる。表の日当たりのいい場所で警官と一緒に中国式の昼食をとる。

食後にまたパトカーでバスターミナルまで送ってもらう。

黎明派出所の二人の警官、周氏と陳氏には本当にお世話になった。彼等の親切が無かったら、中国でグレて居たかもしれない。感謝しよう。

朝からの経緯は以上である。

鍵の掛っている部屋にどうやって入るのだろう。
宿の人間が関わって居ないのだろうか。手引きして居ないのだろうか。
鍵の掛っている部屋といえ油断してはならない。更に鍵をかける心構えが必要だ。

中国ではマジックなどでも何でも無い事かも知れない。ごく当たり前のごく普通の事なのかもしれない。

泥棒は砂浜の真砂より多い。何処かの誰かが言っていた。

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