古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

香格里拉の空(気)

2009-09-06 22:44:08 | 日記
その4 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年8月29日(土)

早速の宿替えだ。8時にチェックアウトする。旅舎の車で香格里拉の中心まで送ってもらう。3元取られる。

新たな宿に9時にはチェックインする。

宿で声を掛けてきた同宿のK君と古城へ散歩がてら出かける。その後、3路のバスに乗って林賛松寺へ行く。なんと入場料は驚きの85元。激しく悩むが、そんなことを意に介しないK君はその入場券を購入してさっさと行く。やばい。田舎のオジサンも仕方なく85元の入場券を購入してバスに乗る。本当は、秘密の抜け道を知っているのだが言えずに入場券を購入してしまう。気のいいおじさんだ。

しかし、85元の値打ちは無い。中国政府の観光政策で不当に高い入場料を徴収されているのは間違いない。いやいや、それだけ中国が豊かになった印かもしれない。それなりに中国人の入場者も居るので昔のように外国人と中国人の差が無いはずだ。中国が豊かになったので中国人民でも入れる入場料に設定してあるはずだから、高いはずが無い。そう解釈しましょう。

文句を言いながらも、何度かお布施をしてお参りをしているのだからそう悪人では無いのだと自分を慰める。しかしどう考えてもおかしい。宿泊費よりも高額な観光地は避けるようにしよう。


2009年8月31日(月)快晴 

独克宗古城(中甸古城、つまり香格里拉(シャングリラ)古城の名)から裏山に当たる、百鶏寺へ登ってみる。のどかな風景が広がっており、先日の松賛寺より余程良い。

地元の人間がお参りしているだけだ。小さなお寺だが、坊主が4、5人居る。
タルチョ(チベット仏教の経文が書かれた旗を張り巡らした物。風に一度はためくと一度経文を読んだのと同じ功徳があると信じられている。)が到るところに張られている。
標高は3400mを示す。今回の旅の最高地点である。
息が切れる。もろ高山の障害である。吐き気がするとか頭が痛いとかそういった本来の高山病の症状は無いが、息切れし一歩一歩が苦しい。ゼイゼイハアハアなのだ。

30年前に約6000mの記録があるのだが、そんなのは屁の役にも立たない。
年と、体力の無さが身にしみる。歩くのさえ苦しいのだ。
それに日差しが強い。高度が高いことと、緯度が大部南と言うこともあって、かなりの紫外線と思われる。

気圧で大体680mb位で海面の30%マイナスである。空気が30%足りないのと同じかな?

とにかく、何をやるにしても大変なのだ。


2009年9月1日(火)

今更過酷な旅を求めてもどうなる物でもない。人生の上り坂であれば向上心に伴った精神が発露され力以上の力が発揮できるが、今更の感がする。普通のコースを普通に歩いて行くしかない。それすら難しいかもしれない。もう若くは無いのだから。

標高3400mはどう考えてもきつい。そこに居るだけで、ゼーゼーハーハーする。

中国の人民はその土地々でのパターンで物事を進めている。ある意味、中央が如何であろうと、結局は自分たちの思うままにその地域の風俗習慣を重視して生きているのかもしれない。中国は広すぎるし、人民も千人千色の気がする。まあ、中国共産党の威光が全国くまなく行き渡っているとは思うが。それにしても広すぎるし、人間が多すぎる。こんな山奥のこんな人里離れた土地に何でこんな巨大な街が忽然と現れるのかと思う。

街と街の間には何にも無く数十km離れて突然に高原に盆地が現れ数十万人の街がある。

香格里拉しかり、麗江しかり、大理しかり。
雲南省の西北のごく一部の地域の印象であるが、それでも省都昆明から香格里拉まで約710kmある。南西の景洪市までも同じくらいの距離がある。

雲南省は人口4316万人、面積39多万平方km


2009年9月2日(水)

6時に起きるが、まだ暗い。7時過ぎにようやく白んでくる。やはり北京時間より、2時間位ずれている気がする。
ここ香格里拉でも公式な時間は北京時間だろうが、実際の生活は感覚的にも2時間位のずれが有るようだ。学校や、役所、銀行などの公共機関は北京時間を守っているのだろうか?
6、7時に起きて、8、9時に仕事を始めるという日本での一般パターンは当てはまらない。

タクシーで香格里拉客運站へ行く。タクシーに乗るときに値段の交渉をするのだが、どう言う訳か、20元と言う。どうも飛行場と勘違いしているようだ。重ねて「汽車站」と言うと了解したらしく「6元」と言う。

座席番号No1で一番前の席だ。今日のコースの半分以上は先日の香格里拉入りの反対方向なのでどうってことの無い道のはずだ。

土砂崩れで道の半分ほどが塞がれている箇所が2箇所ほど有るが、それ以外は順調だ。土砂崩れは日常茶飯事に違いない。そのような地形の場所にしか道路は作れないのだから、鶏と玉子のようなものだ。崩れたら取り除き、崩れたら取り除き、山が無くなるまで何百年と続けるのが中国の力なのだ。

やはりと言うか当然というか、無人の荒野から突然に2400mの高原に数十万人の人口の街が現れる。丽江も今までの例に漏れなかった。

千年以上の歴史のある大研古鎮は完全な観光都市に変身した。
文化遺産なり自然景観なりが存在して、その近辺若しくはその中で観光に携わって生活している人間がいる。いわゆる観光都市、観光業者等だ。

しかし、丽江は異常だ。

観光土産店、特色風土的郷土料理店、古鎮風宿泊施設、郷土民俗舞踊ショウー、遊覧観光施設等が全てであり、本来の歴史的古鎮は何処にも見えず、街そのものが今あげた施設の中に埋没している。いや街の全てが観光という名の巨大な企業体と化しているのだ。観光施設を歴史的遺跡に似せて街をアレンジし創造したとしか思えないような状況だ。

数千、数万、数十万の人々が観光という名の産業で生計を立てている。そしてそれが全てだ。巨大化したために異常に感じられるのか?いや、中国ではそんなに巨大ではないのかもしれない。中国そのものが巨大なのでそれに比した観光産業もこれ位で、そんなに巨大と言える様なものでは無いのかもしれない。

観光がこんなに巨大な産業であると言うことが始めて理解できた。古城街の全てが観光業で成り立っているのだ。何千軒のホテル、宿泊施設が、何千軒のレストラン、料理店、何千軒のお土産店、民族系お土産店、何千軒の貴金属店(銀加工品が多い) 翡翠、玉石店、一般サラリーマン、農家といった類の家が無い。古城街は全て観光業界に属している。
そして、それに似合うだけの観光客が訪れているという事実が何にも増してすごい。それで生計を立てているのだから。兎にも角にも巨大なのである。

日本の観光関係で最大の都市は何処かは知らないが、その何十倍もあるに違いない。そして尚且つここ麗江が中国でのトップでもないことも事実と思われる。さらに上のクラスの観光都市があると思われる。

中国恐るべし。

自分の度量が試されているような気さえする。