パペットメーカー「フォークマニス社」は、
腹話術を教わるようになり、東京銀座『博品館』で、
パペットを捜している時に知りました。
可愛いパペットは、見ているだけで心が和みます。
今回、新しい仲間が我が家にやってきました。
かわいいでしょ
ポルトガルウォータードッグです。
そう、オバマ大統領の愛犬としてその名を広く知られました。
私が幼い頃、小さい白い犬のぬいぐるみを大事にしていた記憶があります。
出掛ける時も、寝る時も一緒でした。
この子を相手に歌を唄って聞かせたり、
お話を聴かせていたことを覚えています。
その後本物の犬を飼ったのですが、
ペスとか、コロとかロボといった名前をつけたのですが、
この小さな白いぬいぐるみの名前は忘れました。
シロという名前だったかも?
私が娘達を授かってからは、
おもちゃやぬいぐるみなどは、ほとんど手作りのものでした。
絵本のノンタンシリーズのキャラクターは、デザインが簡単で、
しかも可愛いので、手作りも簡単でした。
時代が戻りますが、
私が中学生の頃に、友人の家に遊びに行くと、
玄関や居間や応接間に、たくさんのぬいぐるみ人形が飾ってありました。
お子さんは男の子だけの家だったのですが、
お母様が手作りのお人形を大事に作っていらしたようです。
その男の子は、東京からの転校生でした。
タマイキミアキくんといって、ものごしがやわらかでした。
東京の言葉をしゃべっていたから、そのように感じたのでしょう。
長崎の男の子にはない垢ぬけた感じの子でした。
今で言うセレブな感じでしたね。
お紅茶とケーキのおやつが出てくるようなお宅でした。
我が家とは全く違うそのお家に、すっかり憧れました。
多分、その時にお猿のぬいぐるみを、お土産に頂いたと思います。
お店に売っている様なものではなくて、
あとでわかったのは『辻村ジュサブロー』さんの作品のコピーでした。
高校生になり、バザーでぬいぐるみの担当に立候補して、
辻村ジュサブローさんの本から、犬やくまのぬいぐるみをコピーして作りました。
当時、詰め物は木綿で、しっかりとした仕立てと布地で、
やわらかいけれど硬度のあるぬいぐるみは安定感があり、
飛ぶようにすぐ、完売しました。
辻村ジュサブローさんは、当時まだまだ誰にでも手に届くような、
愛らしいぬいぐるみをたくさんデザインして、
主婦の友社・雄鶏社あたりからではないでしょうか?(これは不確かです)
本もたくさん出していました。
今はもう芸術の域ですが、私は彼の初期の作品が一番好きです。
特徴的なのは、頭の部分がちょうど野球のボールのようにはぎあわせて、
キレイな球体ができる型紙のデザインでしょうね。
これは、はっきり覚えています。当時、何体も同じものを作りました。
上京したての頃、彼の人形教室が表参道にあることを知り、
訪ねて行ったことがあります。
もちろん辻村さんご本人はご不在でした。
教室の時間も無理でしたが、月謝も、貧乏な勤労学生の私には手が届かず、あきらめました。
でも、こうして今は大好きな人形、
しかもおしゃべりのできる人形と関わることができて、
面白いものだなぁ~と思います。
もう少しすると、今度はラクドールキャットのパペットが届きます。
こうして、『シャローム』の役者募集に大勢エントリーしてきます。
<T座長、よろしくお願いします!>
あとは、どのように命を吹き込むか…
いくつになっても、お人形は宝物です
腹話術を教わるようになり、東京銀座『博品館』で、
パペットを捜している時に知りました。
可愛いパペットは、見ているだけで心が和みます。
今回、新しい仲間が我が家にやってきました。
かわいいでしょ
ポルトガルウォータードッグです。
そう、オバマ大統領の愛犬としてその名を広く知られました。
私が幼い頃、小さい白い犬のぬいぐるみを大事にしていた記憶があります。
出掛ける時も、寝る時も一緒でした。
この子を相手に歌を唄って聞かせたり、
お話を聴かせていたことを覚えています。
その後本物の犬を飼ったのですが、
ペスとか、コロとかロボといった名前をつけたのですが、
この小さな白いぬいぐるみの名前は忘れました。
シロという名前だったかも?
私が娘達を授かってからは、
おもちゃやぬいぐるみなどは、ほとんど手作りのものでした。
絵本のノンタンシリーズのキャラクターは、デザインが簡単で、
しかも可愛いので、手作りも簡単でした。
時代が戻りますが、
私が中学生の頃に、友人の家に遊びに行くと、
玄関や居間や応接間に、たくさんのぬいぐるみ人形が飾ってありました。
お子さんは男の子だけの家だったのですが、
お母様が手作りのお人形を大事に作っていらしたようです。
その男の子は、東京からの転校生でした。
タマイキミアキくんといって、ものごしがやわらかでした。
東京の言葉をしゃべっていたから、そのように感じたのでしょう。
長崎の男の子にはない垢ぬけた感じの子でした。
今で言うセレブな感じでしたね。
お紅茶とケーキのおやつが出てくるようなお宅でした。
我が家とは全く違うそのお家に、すっかり憧れました。
多分、その時にお猿のぬいぐるみを、お土産に頂いたと思います。
お店に売っている様なものではなくて、
あとでわかったのは『辻村ジュサブロー』さんの作品のコピーでした。
高校生になり、バザーでぬいぐるみの担当に立候補して、
辻村ジュサブローさんの本から、犬やくまのぬいぐるみをコピーして作りました。
当時、詰め物は木綿で、しっかりとした仕立てと布地で、
やわらかいけれど硬度のあるぬいぐるみは安定感があり、
飛ぶようにすぐ、完売しました。
辻村ジュサブローさんは、当時まだまだ誰にでも手に届くような、
愛らしいぬいぐるみをたくさんデザインして、
主婦の友社・雄鶏社あたりからではないでしょうか?(これは不確かです)
本もたくさん出していました。
今はもう芸術の域ですが、私は彼の初期の作品が一番好きです。
特徴的なのは、頭の部分がちょうど野球のボールのようにはぎあわせて、
キレイな球体ができる型紙のデザインでしょうね。
これは、はっきり覚えています。当時、何体も同じものを作りました。
上京したての頃、彼の人形教室が表参道にあることを知り、
訪ねて行ったことがあります。
もちろん辻村さんご本人はご不在でした。
教室の時間も無理でしたが、月謝も、貧乏な勤労学生の私には手が届かず、あきらめました。
でも、こうして今は大好きな人形、
しかもおしゃべりのできる人形と関わることができて、
面白いものだなぁ~と思います。
もう少しすると、今度はラクドールキャットのパペットが届きます。
こうして、『シャローム』の役者募集に大勢エントリーしてきます。
<T座長、よろしくお願いします!>
あとは、どのように命を吹き込むか…
いくつになっても、お人形は宝物です