はがきのおくりもの

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 元気を補給したら、顔を上げて、歩いて行くんだよ!

生きる

2008年06月23日 | 柿の木高校物語 2001

 入学許可候補者発表のとき、身を正して見つめる。黙って立ち去る受検生と喜びを顔いっぱいにした受検生。それぞれの現実、人生が眼前にある。
 四月になれば、新入生たちが新しい制服に身を包み、新しいバッグに新しい教科書を入れて登校してくる。初めて制服に手を通すときの感激。初めて授業を受けるときの緊張。どの生徒も期待と不安を胸にして入学してくる。
 どれだけの準備をして彼らを迎えようとしているか。初々しさを忘れてはいないか。生きる姿勢が問われる。初々しさに応える気力のない者は、教師として人として不適格。
 「なぜ、あなたはいま、ここにいるのか」。真新しい制服を着た生徒や苦しんでいる生徒を前にするとき、聞こえてくる声。
 希望を語ってきたか。学ぶ心に火を点けてきたか。挑戦する気概を失ってはいないか。やる気のなさを正当化してはいないか。もし、生徒や先生方が生き生きとした学校生活を送っていないとしたら、それは管理職の責任である。
 時折「ああすれば、こうなる」と思考している自分に気づいてハッとする。子どもや他人をコントロールしようとしている自分がいる。「私は一体何をしようとしているのか」。
 授業中騒ぐ生徒、寝る生徒、不満をいう生徒、問題を起こす生徒。これらの事実は私たちに取り組むべき課題があることを示している。教師としてどう生きるかが試されている。
 課題に気づいたら、全身を使って全力で立ち向かっていく、それが生きるということであり、唯一の解答ではないだろうか。打算や理屈で押さえ込んでばかりいると、身体の内にある野性、生命力からしっぺ返しを食らう。「お前の一生は何だったのか」
 挫折、失望、自分のふがいなさに直面したとき、これまでの行為のすべてが意味のないことのように思えてくる。課題に気づいたとき、「何くそ」と身体ごとぶつかっていく。心のモヤモヤが晴れる。この繰り返しが教頭としての生きるということかもしれない。<2002.3.10>



 この号は幻の号なんだそうです。つまり、連載コラムとして書いてみたものの、何か満足できないものがあったのでしょう。ボツにしてしまったのです。ですから、本邦初公開です。
 気力がみなぎっていて、次の最終号よりずっといいじゃないですか。奥井はどうしてボツにしてしまったのでしょうかねぇ。

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