はがきのおくりもの

 思い出したくなったら、ここに帰っておいで!!!
 元気を補給したら、顔を上げて、歩いて行くんだよ!

謹賀新年

2008年06月18日 | 柿の木高校物語 2001

 明けましておめでとうございます。
 年が明け、生まれ変わる。無事の年越しを喜び合い、再生の賀詞を交換し合ったのは昔の話。新年を迎えて新たな自分に生まれ変わる儀式は消失した感がある。最近では、正月もあまりめでたくはなくなった。
 学校の再生、教員の意識改革を目指して、多忙な日々が続いている。多くの改革に挑戦しつつも、心に充実より空虚を感じるのは私だけか。再生、改革の難しさを痛感する。
 子どもに問題が起きたときは、その家族全体にとって、何か課題を乗り越えなければならないときが来ているのだという。一つ変わるには、全体が変わらなければならない。学校も全体が変わる時期に来ている。
 他人とコミュニケーションが取れない。わがままで規範意識がない。「この指とまれ」とも言えず、出された指に応えもしない。子は親の鏡。根本は大人自身、大人全体の問題である。
 「声かけが大切」。新任管理職心得の定番であるが、実践は容易ではない。それぞれの人間性が露わになる取り組みだから。
 朝夕のあいさつ。体調の悪い先生への声かけ。生徒指導で落ち込んでいる先生との世間話。難しい事案を審議した会議後は、司会や提案者へ「お疲れさま」とねぎらい、ときには話し込む。孤立しそうな先生の部屋へは、無駄話に出かける。
 気づくと、癒されているのは私。心を通じることで虚しさが消えていく。図書室などを訪れ、普段の仕事と異なるものを見聞きすると、心が生き返ってくる。
 声かけをするなかで気づいたもう一つのこと。先生方は実によく管理職の姿を見ている。管理職の言動が希望を与えもし、やる気を失わせもする。強くあらねばと改めて思う。
 生徒や教員、他人ばかりが変わってほしいと願う。自分が変わるより他に、学校の再生や教員の意識改革の方法はない。全体は自分、自分が全体である。
 謹賀新年、新たな自分に生まれ変わろう。このコラムを引き受けたときのように、自分を追い込みつつ。声かけで人にふれつつ。<2002.1.1>



 子どもに問題が起きたときは、その家族全体にとって、何か課題を乗り越えなければならないとき

 目を開かされた想いです。
 子どもに問題が起きたとき、自分や家族全体の問題と考えずに、外に原因を探してしまいそうです。
 外に原因を探す日本人の習性はいつ頃から顕著になったのでしょうか。昨今の子どもたちを巡る問題は、このあたりに原因があるのかもしれません。

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