最近、「プロレス芸」という言葉をソーシャルメディアで使った人が炎上したようである。
自分は長年プロレスファンなので、この手の揶揄は慣れているつもりなので
「炎上するほどのことか?」などと、謎の「耐性」が出来上がっているほどだ。苦笑
プロレス低迷期なら、そういう表現も多少あっても誰も気にしなかったかもしれないが
今、女子プロも含め、プロレス人気が高まりつつあるさなかであることと、
「君たちがやってるのはプロレスだ」ではなく「君たちがやってるのはプロレス芸だ」と、
なんとなく「お笑い」を含ませる言い方が、多くのプロレスファンの逆鱗に触れたのであろう。
さて、いい機会なので、「プロレスはやらせなのか」という、いつの時代も議論になる、この話題について、自分なりに意見を述べたいと思う。
「あの技、よけられるじゃん」⇒「なんでよけないの?」⇒「やらせじゃん」
まあ、こういうことなんだろうと想像できる。
そこの認識が、そもそも違うので、プロレスファン側と、そうでない側とで意見がかみ合わないことが多い。
そもそもプロレスは「よける」スポーツではない。
「相手の技をまともに食らって、それでも相手を上回ってこそ、本当に強い」
こういう理念がある。
なので「よけれる」「よけない」の話ではない。「食らう」のだ。
「もっと来いよ」と、挑発するのは、そのためである。
そして、プロレスを見ているとわかると思うが、マジで10発くらい、相手に殴らせるシーンが何度もある。
で、その時「10発殴られても平気な顔をする」
これがプロレスであり、見ている人を魅了するのだ。
何度も何度も攻撃を食らって、それでも立ち上がって、最後に大技で逆転勝利・・・
するかと思いきや、相手もさらに立ち上がる。
プロレスはとにかく、技を食らう。そして逆に食らわせる。そしたらまたやり返される・・・。
そうこうしているうちに
技を食らったように見せかけて、返し技で相手にダメージを食らわせる。
こうなってくると、本当にどっちが勝つかわからなくなってくる。
とにかく攻防が激しい。
プロレスという言葉が聞かれると、多くの人が「やらせだ」という先入観を持っていることでしょう。しかし、プロレスはあくまでスポーツとエンターテインメントの一環であり、その裏には熱い戦いと真摯な努力が存在しています。
まず、プロレスの興行は観客に対するエンターテインメントであると同時に、アスリートたちによる真剣勝負の場でもあります。
プロレスラーたちはトレーニングと努力を重ね、リングでのパフォーマンスを高めるために数々の技術を磨いています。その中には、リアルな打撃や投げ技、そして高い身体能力が必要です。選手たちは怪我をしないように気をつけつつ、相手との息の合った連携や戦略を練りながら試合に臨んでいます。
もちろん、試合の結末や一部の演出は事前に計画されていることがあります。これは単なるエンターテインメント要素であり、映画や舞台演劇と同様にシナリオに基づいています。
しかし、それが試合全体を支配しているわけではありません。実際、試合中に起こる激しいアクションや逆転劇は、選手たちの即興力や相手との息の合った連携によるものです。
また、プロレスは視聴者に感情移入を促すためにストーリーテリングが大切にされています。
選手たちはキャラクターを演じ、そのキャラクターたちの魅力や物語がファンを引き込みます。しかし、これが試合の結末を予測可能にするだけでなく、時には予測不可能な展開を生み出すこともあります。
総じて言えることは、プロレスはあくまでスポーツとエンターテインメントの融合であり、その両方の要素がバランスよく組み合わさっています。試合の結末がある程度予測可能であるからこそ、選手たちの演技やアクションがより際立ち、視聴者に感動を与えることができるのです。
つまり、プロレスが「やらせではない」ということは、リアルなスポーツの側面とエンターテインメントの要素が見事に融合されているということです。プロレスは熟練のアスリートたちによる真剣勝負の場であり、同時に視聴者に感動と笑い、時には涙をもたらすエンターテインメントの場なのです。
さあ、この文章が理解できたら、今日からあなたもプロレスファンです。w