オドフラン ~いつもどこかに「なるほど」を~

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プロレスは「やらせ」なのか?⇒結論、違う。「相手の攻撃を受けて、それでも相手を上回れるか」を魅せるスポーツとエンターテインメントの融合

2023-11-25 09:11:43 | 日記

最近、「プロレス芸」という言葉をソーシャルメディアで使った人が炎上したようである。

自分は長年プロレスファンなので、この手の揶揄は慣れているつもりなので

「炎上するほどのことか?」などと、謎の「耐性」が出来上がっているほどだ。苦笑

 

プロレス低迷期なら、そういう表現も多少あっても誰も気にしなかったかもしれないが

今、女子プロも含め、プロレス人気が高まりつつあるさなかであることと、

「君たちがやってるのはプロレスだ」ではなく「君たちがやってるのはプロレスだ」と、

なんとなく「お笑い」を含ませる言い方が、多くのプロレスファンの逆鱗に触れたのであろう。

 

さて、いい機会なので、「プロレスはやらせなのか」という、いつの時代も議論になる、この話題について、自分なりに意見を述べたいと思う。

「あの技、よけられるじゃん」⇒「なんでよけないの?」⇒「やらせじゃん」

まあ、こういうことなんだろうと想像できる。

 

そこの認識が、そもそも違うので、プロレスファン側と、そうでない側とで意見がかみ合わないことが多い。

 

そもそもプロレスは「よける」スポーツではない。

 

「相手の技をまともに食らって、それでも相手を上回ってこそ、本当に強い」

 

こういう理念がある。

 

なので「よけれる」「よけない」の話ではない。「食らう」のだ

「もっと来いよ」と、挑発するのは、そのためである。

そして、プロレスを見ているとわかると思うが、マジで10発くらい、相手に殴らせるシーンが何度もある。

で、その時「10発殴られても平気な顔をする

これがプロレスであり、見ている人を魅了するのだ。

 

 

何度も何度も攻撃を食らって、それでも立ち上がって、最後に大技で逆転勝利・・・

 

するかと思いきや、相手もさらに立ち上がる。

 

プロレスはとにかく、技を食らう。そして逆に食らわせる。そしたらまたやり返される・・・。

 

そうこうしているうちに

技を食らったように見せかけて、返し技で相手にダメージを食らわせる

 

こうなってくると、本当にどっちが勝つかわからなくなってくる。

とにかく攻防が激しい。

 

プロレスという言葉が聞かれると、多くの人が「やらせだ」という先入観を持っていることでしょう。しかし、プロレスはあくまでスポーツとエンターテインメントの一環であり、その裏には熱い戦いと真摯な努力が存在しています。

まず、プロレスの興行は観客に対するエンターテインメントであると同時に、アスリートたちによる真剣勝負の場でもあります。

プロレスラーたちはトレーニングと努力を重ね、リングでのパフォーマンスを高めるために数々の技術を磨いています。その中には、リアルな打撃や投げ技、そして高い身体能力が必要です。選手たちは怪我をしないように気をつけつつ、相手との息の合った連携や戦略を練りながら試合に臨んでいます。

もちろん、試合の結末や一部の演出は事前に計画されていることがあります。これは単なるエンターテインメント要素であり、映画や舞台演劇と同様にシナリオに基づいています。

しかし、それが試合全体を支配しているわけではありません。実際、試合中に起こる激しいアクションや逆転劇は、選手たちの即興力や相手との息の合った連携によるものです。

 

また、プロレスは視聴者に感情移入を促すためにストーリーテリングが大切にされています。

 

選手たちはキャラクターを演じ、そのキャラクターたちの魅力や物語がファンを引き込みます。しかし、これが試合の結末を予測可能にするだけでなく、時には予測不可能な展開を生み出すこともあります。

総じて言えることは、プロレスはあくまでスポーツとエンターテインメントの融合であり、その両方の要素がバランスよく組み合わさっています。試合の結末がある程度予測可能であるからこそ、選手たちの演技やアクションがより際立ち、視聴者に感動を与えることができるのです。

つまり、プロレスが「やらせではない」ということは、リアルなスポーツの側面とエンターテインメントの要素が見事に融合されているということです。プロレスは熟練のアスリートたちによる真剣勝負の場であり、同時に視聴者に感動と笑い、時には涙をもたらすエンターテインメントの場なのです。

 

さあ、この文章が理解できたら、今日からあなたもプロレスファンです。w