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デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)

私が撮影した競馬のレース写真を紹介しながら、過去のレースを振り返ります。たまに予想も。

日経賞メモリアル(セイウンスカイ)

2005年03月25日 01時32分51秒 | 中山競馬場
1999年 3月28日 中山競馬場
第47回 日経賞(G2)芝2500m 良 13頭
1着◎7セイウンスカイ(58横山典)2:35.3 1人気
2着…3セイウンエリア(56岡部)5馬身 6人気
3着…1ステイゴールド(57熊沢)クビ 2人気
単130 馬890

前年のクラシック2冠馬セイウンスカイが日経賞で始動。ホウエイコスモスに先手を許すも焦らず番手マーク。3角でスパートし4角先頭、余裕の手ごたえで5馬身差圧勝、天皇賞へ向け視界良好でした。ウィナーズサークルでは「京都(天皇賞)で頑張ってこいよ!」と声が飛ぶ。脚質にも自在性が出て天皇賞でも期待されましたが、ライバルのスペシャルウィークに早めに来られる厳しい展開で3着に敗れてしまいました。当時は珍しい?「アミノ酸」入り飼料を食べて「アミノ酸パワー」をもたらした馬としてとして新聞紙上でも話題にもなりました。

セイウンスカイ 1995年 4月26日生 芦毛 13戦7勝
父:シェリフズスター
母:シスターミル(母父:ミルジョージ)
主な勝ち鞍:皐月賞(G1)、菊花賞(G1)、日経賞(G2)、京都大賞典(G2)、
札幌記念(G2)

日経賞メモリアル(メイショウドトウ)

2005年03月25日 01時29分20秒 | 中山競馬場
2001年 3月24日 中山競馬場
第49回 日経賞(G2)芝2500m 良 10頭
1着◎1メイショウドトウ(58安田康)2:33.7 1人気
2着△6マチカネキンノホシ(58岡部)1/2馬身 2人気
3着…3メジロランバート(57柴田善)3馬身 3人気
単110 馬330的中

 メイショウドトウは有馬記念でテイエムオペラオーにハナ差敗れた後の今季初戦。外国産馬にも開放された天皇賞出走に向け、ここは負けられない1戦にファンも単勝1.1倍の断然支持。
 レースも危なげなく大外を回ってマチカネキンノホシと豪快な併せ馬で先着し、天皇賞のキップを掴む。次の天皇賞ではまたもやテイエムオペラオーの2着に敗れましたが、その次の宝塚記念でライバルを破って初のG1制覇を達成しました。

メイショウドトウ 1996年 3月25日生 牡 鹿毛 27戦10勝
父:ビッグストーン
母:プリンセスリーマ(母父:アファームド)
主な勝ち鞍:宝塚記念(G1)、日経賞(G2)、オールカマー(G2)、金鯱賞(G2)、中京記念(G3)

スプリングSメモリアル(バブルガムフェロー)

2005年03月18日 01時32分58秒 | 中山競馬場
1996年 3月24日 中山競馬場
第45回 スプリングS(G2)芝1800m 良 13頭
1着◎2バブルガムフェロー(56岡部)1:50.1 1人気
2着△12チアズサイレンス(56ロバーツ)1/2馬身 4人気
3着…10キャッシュラボーラ(56加藤和)1馬身1/4 6人気
単150 馬780的中

暮れの朝日杯3歳Sを順当勝ちで「とにかく弾けないでほしい」という岡部騎手のコメントが印象的だったバブルガムフェロー。クラシックに向けての初戦はこのスプリングSで、単勝1.5倍の断然の1番人気。レースは後方から余裕の手ごたえで着差以上の完勝。クラシックを目前にますます膨らむか?と思ったのもつかの間、骨折が判明し休養。春シーズンは棒に振ってしまいました。しかし復帰した秋には3歳馬による秋の天皇賞制覇、という大仕事をやってのけます。休養していた春シーズンにも、しっかりバブルを膨らませていたのでした。

撮影メモ(ニコンFE2)今となっては信じられない「フィルム巻き」も「ピント」も手動だったニコンFE2での撮影。競馬写真を撮り始めて3か月目、初めて「×2倍」のテレコンバーターを着けての撮影。やっとそれらしい写真が撮れた!と自信につながって、今日まで続けるきっかけになった思い出深い1枚です。

フラワーCメモリアル(ダンスインザムード)

2005年03月15日 00時46分35秒 | 中山競馬場
2004年 3月20日 中山競馬場
第18回 フラワーC(G3)芝1800m 重 15頭
1着◎10ダンスインザムード(54武豊)1:50.9 1人気
2着…4ヤマニンアラバスタ(54江田照)1馬身1/4 3人気
3着▲12メイショウオスカル(54藤田)1馬身3/4 5人気
単120 馬560 3連1,480

1月25日、岡部騎手が涙の復帰初Vを飾った若竹賞から2か月。目標にしていたクイーンCを体調不良で回避し、今日のフラワーCをステップに桜花賞を目指す超良血馬ダンスインザムード。今日は武豊騎手人気も手伝い単勝1.2倍の断然の1番人気。雨で滑りやすい馬場が心配されましたが、レースが始まればそれも杞憂に終わる。直線ヤマニンアラバスタに詰め寄られましたが、それでも余力タップリでゴールイン。1勝馬が多いこのメンバーでは役者が違ったか?これで一躍桜花賞の主役に浮上しました。
撮影メモ(ニコンF90)
競馬歴10年で初のフラワーC観戦。暦の上では春ですが、この時期特有の雨模様でかなりの寒さでした。指のケガをしていて、右手を包帯で固定しながらの撮影でした。ダンスインザムードが出走しなければ、たぶん観に来なかったレースでしたね。

天皇賞・秋メモリアル(シンボリクリスエス)

2005年03月11日 01時11分00秒 | 中山競馬場
2002年10月27日 中山競馬場
11R 第126回 天皇賞(秋)(G1)芝2000m 良 18頭
1着▲8シンボリクリスエス(56岡部)1:58.5 3人気
2着…1ナリタトップロード(58四位)3/4馬身 2人気
3着○17サンライズペガサス(58柴田善)クビ 4人気
単650 馬1,720 3連5,640

これが岡部騎手最後のG1勝利となりました。シンボリクリスエスはダービー2着の後休養、秋初戦の神戸新聞杯を1番人気で優勝。菊花賞の出走権利を持ちながら、果敢に古馬相手の天皇賞を選択。先行集団から直線抜け出す危なげないレース運び。ジャパンカップ以降はペリエ騎手に乗り替わりましたが、ファルブラヴ、サラファンと外国馬の強豪相手に小差の3着、続く有馬記念では1番人気で優勝し、現役最強の座をモノにしました。
撮影メモ(ニコンF90)
8時半競馬場着でベストの撮影場所を確保。この時期の中山だとメインレースの時間帯はコースが日陰になってしまうので残念でしたが、まさに「この1枚のための早起き」。天皇賞終了後、最終レース発走を待たずにトンボ帰りで帰宅。夜7時からナイターの野球をやる、という強行スケジュールの1日でした。

シンボリクリスエス 1999年 1月21日生 黒鹿毛 15戦8勝
父:クリスエス
母:ティーケイ(母父:Gold Meridian)
主な勝ち鞍:天皇賞・秋(G1)2002、2003、有馬記念(G1)2002、2003

中山牝馬Sメモリアル(ショウリノメガミ)

2005年03月10日 01時32分06秒 | 中山競馬場
1997年 2月23日 中山競馬場
第15回 中山牝馬S(G3)芝1800m 良 15頭
1着…10ショウリノメガミ(56武豊)1:49.3 4人気
2着▲11スプリングバーベナ(53田中勝)クビ 6人気
3着○12クロカミ(54岡部)1馬身1/2 1人気
単610 馬4,500

今とは違い、当時は春の中山開幕週で日曜日でした。鋭い末脚を武器にマイルCS2着の実績を買われましたが、前2走は1番人気で敗戦。新興勢力のクロカミなどに注目が集まり、ハンデ56キロということもあり今回は4番人気と低評価。「実績を忘れてないか~!」と言わんばかりの大外一気。2番人気フェアダンス(56.5キロ=4着)、3番人気エイシンバーリン(56.5キロ=11着)などの有力馬を尻目に後方から上がり33秒9の末脚で一気に差し切りました。2着スプリングバーベナは1年前のこのレース、馬群を割る豪脚(3着)が猛烈に印象深く、それ以降追い掛け続けて、やっと連に絡みましたが頭が無印で・・・。

写真はありませんが、予想で思い出深いのは、◎ナリタルナパーク(佐藤哲)の勝った99年。G1(秋華賞)、2着馬に53キロはバカにしすぎ。人気の中心メジロドーベルが58.5キロの酷量に対して、明け4歳のナリタは人気薄の9番人気だったので、無欲の追い込みに期待し思い切って本命視。これが大成功、しかしメジロが2着だったので馬連は安かったですが、3着だった10番人気のホッコービューティー(的場)も買っていたので、もし2着が変わっていればなぁ・・・。

(外)ショウリノメガミ(武邦彦きゅう舎)1991年 3月4日生
父:ミスタープロスペクター
母:Cinegita(母父:セクレタリアト)
24戦 7勝=主な勝ち鞍:京都牝馬特別(G3)、中山牝馬S(G3)

弥生賞メモリアル(アグネスタキオン)

2005年03月02日 00時34分27秒 | 中山競馬場
2001年03月04日 中山競馬場
第38回 弥生賞(G2)芝2000m 不良 8頭
1着☆1アグネスタキオン(55河内)2:05.7 1人気
2着☆3ボーンキング(55武豊)5馬身 2人気
3着…4ミスキャスト(55横山典)2馬身 4人気
単120 枠200取りガミ

ダービー馬アグネスフライトの弟という超良血のアグネスタキオン。暮れのラジオたんぱ杯でジャングルポケット、クロフネ相手に圧勝し期待通りの活躍。

そして年明け初戦の弥生賞。お昼過ぎまで大雨が降る荒れ模様。天候は急激に回復しましたが、不良のボコボコ馬場という最悪のコンディション。しかしそんな極悪馬場もなんのその、直線力強くボーンキングを突き放し5馬身差の圧勝で3戦3勝。

その後の皐月賞も1番人気で快勝しましたが、この不良馬場を走ったツケが響いたか、ダービーを前に左前浅屈腱炎で無念のリタイア。3冠の期待も空しく4戦4勝、異例のスピードで引退→種牡馬入りが決まりました。

中山記念メモリアル(サイレンススズカ)

2005年02月24日 00時40分03秒 | 中山競馬場
1998年03月15日 中山競馬場
第72回 中山記念(G2)芝1800m 良 9頭
1着☆9サイレンススズカ(武豊)1:48.6 1人気 
2着☆4ローゼンカバリー(横山典)1.3/4 3人気
3着…8ジェラスガイ(的場)ハナ 5人気
単140 枠330 馬350取りガミ

サイレンススズカは香港遠征帰りの年明け初戦、バレンタインSを久々に勝利、今回も断然の1番人気。

道中早いペースを刻みながらも直線脚色は衰えず、待望の重賞初勝利。武豊騎手は29歳の誕生日を重賞勝利で飾りました。

ちょうど1年前の弥生賞はゲートをくぐり抜けるご法度がありましたが、明け4歳ですっかり大人へ成長。この後中京の小倉大賞典、金鯱賞をともにレコードで圧勝し、宝塚記念でG1を制覇。

秋の毎日王冠ではグラスワンダー、エルコンドルパサーを完封する逃げ切り勝ちで年明け以降6戦全勝、完全に本格化し、天皇賞ではその勝ちタイムに注目が集まりました。

残念ながらその天皇賞のレース中に故障、この世を去りましたが、その韋駄天ぶりは未だに鮮明に焼き付いています。