三連休の中日に京都に行ってきました。今回のテーマは「龍馬」です。
関西に引っ越してから、何度も京都に行っていますが、大河ドラマ「龍馬伝」に影響され、家族より龍馬ゆかりの場所に行きたいとのリクエストがあり、龍馬巡りのプチ旅行となりました。
まずは、JRから京橋で京阪電車に乗り換え、伏見へ行きました。伏見は日本酒の醸造工場があることで有名ですが、幕末の舞台でもありました。象徴的な場所は、志士達の逗留場であった旅館「寺田屋」です(写真上)。寺田屋は薩摩藩士の内ゲバである「寺田屋騒動」や龍馬が幕府側の追手により襲撃されたのを後に龍馬の妻になるお龍の機転により危機一髪難を逃れるという、逸話の舞台でもあります。この寺田屋、昔ながらの姿の残しており、龍馬が襲撃されたときの、銃弾や刀傷の跡が展示されていますが、京都市の調べによると、戊辰戦争の伏見鳥羽の戦いで焼失したとされています。従って、この寺田屋は維新後に再建されたものであれば、龍馬が襲われた際の弾や刀傷の跡は残りようもないのですが。まあ、京都市街の史跡のように「石碑のみ」というものよりは、昔の様子をしのぶことができて、これはこれで、よいか、とも思います。
次に京都三条に行き、新撰組活躍の舞台となった池田屋に行きました。池田屋も当時志士達の逗留場となっていましたが、新撰組が襲撃し、20人の志士を斬殺あるいは捕縛しました。現在、池田屋は同名の居酒屋となっており、店の前には石碑が立っています(下の写真)。
また、三条通りには、やはり幕末で活躍した土佐の佐久間象山と長州の大村益次郎が殺された場所に石碑が立っていました。近くには織田信長が殺された本能寺もあり、京都の歴史はもしかしたら「暗殺の歴史」なのかもしれません。ちなみに龍馬が暗殺された場所も河原町通りを三条から四条に向けて下ったところ(醤油商「近江屋」跡)にありますが、コンビニの前に石碑が立っているだけと聞き、行くのは止めました。
三条を一筋南の小さな通り(河原町と木屋町の間)が龍馬通りと呼ばれ、海援隊の京都本部があった、木材商「酢屋」跡があります(現在はギャラリーとなっています)。龍馬通りを抜け四条通りから祇園を通り、つき当たりが八坂神社です。八坂神社を抜けて丸山公園を通り、秀吉の正室、北政所ゆかりの寺、高台寺をすり抜けると、龍馬の墓のある京都護国神社があります。護国神社では千を越える志士の墓がありますが、龍馬は共に凶刃に倒れた中岡慎太郎ととに祀られています。龍馬の墓所からは、京都が一望でき、何故か近くにあった桜の木が、この時期に関わらずほぼ満開を迎えていました(写真下)。
坂本龍馬といえば、日本初の貿易会社である亀山社中(後の海援隊)を興し、薩長同盟を進め倒幕の原動力たらしめた、あるいは新政府のアウトラインとなったと言われる「船中八策」を献策するなど、野にありながら新しい日本の礎を作った人物とされ、またその自由奔放な生き様は今なお多くの人を挽きつけてやみません。こういった人物像が偶像かどうかの議論を別にして、沈滞したムードが漂う現在において、彼のような風雲児的な人物に憧れるというのは無理もないかなと思います。それと龍馬を演じる福山雅治さん、かっこよすぎです。
関西に引っ越してから、何度も京都に行っていますが、大河ドラマ「龍馬伝」に影響され、家族より龍馬ゆかりの場所に行きたいとのリクエストがあり、龍馬巡りのプチ旅行となりました。
まずは、JRから京橋で京阪電車に乗り換え、伏見へ行きました。伏見は日本酒の醸造工場があることで有名ですが、幕末の舞台でもありました。象徴的な場所は、志士達の逗留場であった旅館「寺田屋」です(写真上)。寺田屋は薩摩藩士の内ゲバである「寺田屋騒動」や龍馬が幕府側の追手により襲撃されたのを後に龍馬の妻になるお龍の機転により危機一髪難を逃れるという、逸話の舞台でもあります。この寺田屋、昔ながらの姿の残しており、龍馬が襲撃されたときの、銃弾や刀傷の跡が展示されていますが、京都市の調べによると、戊辰戦争の伏見鳥羽の戦いで焼失したとされています。従って、この寺田屋は維新後に再建されたものであれば、龍馬が襲われた際の弾や刀傷の跡は残りようもないのですが。まあ、京都市街の史跡のように「石碑のみ」というものよりは、昔の様子をしのぶことができて、これはこれで、よいか、とも思います。
次に京都三条に行き、新撰組活躍の舞台となった池田屋に行きました。池田屋も当時志士達の逗留場となっていましたが、新撰組が襲撃し、20人の志士を斬殺あるいは捕縛しました。現在、池田屋は同名の居酒屋となっており、店の前には石碑が立っています(下の写真)。
また、三条通りには、やはり幕末で活躍した土佐の佐久間象山と長州の大村益次郎が殺された場所に石碑が立っていました。近くには織田信長が殺された本能寺もあり、京都の歴史はもしかしたら「暗殺の歴史」なのかもしれません。ちなみに龍馬が暗殺された場所も河原町通りを三条から四条に向けて下ったところ(醤油商「近江屋」跡)にありますが、コンビニの前に石碑が立っているだけと聞き、行くのは止めました。
三条を一筋南の小さな通り(河原町と木屋町の間)が龍馬通りと呼ばれ、海援隊の京都本部があった、木材商「酢屋」跡があります(現在はギャラリーとなっています)。龍馬通りを抜け四条通りから祇園を通り、つき当たりが八坂神社です。八坂神社を抜けて丸山公園を通り、秀吉の正室、北政所ゆかりの寺、高台寺をすり抜けると、龍馬の墓のある京都護国神社があります。護国神社では千を越える志士の墓がありますが、龍馬は共に凶刃に倒れた中岡慎太郎ととに祀られています。龍馬の墓所からは、京都が一望でき、何故か近くにあった桜の木が、この時期に関わらずほぼ満開を迎えていました(写真下)。
坂本龍馬といえば、日本初の貿易会社である亀山社中(後の海援隊)を興し、薩長同盟を進め倒幕の原動力たらしめた、あるいは新政府のアウトラインとなったと言われる「船中八策」を献策するなど、野にありながら新しい日本の礎を作った人物とされ、またその自由奔放な生き様は今なお多くの人を挽きつけてやみません。こういった人物像が偶像かどうかの議論を別にして、沈滞したムードが漂う現在において、彼のような風雲児的な人物に憧れるというのは無理もないかなと思います。それと龍馬を演じる福山雅治さん、かっこよすぎです。
坂本龍馬像が確立されたのは、司馬遼太郎さんの「龍馬が行く」なんでしょうね(読んでませんが・・・)。
藩や幕府といった組織から独立し、激動の時代を自由に駆け抜けていき、道半ばにして非業の死を遂げる、といったことが人気の理由ではないかと思います。
龍馬の献策とされる「船中八策」も実は龍馬のオリジナルではない、と言われているなど、現在の坂本龍馬像が必ずしも実像ではないと私も思っています。
京都は新選組など幕末にゆかりのある場所が沢山ありそうですね。やっぱり歴史好きには飽きない街でしょうね!
確かに今はリスクはとりにくいですから、ああいった行動力のある人間は注目を浴びるでしょうね!