13年の3月に、郡山のとある仮設住宅にお邪魔した時に、丁度外で春の草花の手入れと小さな花棚を作っているおじいさんがいらして、色々とお話を伺うことができました。
そのお話しの主要部分を要約しました。
1.この2年間で住む場所が4回も変わってきた。だから、ここでは誰も知り合いがいなくて、婆さん以外に話す相手がいない。
2.隣の人は、家族を亡くされたのか一人暮らしで、とても寂しそうだ。わしは、婆さんがいてくれてよかった。
3.ここは中通りの郡山の住宅地帯なので、浜通りよリも寒く、安普請の仮設住宅だから、床下からすうすう風が吹き込んで暖房やこたつをしていても、朝方などは寒くて我慢できないくらいだ。
4.丘陵地の大熊町に住んでいたので、小さな畑もあり、毎日裏山まで散歩を楽しんでいたことが懐かしい、それが皆失われてしまった。今はやることも散歩の楽しみも何にも無くなって、婆さんと二人で1日中テレビを見て過ごしている。出かけるのはパチンコに行くぐらいだ。だからすること無いので、ちいさな花棚を作っているのだ。何もしないと体がなまるから。
5.子供や孫たちは、千葉の方に知り合いがいるので、孫の安全のためにそこへ引っ越していった。孫には会いたいけれども、知らない土地で暮らすのは、ばあさんは嫌だと言っている。
6.いつになったら帰ることができるのか、こんな生活がいつまで続くのか、なんでこんなことになったのかと思うとイライラしてくる。
7.これから一体どうなるのか、わしは84歳、婆さんは81歳、もう何にもできん。先が見えない、目途が立たないということが、堪らない。
8.この間、一時帰宅が許された時に、気になっていたお墓に行ってみた。見るも無残にあちこちの墓石が泥を被りゴロゴロ倒れていてどうすることもできない状態だった。わしの代でこんなことになってご先祖様に申し訳が立たないと涙があふれでてきた。
9.これまでご先祖様たちが築いてきた家や畑やお墓があるにもかかわらず帰宅できないことが無念。
10.みんな原発の所為だ、絶対安全だと言っていたのに。
ご先祖様のお話になった時、おじいさんの声は詰まり、目が赤くなっていました。
わたくしは堪え切れなくなって、涙が止められませんでした。
これを書いている今でも、胸が詰まり鼻の奥がツーンとしてきました。