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「鳥追」門付け大道芸シリーズ(1)『日本の演劇史に脱落した、芸術になってやらぬ芸能の系譜』

2021-02-21 | PhotosーNoriko Wako
とりおい
小(こ)正月の予祝行事。また一種の芸能。秋の収穫時には、スズメ、サギ、カラスなどに作物を荒らされることが多いが、年初に害鳥を追い払う呪術(じゅじゅつ)的な行事をしておけば、その効果が秋にまで持続するという考えに基づく。子供たちが手に手に鳥追い棒と称する棒切れや杓子(しゃくし)を持って打ち鳴らし、「朝鳥ほいほい、夕鳥ほいほい、……物を食う鳥は、頭割って塩つけて、佐渡が島へ追うてやれ」などの歌を歌いながら、田畑などを囃(はや)して回る。大人も参加して家ごとにするもの、子供仲間が集まって家々を訪問して歩くもの、鳥追い小屋と称する小屋に籠(こも)るものなどがあり、信越地方から関東・東北にかけて広く分布する年中行事である。
 近世には三味線の伴奏で門付(かどづけ)しながら踊る者が現れ、これも鳥追いという。正月元日から中旬まで、粋(いき)な編笠(あみがさ)に縞(しま)の着物、水色脚絆(きゃはん)に日和下駄(ひよりげた)の2人連れの女が、艶歌(えんか)を三味線の伴奏で門付をした。中旬以後は菅笠(すげがさ)にかえ、女太夫(おんなだゆう)と称したともいう。京都悲田院に住む与次郎の始めたものと言い伝えるが、京坂では早く絶え、江戸では明治初年まであった。
[井之口章次]

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新内(しんない)」
「欧米では大道芸は今でも広場や街頭では盛んでよく見かけるけれど。日本は」とMさんと話していたところ、「残念だけど日本の都会では全く廃れてしまって、地方ではまだ少し細々と「門付け」として残っているとよ」という話になりました。何年か前に、新潟で大道芸のイベントがあり、特別に写真を撮らせていただいたことを思い出し、その内の数点を掲載します。
一等最初は『新内(しんない)』です。
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新内節(しんないぶし)は、鶴賀新内が始めた浄瑠璃の一流派。浄瑠璃の豊後節から派生したが、舞台から離れ、花街などの流し(門付け)として発展していったのが特徴。哀調のある節にのせて哀しい女性の人生を歌いあげる新内節は、遊里の女性たちに大いに受け、隆盛を極めた。(ウィキペディア)