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TPP関連その6-TPP等で国民は騙されたのでない。騙されることを選択したのだ。

2013-04-15 | 時事問題
TPPに関して手厳しい告発をされている孫崎享氏の『ニコニコチャンネル』から直近の記事を6編掲載します。

ニコニコチャンネル

発行  :孫崎享
配信代行:株式会社ニワンゴ



私はTPPをかなりの期間フォローしてきた。
 TPPに入って得られるメリットはない。
 TPPに入った場合日本社会がうける被害は計り知れないものが予測される。
 そして、TPPへいく過程で、自民党は詭弁と嘘を貫いた。
 自民党の議員、約120人は紛れもなくTPP賛成と言って選ばれた。
 しかし、今、安倍政権の支持率は高く、TPP反対もさして高くない。
 どうしてだろう。
 情報がないわけではない。
 幾つかの不可解なことは新聞を読んでいても十分に気づく。
 何故なのだろう。
 究極は、国民は騙されることをしっていて選択するのである。
 私はこのブログで、1946(昭和21)年8月「映画春秋 創刊号」における伊丹丹万作氏の言を引用した。
「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。それは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
  少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。
 だますものだけでは戦争は起らない。だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
  そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
 「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。」
  騙されることは選択である。
  
  
騙されないで、自分で考え、自分なりの結論を出した時、それは多くの場合、騙されることを選択している他の多くの人と見解を異にする。
  その時には、通常人々の群れから精神的に離れざるを得ない。
  騙される側には、権力と一体でいられるという報酬が得られる。
  騙されないぞと思い、行動する方は権力に逆らうという代償を払う。
  権力と一体ということは諸々の場面で好都合である。
  権力に逆らうというのは諸々の場面で不都合をもたらす。
  したがって、権力に誓ういる人、政治家、官僚、ジャーナリスト、経済界、これらの上へ行けばいくほど、騙されたふりをする。そうしなければ、手にいれているものを失うという恐怖がある。  
不都合を招いてまで真実を求めて、主張する、その選択を我々日本人はしないのである。