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「除斥期間」を防波堤に、「密約」を隠蔽

2008-09-11 | 沖縄問題
「沖縄密約」は30数年前の事件だが、1998年以降の資料発掘によって真相の核心に迫る証拠が洗い出されてきた。
2000年5月と2002年6月に発掘された米外交文書によって、「密約の存在」が交渉相手国の米外交文書に記載されていることが確認された。
次いで2006年2月には、「密約の日本側サインのイニシャルは自分だ」という「吉野証言」が明るみに出るなど、原告・西山氏側の主張を裏付ける新証拠発掘が続いた。
これに対して、歴代自民党政府や外務省・財務省は一貫して「密約はなかった」との主張を繰り返し、すべてをベール奥深くに隠蔽したままだ。
「機密漏洩」刑事裁判で有罪が確定した西山氏が、民事の「国家賠償請求訴訟」を決意した背景には、密約資料の発掘に刺激され「国家的犯罪を許せない」との公憤が倍加したからに違いない。
ところが、法の番人である司法が、下級審から上級審に至るまで「除斥期間」をタテに〝門前払い判決〟で幕引きし、結果的に政治権力に寄り添う判断を示したことに、〝司法の崩壊〟を痛感させられた。
いずれにせよ、「除斥期間」を隠れ蓑に、「密約の存在」論議に一歩も踏み込まなかった司法判断に、在野法律家から批判と失望の声が上がっている。
「除斥期間」は、民法はもとより、その他の法律にも明文規定のない制度で、「法令用語辞典」(学陽書房)には「権利関係を確定することを目的として一定の期間内に権利を行使しなければ、その権利が消滅することを法が定めている場合に、その期間を『除斥期間』という」と記されていた。除斥期間というハードルのあることは分かるが、「沖縄密約」裁判のケースに、安易に適用すべきでなかったと思う。
それは、2000年を挟んで続々発掘された新資料によって、事実認定の根拠が変わってきたのに、日本の司法は条文解釈にすがるのみで、「真相に迫る」意気込みが欠落しているからだ。
過去の最高裁判例に当たったところ、「除斥期間の起算点をずらした判例」もあり、「除斥期間」に固執した最高裁決定は、新資料についての公正な判断を回避したと思えるのだ。
西山氏は、敗訴確定の一報を受けた直後の9月2日、「行政と司法はこの問題に関する限り一体化している。極めて高度な政治的決定だ。(密約を認めることは)国家権力にとって存在基盤を揺るがしかねないという認識を持っているからだ。
密約は米公文書で明らかになり、当時の交渉責任者の吉野文六・元外務省アメリカ局長も語った。それでも政府が嘘をつくのは政治犯罪だ。それを司法が擁護するのは自らの権威を壊すことだ。
日米同盟が重要ならば、実相を国民に知らせ、理解と協力を得なければならない」と記者団に語った。「敗訴」の無念は残るが、西山氏が投じた一石はズシリと重い。

ちきゅう座
http://chikyuza.net/
<08.09.09>「沖縄密約」国家賠償訴訟 最高裁が上告棄却、西山氏の敗訴確定<池田龍夫>より引用