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最近キリスト教書店で古屋安雄の本を見ていると、10年ばかり前のことであるが、大変興味あることが書かれていたので、ここにメモを記すことにした。それは中国にも知識人や研究者の間に教会に行かない文化的クリスチャンが増えているということであった。

2000年9,10月「形成」という刊行物に古屋安雄が掲載した内容である。それによると、著者は、中国で神学校の教授になるためアメリカの大学院で学んでいる院生数人と会って話を聞いている。また、別に中国政府から奨学金を得てアメリカやヨーロッパに留学し、神学を研究し博士号を取得した人々がかなりいるという。この人たちは帰国後国の研究機関や国立の大学で宗教を研究し教えている。例えば、北京大学に1996年に宗教研究学部ができている。さらにほかにも欧米で留学する間にキリスト教に接してキリスト者になるものも少なくない。私沼野が教えているハルピンの恒星学院にも一人そのような教員がいるのを知っている。

中国は宗教を否定する立場に立つ社会主義国家であるが、キリスト教に対する関心が高まっていて、関連した学問研究の面でも熱意が感じられるという。近代化が欧米のキリスト教国から始まり、近代の科学技術の進歩がキリスト教文化圏でなされてきたことに注目するからである。最近各地の大学に宗教研究学部が相次いで設立されるようになっている。


例 21世紀中国宗教研究の方法とテーマに関する研究会 2009年11月  (写真は沼野が百度から転載)
   北京大学高等人文研究院、宗教文化研究院、宗教学部主催

以上のようにして文化的クリスチャンが存在し始めているが、その影響力は知識階級の間で非常に大きく、将来中国のキリスト教全体を左右するものとなるであろうと予想される。

古屋安雄は気になることがある、と次のように書いている。それは中国の「大部分の文化的クリスチャンが教会に行かないのは、教会には不十分な神学しかないから、中国語による神学の構築が努力はなされているが素人の段階にあり、知的クリスチャンのニーズを満たすにはほど遠いところにあるから」と知ったためである。(“Religious Studies – An Important Bridge in China” New Horizons, Vol. 67, No.2) 古屋はこれは教会から離れた神学であって教会の知的程度を見下している、と昔のドイツや日本の場合を引き合いに出して懸念を表明している。

私はこういった側面について知らなかったので大変興味をいだいている。今後論文や刊行物の記事からどのような影響が出てくるのか、またキリスト教会の神学に、そして教会全般にどのような影響が出てくるのか注目していきたい。

参考文献 
古屋安雄「キリスト教と日本人:異質なものとの出会い」教文館 2005年、3章中国と韓国のクリスチャン


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