禁断の木の実 生命の木
X
the one .............. the other
あるサイトで、第二ニーファイ2:15の訳文に疑問が寄せられた。
「禁断の実に対しては命の木というようであって、
前者は甘く、後者は苦かった」(1995年平成訳)
(2009年版は「一方」「他方」としているが同じ意味に取ることができる)
禁断の実が甘く、命の木(の実)は苦いというのはおかしいのではないか、というのである。英文の原文はこうなっている。
even the forbidden fruit in opposition to the tree of life;
the one being sweet and the other bitter.
これは、the one, the other がそれぞれどれを指しているのかという統語上の点と、甘い味がするのはどちらで苦いのはどちらかという意味上の点が問題となっている。
答えは、the one が命の木、the other が禁断の実を指すという、まれな古文体の形*であり、意味の点でも命の木の実が甘く、禁断の実が苦いと取るべきなのである。1995年版は誤訳で、ここでも下記の明治訳が最もよいことが分かった。
「生命の木に對しては禁制の實を設け給ひ、
一は甘くして、一は苦かりき。」
なお、昭和訳も次のようになっていて、捨て難い。
「禁断の実に対して生命の木があって
これは甘く かれは苦かった。」
この例からも、翻訳に当たっては原文の形式(文法)と意味上の妥当な解釈(前後関係の文脈と広い文脈から見た理解を含む。[ここでは命の木の実が苦いはずがない])の両面から臨まなければならないことがわかる。
*[資料] 石崎陽一「アーリーバードの収穫」2014.08.09掲載の
“the one: the other = the latter: the former の場合”
one と the other は「一方」と「他方」の意味と解されるのに対し、the one と the other は「前者」と「後者」の意味で用いられるので注意が必要です。
また、「後者」と「前者」に解さねばならない場合もあります。
この点に関し、『英語語法大事典』(大修館書店、1966年、pp.227-8)より備忘のため書き留めておきます。
the one と the other が前に出た名詞に個別的に言及するときに、ⅰ)the former, the latter となる場合と、ⅱ)the latter, the former となる場合とがあります。ⅰ)が、古くからのより自然な用法で、ドイツ語にもフランス語にも見られます。ⅱ)はラテン語の hic(this), ille(that)、あるいは英語の this, that に影響されたものとされています。(中略)
that が the former に、this が the latter に用いられる用法は古文体で、今は文語体にしか用いられないと OED に見られます。
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アルマ・O・テイラー訳と載っている文語訳モルモン経
知り合いから譲り受け読んだ感動は忘れられません。
聖餐会のお話で朗読したほど。
http://www.ldschurch.jp/2009-sep-01
翻訳されたモルモン書の見直しをしてくれる人物を探す。著名な作家である夏目金之助氏(訳注──夏目漱石の本名)を訪ねた。夏目氏はこの仕事を引き受けられないと言い,生田弘治という人を推薦してくれた。
・・
この出会いが『モルモン書』の日本語版を完成へと続く転回点となる。当時弱冠26歳のこの青年が,後に大正時代の最高の論客の一人と言われ,翻訳家,小説家としても文壇に影響を与えた生田長江であるとは,テーラー長老は知る由もなかった。
ーーー
ニーチェの詩集とか翻訳しているらしく、えらく名文なのもうなずけます。
読めばわかりますが昭和訳のは生田長江さんの訳をなぞった感じ。
そもそも英語版のモルモン書は欽定訳の古い英語を真似ているのだから、文語体のモルモン経が最も優れた翻訳かと。
聖書の文語訳があるようにモルモン書の文語訳版も発売熱望のオムナイです。
食ってもないものが、苦いも甘いも分かるわけねー
そんなのは翻訳以前の問題です。
(・∀・)イイネ!
世の中的には禁断の実こそがもっとも甘い果実なのでしょうがw
A(禁断の実)B(命の木)><B’(甘く)A"(苦い)
的に例の対句法表現てことはないのでしょうか? NJさん
何の根拠もないのではありませんか?
そういう思い込みが先にあったのでしょう。だから翻訳がおかしいのではないか、という疑問が湧いてきたと考えられます。
語順の上から見れば、交差対句法に合っています。英語の古語法でそれに沿っているのかも知れません。
アラン・ドロンさん
古来、古い文明に登場する命の木の伝承から言っても、不吉なものを表すものではなく、望ましいもの、命を与えるものの象徴であることに異存はないでしょう。信仰者がヘブライ人も含めて甘美なものと受けとめていたと考えて何の不思議、疑念があるでしょうか。思想、信仰を考察してきた人であれば、常識ではないでしょうか。
アダムとイブが命の木の実を食べないようにケルビムと回る炎の剣が置かれましたが、甘くて美味しいのだから食べられないようにそうやって厳重に守らないといけなかったのでしょうね。
一方の禁断の実は、善悪を知る知恵を手に入れるものです。これは苦い。なるほど確かに物事の事実を受け入れることは苦くて辛いものです。だから普通の人は避けて通るのですね。エデンの園の中央にあってもアダムが食べようとしなかったように、目の前にあっても人はそれを食べようとしない。サタンの誘惑でもなければ決して食べようと思うことはないのでしょう。
私もある事についての真実を受け入れるには大変苦い思いをしたものです。その経験と重ね合わせてみると、善悪を知る知恵はやはり「苦い」と言うのが正しいかも知れませんねェ・・・。
アダムにとってそれが最良の選択だったように、私にとってもその経験が最良の選択だったことも同じです。
関心のある他地域の方のご参加をお待ちしています。
午後1時―4時 会場、東京 高田馬場 エムワイ会議室
”
http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/e3a43058f19a64ccc47bf7278fcb027b
東京都新宿区高田馬場1-29-9 TDビル3F
https://www.kaigishitu.com/streetview/00201022001.html
{m_0151/}
今までの経験ではこの部屋くらいでちょうどなのですが。
>命の木の実は、食う前に追い出されて食ってないはずですよ。
2:9また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
2:16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。
ーーー
となってますから、命の木の実も当然食べたんでしょうね。
あらんどろんさん(記)
>ケルビムと回る炎の剣が置かれましたが、甘くて美味しいのだから食べられないように
3:22主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
甘くて美味しいからというより、禁断の実を食べてから命の木の実を食べるという物語上の矛盾を解決しているんでしょうね。
裏技禁止というか、救いの道に王道は無いということなんでしょう。
3:24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。
ジェームディーンの「エデンの東」ってここから来ていると知ったのは恥ずかしながら成人してから。
考えてみれば園の中央に命の木があって東側に一本道しかないということになりますか。
ところで禁断の実はアダムとイブがイチジクの葉で裸を隠したところからイチジクの実とも言われます。(諸説あり)
では命の木の実は?
棗椰子(ナツメヤシ)ではないでしょうか!
古代から栽培され、果実としては異常に寿命が長く世界一甘い果実だそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ナツメヤシ
メソポタミアや古代エジプトでは紀元前6千年紀にはすでに栽培が行われていたと考えられており、またアラビア東部では紀元前4千年紀に栽培されていたことを示す考古学的証拠が存在する。ウルの遺跡(紀元前4500年代−紀元前400年代)からは、ナツメヤシの種が出土している。
・・
樹の寿命は約100年だが、場合によっては樹齢200年に達することもある。
Neither biblical records nor secular history and archaeological research identify the dimensions or the location of the garden in terms of the present-day surface of the earth. Latter-day revelation specifies that as a mortal, Adam lived at Adam-ondi-Ahman in what is now Daviess County, Missouri (D&C 107:53-56;116:1;117:8). Several early LDS leaders, among them Brigham Young and Heber C. Kimball, stated that the Prophet Joseph Smith taught them that the Garden of Eden was located in what is now Jackson County, Missouri (JD 10:235; cf. 11:336-7; DS 3:74).
わたしには,自分の生まれた国も他のどんな国もその描写には当てはまらないように思えました。ある日の夕方,モルモン教の宣教師になるための訓練を受けていた青年から電話を受けた時,わたしはその話題を持ち出してみました。そして率直に,『もし君の国が他の国と戦争するとしたら,その国の同じモルモン教徒たちと戦うつもりですか』と尋ねてみたところ,驚いたことに,その青年は『戦う』と言いました。わたしは自分が信じていた様々な教えをさらに詳しく調べ,モルモン教会の責任ある指導者たちにも尋ねてみました。すると,『君の疑問に対する答えは,玄義に関するもので,いつの日か,光が輝きを増す時に明かされる』と言われました。
わたしは,そうした説明に失望し,自分自身について,また自分がモルモン教の宣教師になろうと思うのはなぜなのか・・・」
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2013083
うぅぅんん、まず神の国と義を求めよとなるんだろうけど・・・・うぅぅんん・・・
ジョセフスミスは色々伝えたのでしょうが、アメリカ大陸は最終的なシオンの地になることは否定しませんが、少なくともエデンの園は創世記を読む限り、アメリカ大陸ではないと判断したほうが良さそうです。
エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。 2:9また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。 2:10また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。 2:11その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、 2:12その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。 2:13第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。 2:14第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。
エデンの園から川が流れ、そこから4つの川が流れており、その流域には金や縞瑪瑙はともかく、ブドラク(インド原産の香木樹脂)があったそうで、4つの川の記述を総合すると、アフリカ~アラビア~インドあたりらしい。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200001921
人類の起源についても、モロッコあたりに30万年前の人骨が見つかっており、20万年前のエチオピアの人骨から考えても、だいたいあのあたりと見当がついているとされています。
ミズーリ州は黄銅鉱は取れるみたいですが、残念ながらブドラクだけでなく、しまめのうさえ採れずかすりも何にもしていませんよ。
モルモン教はキリスト教として伝統キリスト教に対抗できるほどすばらしい中心教義を持ちながら、世界宗教として確立する際に出てしまった副産物として、色々な都市伝説にまみれてるのが残念に思います。
>エデンの園は創世記を読む限り、アメリカ大陸ではないと判断したほうが良さそうです。
確か「救いの教義」によるとノアの洪水以前地球はパンゲア大陸状態で大陸は一つということで説明されていましたか。。まぁ無理がありますが。
ちょっとフェアーを調べて観ました。
https://www.fairmormon.org/answers/Joseph_Smith/Garden_of_Eden_in_Missouri#Question:_Is_it_true_that_Mormons_believe_the_original_Garden_of_Eden_was_located_in_Missouri.3F
質問:元エデンの園がミズーリ州にあるとモルモン教徒が信じているのは本当ですか?
ジョセフ・スミスがこれを教えたという事実上の状況証拠があります
ジョセフ・スミスは、ミズーリ州にエデンの園があったことを明示的に教えていませんが、その読みはLDS聖句と一致しています。そして、ヨセフの同僚からの後の証言は、
ほとんどの末日聖徒はこれを認識していますが、それはLDS神学ではほとんど役割を果たさない比較的小さな点です。
(対照的に、新エルサレム・シオンはアメリカで建てられるという考えは、LDSの意識においてはるかに大きくなります。)
このアイデアはおそらく、ほとんどの非会員を奇妙なものと見なしますが、単に聖人たちが庭の場所について意見を持っているという理由だけではありません。
すべての縞の宗教がこのテーマについてさまざまな意見を持っています。アメリカのオブザーバーの外では、庭が地元であるという考え方は、LDSの見解では遠く離れた時間や遠くの空間に埋もれてしまったこともありません。むしろ、LDSガーデンは地元で、やや直ぐです。
しかし、思いやりのある観察者は、これが単に末日聖徒のユニークさのイエス・キリスト教会のもう一つの顕現であることを理解するでしょう。古い預言者だけを信じるのではなく、遠い土地で、古い記録現代の啓示、生きている預言者、神の民との継続的な神の関わりを受け入れています。ジョセフ・スミスによって修復された福音は、単に過去を犠牲にするのではなく、現在も未来も犠牲にしています。そして、それは崇高な事柄と農場、丘、地形のような地上の懸念の両方を犠牲にします。
大部分の観察者を驚かせるのは、聖なるもののこの侵入であり、庭の問題は単に広範な現象のもう一つの例に過ぎない。
ーーー
こういった奇異に見える都市伝説的な思想は思いやりを持って見るべきなんでしょうね。
伝統的なキリスト教も似たような物語を持っているってことでしょうか。
モルモンは,エデンの園がミズーリにあると信じているのですか?
昔のエデンの園の場所がどこであるか,正確には分かっていません。
重要な,すなわち基本的な教義ではありませんが,ジョセフ・スミスは,ミズーリ州デイビーズ郡に定住地を設けた際,エデンの園はその地域のどこかにあったと教えました。
ノアの箱舟に乗った動物の正確な数を知ることと同様,エデンの園の正確な場所を知ることは,イエス・キリストの贖罪を信じることに比べれば,人の救いにとってその重要性ははるかに小さなものです。
ーー
んー^^;
豚さんとかまた怒りそうな説明ですが、かつてそうであったように都市伝説的教義は少しずつ姿を消すのでしょうね。
“「12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
12:23 天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、・・・・」
「13:14 この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。」
”
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%89%E3%82%93%E3%81%A8
>こういった奇異に見える都市伝説的な思想は思いやりを持って見るべきなんでしょうね。
全部剥ぎ取ると教会はわかりやすく、かつつまんなくなってしまうので、JSがそういうのが好きだったことは明らかなので、それにちなんで趣味の領域として、教会公認LDS都市伝説を楽しむ会というのがあってもいいとは思うんですよね。
邦人会長は飛鳥昭雄とかに据えて、中央幹部は老害が会を邪魔しないように釘を刺すと、もっとよろしいでしょう。
Today, many Mormons say they give Adam-ondi-Ahman little thought. Columbia University scholar and practicing Mormon Richard Bushman even calls it "Mormon lore."
http://www.stltoday.com/lifestyles/faith-and-values/mormons-see-valley-in-missouri-as-linked-to-adam-eve/article_4acfb38a-f4ef-500f-9cc9-e4fbf1116636.html
>ところで禁断の実はアダムとイブがイチジクの葉で裸を隠したところからイチジクの実とも言われます。(諸説あり)
りんごとかイチジクとか「甘い」じゃん
禁断の実は「苦い」のではないかというのが元々の話ですけどねェ
ところでふと思いついたのだけど、禁断の実を食べたから「死」が入り込んできてアダムは死すべき体になった・・・と言うことなら、食べなければ死なない状態だったわけだから、命の木の実、食べる必要ないじゃん!
命の木の実、意味ないぞォ!?
今までその点に考えが及ばなかったなァ・・・エデンの園の話って最初から設定に無理があるのでは? 今回、みなさんの色んな意見を聞いて一つ賢くなりました。禁断の実を食べて目が開けたような感じ?
でもねぇ禁断の実は苦く、死がもたらされる代わりに、知識を得て事実を知るわけでしょ。だったら命の木の実はその逆じゃないかなと。
つまり命の木の実は甘く、永遠に生きる代わりに、バカになって何もわからなくなるんですよ。
映画「マトリックス」でモーフィアスの渡した赤と青のカプセルはエデンの園が元ネタなのは言うまでもないですが。
なるほど。禁断の実 苦い で検索してたらこんなのに行き着きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/知恵の樹
第三バルク書と葡萄の樹
そこで神は天使サラサエル(サリエル)をおつかわしになり、彼(ノア)に云った。
「起て、ノアよ、その蔓を植えよ、主が次のように言われるゆえに。
『この苦さは甘さに変えられるであろう、これ(葡萄の樹、以下同)の呪いは祝福になるであろう、これから生じるものは神の血となるであろう、そしてこれによって人間どもの種族が罰を受けたごとく、今度はイエス・キリストのおかげで、これによって復活と、楽園への入場を授かることになろう』」。
ーーー
葡萄といえばワイン。ワインといえば血。
モルモン古典神学だと失楽園以前人間は血によって生かされておらず、霊によって生かされていたとか。
太古葡萄は苦かった!
ジョセフは外典からインスピレーションを得ていたのでしょうか。
”予言者ジョセフ・スミスは、アダムが子孫を祝福したのは、「彼らを神のみもとに連れ戻すことを願った」ためであると述べています。(ジョセフ・フィールディング・スミス編『予言者ジョセフ・スミスの教え』p159)”
「53 アダムは死ぬ3年前に、すべて大祭司であったセツ、エノス、カイナン、マハラレル、ヤレド、エノク、およびメトセラを、義にかなった子孫の残りとともにアダム・オンダイ・アーマンの谷に呼び集め、そこで彼らに最後の祝福を授けた。
54 すると、主が彼らに現れた。彼らは立ち上がってアダムをほめたたえ、彼をミカエル、君、天使長と呼んだ。
55 また、主はアダムに慰めを与え、そして言った。「わたしはあなたを立てて首長とした。多くの民族があなたから出るであろう。そして、あなたはとこしえに彼らを治める君である。」
56 そこで、アダムは会衆の中に立ち上がった。彼は老齢で腰が曲がっていたにもかかわらず、聖霊に満たされ、最後の世代に至るまでその子孫に起こることを預言した。」(dc107)
この”みもと”は英語でpresence で、御前とか臨在とかって教義と聖約に。
「23 さて、このことを、モーセは荒れ野の中でイスラエルの子らに分かりやすく教え、その民が神の顔を見ることができるように、彼らを聖めようと熱心に努めた。
24 しかし、彼らは心をかたくなにし、神の臨在に堪えることができなかった。そのため、主の怒りは彼らに向かって燃え、主は激しく怒って、彼らは荒れ野にいる間神の安息に入れないと誓った。この安息とは、主の完全な栄光のことである。
25 それゆえ、主は彼らの中からモーセを取り去り、また聖なる神権も取り去った。 」(84)
トロイの木馬事件のきっかけも、ニュートンが万有引力の法則を見出したのもリンゴです。
日本でも、「まだ上げそめし前髪の リンゴのもとに見えしとき・・・」とか、郷ひろみのリンゴ殺人事件とか・・。
つまり、アダムとイブが食べたのもリンゴで、大変美味しかった!と言う事ですね。
禁断の実が苦くてまずかったら、誰も食う気がしないので、話にならない。
禁断の実は、美味しくて食べたいという欲望を持たせるので、話のつじつまが合うんです。
喰いたればこその
のど仏
>禁断の実は、美味しくて食べたいという欲望を持たせるので、話のつじつまが合うんです。
ええと、禁断の実と命の実、甘いのはどちらか? 先日からいろいろ考えていましたが神殿のエンダウメントでの会話に答えがありました。
ルシフェル「イブ、ほらあの木の実だ。食べると賢くなれる。とても美味しくて みんなが欲しがっているよ。」
Eve, here is some of the fruit of that tree. It will make you wise. It is delicious to the taste and very desirable.
禁断の実つまり善悪を知る木の実について、ルシフェルは美味しい(delicious )と言ってますね。
まァ、ルシフェルはウソつきと言われてますから美味しいというのはウソかも知れない、という可能性があります。ところが、禁断の実を食べたイブがアダムも食べさせようとしたとき彼女はこう言います。
イブ「アダム、ほらあの木の実よ。とても美味しくてみんなが欲しがっているのよ。」
Adam, here is some of the fruit of that tree. It is delicious to the taste and very desirable.
イブは実際に食べたうえでアダムに言ってるのですから禁断の実はとても美味しいことは間違いありません。
甘いと表現してはいませんけれども、美味しいわけですから、苦くはないでしょう。
これでハッキリした結論が出ました。甘いのは禁断の実(善悪を知る木の実)の方なのですね。したがって命の木の実は苦い。
神殿は信仰ある者に豊かな知識を授けてくれる場所のようです。
神殿は純粋な信仰を持つものだけに豊かな理解力を与えます。
失楽園以来アダムとイブだけでなく、全人類はイエスキリストの救いを得るまでは、延々と苦さを味わい続けていることを、エンダウメントは教授してるんだよ。
また、Rさんの解説も説得力があります。
また、宿題をもらった感じです。
>ルシフェル「イブ、ほらあの木の実だ。食べると賢くなれる。とても美味しくて みんなが欲しがっているよ。」
イブはお腹がすいていたわけでもなく、美味しい木の実を求めていたわけでもなかった。
ただ、何事もなく過ぎていく実に平和すぎるエデンの園での生活に少しうんざりしていたのだ。
「禁断を破るとどうなるのだろう?わからないけど、今の平凡すぎる日常が少しは変わるかもしれない。」そう思って、蛇の誘いに乗った。
禁断の木の実は、とても苦くておいしいものではなかった、まんまと蛇に騙されたのだ。
しかし食べると、目が開け退屈な毎日から抜け出せそうな気がした。
そこで、イブは連れ合いのアダムにも食べさせて、この退屈なエデンの園から一緒に出て行こうと考えた。
イブはアダムに勧めた。
イブ「アダム、ほらあの木の実よ。とても美味しくてみんなが欲しがっているのよ。」
もちろん、アダムはその木の実を食べるべきではない事も、木の実が美味しくないことも主から聞いて知っていた。
アダムは、イブが罪を犯したのも知っていた、それを諫めるのが正義だと思っていた、しかし、イブの罪を一緒に負うのが主の教える愛ではないかと思った。
それに、確かにエデンの園の生活は退屈だし、このままでは、子供もできないし、何の未来もない。
アダムはイブと手から木の実を取って一口かじった。
実に苦くてまずい、吐き出したくなったが、何とかのどまで飲み込んだ。
アダム「イブ、おまえはよくこんなまずいものを、二つも食べたな」
イブ「だって、今食べとかないと、エデンの園を追い出されたら、当分何も食べるものはないでしょ?」
アダム「そうだけど・・・。」
アダムは、「女はいざ腹をくくると、忍耐強いものだ」と、改めて知ったような気がした。
アダム「退屈じゃなくなるけど、大変だぞ・・・」
イブ「良いじゃない、二人で何とかできるはずよ」
二人は、エデンの東に向かって歩き出した。
イブの動機は、これを食えば「賢くなれる」という効能書きに釣られたんだろうな。
https://www.lds.org/manual/preparing-for-exaltation-teachers-manual/lesson-3-the-fall-of-adam-and-eve?lang=jpn
全般的に感じるのは、LDSではアダムの行為を肯定的、積極的な決意として教えていることです。またエデンの園にいたままでは子供を作ることができないとしています。これらの根拠となるような記述は聖書にはなく(私の知っている限り、ないはずです)、LDS独特のものですね。
率直に感じたことは、悪い言い方になってしまうのですが、アダムの行為を正当化するために非常に無理のある考え方を聖書によらないところから引っ張り出しているように見えます。これが映画や芝居などの創作物であれば、聖書を元にドラマチックで複雑な物語を生み出したと受け止めることは可能だと思います(そういう創作物も私は嫌いではありません)。しかしこれが一般的なキリスト教で受け入れられるかは疑問に感じます。
もちろん、LDSが独自の解釈を持っていることを否定するつもりはありません。キリスト教だってユダヤ教徒から見れば旧約聖書のトンデモ解釈でしょう。それと同じ事だと思います。
ところでLDSではイブなのですか?エバなのですか?
大変興味深い会で若い世代も多く、将来の末日聖徒に頼もしさを感じました。
「預言者の言葉であっても自分自身で研究し納得するまでは受け入れる必要はない。」とメモしました。
私には明快ですが、この問題もそうなのかもしれません。
そうです。人類を生じるために自ら「神の戒めを破る」という選択をしたと信じられています。
>またエデンの園にいたままでは子供を作ることができないとしています。
これは時系列に創世記を読むと納得できると思います。
2:17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
2:24それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
2:25人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
3:6・・その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
3:16つぎに女に言われた、・・あなたは苦しんで子を産む。
4:1人はその妻エバを知った。
ーーー
>ところでLDSではイブなのですか?エバなのですか?
現在は「エバ」です。
教会員歴が長いと「イブ」を使う人が多いかも。
「人生とは重き荷物を背負いて坂道を上るがごとし」って言葉が有りますが。モルモンの人生観は、「この世は人間が神のごとくになるための鍛錬の場(成長の場)」と言う事です。
人が肉体を得て、この世に来たのは、肉体を持つ事により、苦しみや悲しみ、喜びを経験し成長するためと救いの計画の中で言われています。
エデンの園は、一人の人間で言えば、親に養われていた子供の時代です。子供でも、赤ちゃんは作れるでしょうが、本当の意味での「子を産み育てる」ではないと思われます。
エデンの園も、禁断の木の実も、神と人間の関係を示唆する象徴的な神話ですから、多少の矛盾が有っても、その中にモルモンの教義が流れているものだと思います。
それぞれの宗派に違った教義解釈がある以上、モルモンにはモルモンのエデンの園物語が有ってもいいのではないでしょうか?
モルモンは、人間がこの世で味わう苦しみや悲しみを、「アダムが罪を犯し、エデンの園から追い出されたから」と考えるのではなく、禁断の木の実を食べたことも含めて、「全てが主の計画である」と肯定的にとらえます。
生きる苦しみは、「始祖が罪を課したため」ではなく、「人が成長する為に必要な試練」と考える方が、人生少しは前向きに生きられるのではないでしょうか?
個人的な感想ですが、モルモンの教義には、新天地を求めてアメリカ大陸に移住し、開拓者として生きていた時代のアメリカ人の、積極性と合理性が入って居るような気がします。
>「預言者の言葉であっても自分自身で研究し納得するまでは受け入れる必要はない。」とメモしました。
どうしてわざわざこんな事を書くんですか?
誰の言葉であっても納得しないのに受け入れる必要はありませんよ。納得しないのに従わなければならないのは、法律や税金など。機密保護法や消費税なんかは納得できず嫌だと思っても、従わなければ犯罪者となり強制的に懲罰を与えられます。仕方ありません。
預言者の言葉に従わないと教会内でそんな懲罰を受けるのですか。あるいはオムナイさん自身がそうしてきたのですか。違いますよね?
だってこのブログにコメント書く人たちって、程度の差こそあれ、預言者の言葉に対して「それは彼個人の見解であって真理ではない」として受け入れない事があるじゃないですか。オムナイさん自身もそうしてきたのではないですか?
なぜ今さらそんなことを言い出すのか不思議に思うのです。
コメありがとうございます。
今回のLDS聖研グループ研究会の講演についてはNJがまとめておられるでしょうから、そのスレッドで返信させていただきます。
NJさんが。ですm(__)m
お返事有り難うございます。
>現在は「エバ」です。
>教会員歴が長いと「イブ」を使う人が多いかも。
『モルモンの本』というサイトを見つけました。
↓
https://www33.atwiki.jp/mormon/sp/login/1288.html
ここではモルモン書の旧版(モルモン経)を全文公開しているようです。
これによると「イヴ」となっていますね。
>これは時系列に創世記を読むと納得できると思います。
たくさんの引用をいただきましたが、それによって聖書には書かれてはいない、ということが明確になったと思います。もちろん書かれていない事柄にも想像を膨らませてこれはこういう意味なのだと推測することは構わないと思います。また可能性の話をすれば、書かれていないけれども真実である、という事柄も実際には存在するのでしょう。
さらにはLDSの重要な教義が聖書以外のものを根拠としているのも、それはそういう宗教なのだからと思いますし、LDSの方々がそれを受け入れるのも私はいっこうに構わないと思います。
ただ、エデンの園にいたままの状態では子供をもうけることはできないというLDS独自の考えが、『聖書にも書かれている』とおっしゃられる方がいるのなら、それは間違いであると私は申し上げると思います。
豚様
>それぞれの宗派に違った教義解釈がある以上、モルモンにはモルモンのエデンの園物語が有ってもいいのではないでしょうか?
はい、私はそれでいいと思います。エデンの園が実在したと考える人も、単なる寓話と受け止める人もいるでしょう。ですがその物語に辻褄が合わないところがあればそれは指摘されるでしょうし、それに対する誠実な回答はなされていくべきだと思います。
現在のLDS教会がそうした指摘にどのように対応しているのかは今の所よくわかりませんが、関心を持っております。
速報期待しております。(特に逃げ猫)
オムナイさんへ
>「預言者の言葉であっても自分自身で研究し納得するまでは受け入れる必要はない。」
については、
A.キリストの贖い、定番教義の救いの計画、家庭の夕べやHTの大切さ、隣人愛など、普遍的な教えについてなど、健全な教えで疑問を持つまでもなく支持できるもの。
B.19世紀~20世紀中盤くらいの古い資料でオカルティックな発言や人種差別や政治的に偏っていた時代の伝説なのか教義なのかどうかさえ怪しい、会員を当惑させる発言類。
C. イラク戦争推進ともとられかねない政治的失言に近いコメントや、同性愛者の子の扱いなど現時点でも賛否が分かれているものなど。
三つの内で、模範会員でもBとCについてはたとえ預言者たちの発言であっても、個々に捕らえ方が異なっていても教会では容認されていると思います。
>はい、私はそれでいいと思います。エデンの園が実在したと考える人も、単なる寓話と受け止める人もいるでしょう。ですがその物語に辻褄が合わないところがあればそれは指摘されるでしょうし、それに対する誠実な回答はなされていくべきだと思います。
ではお聞きしたいのですが、旧約聖書の創世期3章14節に、イブを騙した蛇に対して神様が与えた罰について書いてあります。
「お前は腹で這いあるき、一生ちりを食べるであろう」と書いてあるのですが、蛇ってそれまでは、足で歩いていなんですかね??
それに、蛇ってちりを食べてないし・・・???(笑)
私は、聖書の記述には辻褄が合わないことなど探せばいくらでも見つかると思っています。
それはそれでいいんじゃないかって思ってます。
ジョセフスミスにとっては、アダムが罪を犯したって事がどうも辻褄が有ってない様に思えたのでしょう。
そもそも、聖書の記述や、旧来のキリスト教の教義にすべて合理的な説明がつくのなら、新しい宗派なんて生まれない。
聖書は、突っ込みどころ満載だから面白いんじゃないですか?
こんなところで楽しく意味のない論争を続けられるのも、つじつまが合わないからですよね。
エデンの園でライオンは何食ってたんでしょうかね??
「悪魔が人の子らを誘惑するのは必要である。そうでなければ、人の子らは自ら選択し行動する者とはなれない。苦いことを経験しなければならない、甘いことを知るができないからである。」
こう考えると、禁断の実は苦くて、命の木は甘いことと言えるだろう。
しかしまた、アダムが禁断の実を食べなければ甘いことや苦いことを経験することができない。つまり味さえわからない状態であった。
それゆえ神に従う者は甘く、悪魔に従う者は苦いと解釈した方がよろしいのではないだろうか。
ⅡN2章と教義と聖約29章を比較して読んでみましょう。
>私は、聖書の記述には辻褄が合わないことなど探せばいくらでも見つかると思っています。
>それはそれでいいんじゃないかって思ってます。
なるほど! 豚様の見識は了解いたしました。
しかしそうはおっしゃっても、LDSの教義は辻褄が合わないぞと指摘しても、誰もお怒りにはならないわけではないですよね? ここはおかしいのでは?と思うことがありましても私は遠慮しながら質問させていただこうと思います。
https://www.fairmormon.org/answers/Mormonism_and_science/Death_before_the_Fall#Question:_Did_procreation_exist_before_the_Fall_of_Adam.3F
一応護教サイトの解釈を貼ってみました。
字義的な解釈よりも人生の様々な場面でどのように活かすか?
ということにモルモンでは解釈の重点が置かれます。
例えばエデンの園でアダムとイブは矛盾する2つの戒めの選択に迫られていました。
1、産めよ増えよ地にみちよ。
2、禁断の実を食べてはならない。
つまり禁断の実を食べなければ「産めよ増えよ地にみちよ。」という神様の命令を実行できなかった。
となります。
これはより選択決断する場合より重要な事柄を優先する。ということを汲み取ることもできますし、
アダムが自分の楽園を犠牲にして私たちの為に死を選んだ。(キリストの予表)ことを学ぶこともできます。
隣人の幸福のために自分自身を犠牲にする。無私の精神を学ぶ兄弟姉妹も多いことでしょう。
そうですね、それがモルモンの一つの特徴です。
そもそもが、「神のお告げ」から始まってる宗教ですので、辻褄なんて気にしない。って言うかほとんど辻褄が有ってない(おいおい!)
しょせん人間の知恵や知識考えの及ぶところは限界が有って、神の御心など推し量るのは無理です。
それで、聖典をよく研究して、その中から神の御心を知る、とか、人間の生き方を推し量る。等と言う様なめんどくさい事をモルモンはしません。
預言者の言葉に従い、行動する。それでもわからない時は、聖霊を通じて祈り答えを待つ。
教義につじつまの合わないことが有っても、「そのうち啓示で示される」って感じですね。
いい例が、黒人の神権に関する問題です。
世の中が人種差別問題に敏感になっても、一向に改めることは無く、「それでいいのだ・・」で長年やって来て、ある日突然「これからは黒人にも神権を与える!」って発表が有ると、ただ、「それはよかった!!」と預言者を称賛する。
私の長年の経験では、これがモルモン流です。
モルモンでは「つじつまが合わないなんて言うのは、信仰が薄いからです」って言われます。
「信仰とは、まだ見ていないことを信じる事」ですからね。
>「預言者の言葉であっても自分自身で研究し納得するまでは受け入れる必要はない。」
なんていうのは、モルモンの中でも、ほとんど信仰なんて持って無い人の発言ですから、気にしないでください。
誤解がありませんように重ねて申し上げますが、LDS教会がどのように教えておられても私自身は、興味深く、なるほどなぁと拝見しております。教義の内容については反対をする意図はございません。LDSの方々がどのようにキリストを受け止めておられてもよろしいのではないかと思います。
>つまり禁断の実を食べなければ「産めよ増えよ地にみちよ。」という神様の命令を実行できなかった。
この説明もLDSの教義の中では綺麗に完結しているのだろうと思います。
ただ、私が申し上げたかったのは、「禁断の実を食べなければ子供は作れない」と聖書には書いてありません、という事だけです。たしかにLDSの教義にそって聖書の文章を読めばそのように受け止められるのだ、と仰りたいのかも知れないとは思っております。
しかし「聖書にそう書いてある」という人がもしいらっしゃたら、「それは違う」と申し上げるしかありませんね、という話でございます。ご気分を害されません事を願います。
Forbidden fruit is sweetest.
―禁断の果実は最も甘い―
アメリカ人にとっては常識なのでしょうか。
ところで、禁断の実は口に入れたときは甘いけれども後々大変なことになるから、苦いものなんだという意見がありましたが、それを言い出したらこの記事のテーマが成り立たなくなります。
と言うかそれって甘い味がすることを認めたようなものじゃないか、と思うのは私だけなのですかねェ・・・
だって逆に言えば、命の実は口入れたときは苦い、けど人類にとっては価値あるものだから本当は甘いんだよって解説も成立するじゃないですか。
そもそものテーマは「これは甘く かれは苦かった」という部分が聖典の文脈からいってどちらの実を意味するのか?ということだったはず。カレーライスとトンカツ、どっちが食べたい?と聞かれてカツカレーと答えるようなことを言い出すのはどうしたものなのかと。まァそれも、有りかな・・・