[映画のポスター]
12月9日、大阪十三(じゅうそう)で綿井健陽(わたいたけはる)監督の映画「イラク。チグリスに浮かぶ平和」を観た。全編を通じて痛々しい場面が続き、心が痛んだ。しかし、悲しくも優れたひとつの記録映画である。
2001年の9.11同時多発テロの後、怒りにはやる米国は先ずアフガニスタンを攻撃して制圧し、次いで大量破壊兵器を隠しているとの理由でイラクに矛先を向け侵攻した。2003年のイラク戦争である。結局、大量破壊兵器は出て来ず、フセイン政権を倒して、米軍が2011年まで駐留した。この間、10万人以上のイラク人が戦禍で命を失ったと伝えられる。
最近、比較的イラクの情勢が沈静化しているように感じていたので、その後どうなっているのか気になっていた。この映画はその間隙を埋めてくれる。アメリカの侵攻時から戦場ジャーナリストとしてバグダッドに入った綿井は、前線にあって撮影し、状況を逐一記録に留めてきた。そして、一つの手法として世代が同じで、親しくなった一人の男性とその家族を軸に十年間の推移を描いている。
米軍の空爆が始まった時、「誤爆」により居住区が爆撃されて、幼い子供を3人失ったアリ・サクバン علي صكبان は、次いで国内の抗争のとばっちりを受けて弟を失い、最後に綿井が久しぶりに会いに行ったところ、本人までもがテロで命を落としていた。そのように身内を大勢なくした老父は、神が許されるなら命を絶って彼の世に会いに行きたいと涙ぐんで言う。
このように悲惨な目に遭ったイラクの人々のことを私たちは忘れてはならない。誰に責任があるかと言えば、この老人は第一にアメリカであり、アメリカを支持した国々(それには日本も含まれる)であると答えていた。また、国の先行きを尋ねられて、これだけの破壊を被ってすぐに好転するとは思えない。しかし、よいことも来るかもしれない、と語って諦観のうちにも彼等の強い生命力を感じさせた。インシャアッラーإن شاء الله(神が望まれるなら。→ きっとそうなるに違いない)。
なお、ラストシーンはチグリス川に家族で船に乗って漕ぎ出し、憩いのひと時を楽しんでいる光景であった。広いチグリスの川面は危険に遭う心配がなく、平和を味わうことができると語るのを聞いてタイトルの意味が分かった。
(映画を観てアラビア語はごく僅かではあるが、単語や挨拶が認識できた。改めて発奮し学んでいきたいと思っている。)
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「悲惨な場面が続く、しかし優れたドキュメンタリー。見てよかった。9日、大阪、十三で」
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