
同志社大学の小原克博教授がフェイスブックなどネット利用について語った。(日本キリスト教団「信徒の友」2月号)。キリスト教会は昔からラジオ、テレビをかなり先駆的に活用してきた。また初代教会が書簡を筆写・回覧したことも当時のメディアを利用したことであると考えられる。今日のキリスト教会も可能性のあるツールとして用いるべきではないか、と肯定的に見る。
信仰や姿勢(考え方)の共通した人々がつながって、豊かな実を結ぶのは大切なことで、特にインターネットは国境すら超えて瞬時につながりを構築する。小原教授はこのつながりの大切さを認めながらも、つながるだけで切る力を持たないとネットの海に飲み込まれる恐れがあると指摘する。人を解き放ったはずの利器に縛られ拘束されると、読書に集中したり思考を集中させたりすることが困難になると警告している。
もう少し深く掘り下げた内容を期待したが、5ページにわたる価値ある巻頭インタビュー記事である。文中、ネットの検索に引っかからなければ「存在しない」も同然とあった。lds教会でもステークやワードでホームページなどを運営するところが出てきているのは、顔が見え始めている兆しと言えよう。
[参考]
小原教授について:当ブログ 2011.07.20 同性愛・・同志社大小原(こはら)教授の解説
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中々訪問できなくなっています、どうぞ、今年も宜しくお願いします(^^)
>人を解き放ったはずの利器に縛られ拘束されると、読書に集中したり思考を集中させたりすることが困難になると警告している。
確かにそうだと思います。
他の側面から、善きものであれば、何ら心配ないと思うのです。善きも悪しきもある中で、知らずに気づかないうちにわたしたちの内なる繊細な霊の感性にも悪影響あるときにそういう問題に繋がるように思います。
人は不完全ですし、神からもたらす完全な情報でなければ、聖霊の影響を妨げる力がそこに潜んでいるのも原因の一つと思ったりします。何故なら、聖霊の賜物からくる祝福は「五感、六感」すべてにおいて、わたしたちを成長させ、神に近づける力がありますから。
本当にありがとうございます。
気をつけなければと考える機会を与えて下さいました。
・・南の方、美らさんありしことを忘れたことなし・・
しかし、今では、ネット無しでは教会活動が出来ないほど、LDSもその運営をネットに依存している。
指導や、教育の多くの部分をネット配信で行っているのは、NJさんもご存知の事でしょう。
指導手引きを含め、教材などのほとんどがネットで公開され、逆にネットでしか見られない資料も有る。
急旋回もいいとこですね。
もしお時間が有れば、NJさんの研究課題として、LDSが、どれだけ多くの部分をネットに依存しているかを調査して欲しいですね。
幹部がフェイスブックで発信する時代ですから、中間的な指導者は、単なる事務的な組織運営者になってしまうかもしれません。
霊的指導者がますます減るかもですね・・・?
その点は先日、お隣の古参の友人が愚痴っていました。今の状態は伝えるだけの外資系チェーン店みたいだと。
しかし、フェースブックなどネットをあまり見ない会員も少なからずいるようです。私の身の回りにもいます。衛星放送をあまり評価しない(好きでない)人もいます。これは私。身近な地元の指導者から話を聞く方が、心に響き充実して感じられることが多々あります。先日の地域訓練集会は大変よかったです。
その時代はfacebookとかtwitterとかない時代ですからね。不透明で悪の要素が強かったのかもしれません。警告は大事だったと思います。今の時代でも、ベトナー長老が警告はしていますよね。
デビッド・A・ベトナー長老
若い男女の中には、精神と霊の感受性をマヒさせてしまうテレビゲームやオンラインゲームに果てしなく時間を浪費して仕事や教育で成果を上げる機会を先延ばししたり失ったり挙句のはてには大切な人との関係を犠牲にしてしまう人がいるようです。
愛する兄弟姉妹の皆さん、よく注意をして下さい。
コンピューター上の交信で人物像の忠実度が低く交信の目的がゆがんだとうさくした邪悪なものである場合は、霊がそこなわれる危険性が非常に高いと言えるのです。直ちに、その場から立ち去り、そのような活動には永遠に近づかないで下さい。」
警告する利用が明確にある。
わたしも直に指導者のお顔を見ながらの方が基本好きですが、総大会の衛星放送から、多くの霊感、助けを受けたのも多くあります。
ベニヤミン王が死を直前にして、多くの民が王の話を聞くために集まったとき、あまりにも人数が多いのでやぐらを建てて、そこから民に語りかけても、聞こえない人のために使いを出して、王が語った話を書き取らせて送った。・・・
文明の利器は主から賜ったものだと思っています。
ベニヤミン王の時代からすると今日の文明の利器は、多くの人に祝福をもたらす機会になっているのも事実ですよね(^^)
そんなことを言っていたのか気になり、リアホナを検索してみましたが、ネットを見ることを警告したわけでなく、テレビやネットの有害なものをさけるように警告していたようです。ネット普及当時は有益なものが今よりは少なく、有害なものの方が多かったからだと思われます。
現在も有害なもはありますが、有益に活用できるものがたくさんあります。教会も含めて。
インターネットは有益なものも、有害なものもどちらも存在する諸刃の剣的な存在です。
神殿の内容以外のほとんどすべての情報をインターネットで知ることができます。教会員でなくてもほとんどの情報を知ることができます。どれだけの人が見ているのか知りませんが。
世にあって世のものとならず。
これが一番あてはまるのがインターネットの使い方かもしれません。
そうですね、初期の頃は、皆さん実名で話をしていましたし、住所などの個人情報も平気で公開していましたね。
今では、NJさんぐらいかな?
現状を見て思うのは、教会運営の「ネット依存」「IT依存」ですね。
教会の役員になると、洪水のごとくメールで資料や連絡が送られてくるらしいですよ。
テキストや資料も、ネット公開の方が先で、本やDVDは後で送ってくることも有るようですね。
ネット,ITを使いこなせない人は、指導者にはなれないんでしょうね。
昔は「英語」今は「IT」。
これを使いこなせるのが、教会役員の必須条件なのかも?
もっと必要な条件が有るような気がしますけどね。
退院した後、体調崩しませんように祈っています。
客観的な目をお持ちの沼野さまのような方ほど、貴重な存在はいないと思います。