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2月26日、ダリン・H・オークス長老はハーバード法学大学院で5年目になる毎年恒例の「モルモ二ズム101」と呼ばれる講演を行った。講演の焦点は教会の基本的信条を説明し、教義や宗教実践に関して持たれている誤解について語ることであった。以下講演から要約紹介させていただきたいと思う。

モルモン教徒があまりよく理解されていないことは、最近出版されたゲーリー・ローレンスの「アメリカ人はモルモ二ズムをどう見ているか」(2008年)から分かる。そこに引用された調査によれば、四分の三がこの教会を高い道徳規準を持つ宗教と見ているが、約半数が秘密主義的で不可解な信条を持つと答えている。モルモン教徒を表す言葉としては、87%が家族を大切にしている、78%が正直、45%が盲目的と答えている。

このローレンスの書と昨年グリフィス判事がハーバードで行った講演を引きながら、オークス長老は神の特性、人生の目的、真理を得る三つの源―科学、聖典、継続する啓示について聴衆に語りかけた。その論調は信仰の人、キリスト教指導者の立場であり、末日聖徒の使徒として証をする姿勢で貫かれている。

講演の中でオークス長老は、現在アメリカでは相対的な道徳観が半ば公認の綱領のようになっているが、本来神から与えられた絶対的な道徳があるはずである、また、結婚の定義や性差について概念を変えさせようとする力が政治、法制、社会の各方面から働いている、と現状を観察している。

そして私の注意を引いたものに、グリフィス判事がモルモン教徒の特徴の一つに、我々が皆天父の子供であると信じることから「人の潜在力について楽観主義で人々との行き来が促されている」と述べている点がある。その結果「我々は人々が好きで、進んでコミュニティを形成する」という。グリフィス判事がモルモン教徒は地域社会のよい構成員で、社会から求められ、共同作業に加わるよう期待されている、と見るのは正しいとオークス長老は述べる。

続いてグリフィス判事が、モルモン教会では個人の好みで通う教会を選ぶのではなく、地域別に会衆が構成されるので、多様な会員が出席することになり、これまで会ったことのない人と教会で共に奉仕したり、訪問し合ったりするので、「素性や経歴、性格、関心の異なる人を理解し受け入れるようになる」と観察した言葉を引いている。それは個人的な好みや性向の異なる相手にも奉仕することを身につけさせ、ひいてはボランティアとして地域社会にとけ込むことを可能にしている、とオークス長老は語っている。

他にもシカゴ大学の教職に就くに際して夫婦で祈って答えを得たなど、個人的な経験を織り交ぜて興味ある解説を試みている。最後に「その実によって知ることができる」と言われるように、大勢の会員はもちろん外部の多くの観察者にとっても教会の結ぶ実はよいと言える、ピーター・ドラッカーがハーバードのセミナーで述べているが、「モルモン教徒は唯一うまくいっているユートピアである」という言葉が指しているようにモルモン教徒は人々にとってよい隣人となっている、と結んでいる。

Source: http://www.morumon.org/defendingoaksatharvard.htm 
関連記事 
http://www.hlrecord.org/news/mormon-leader-clarifies-mysteries-of-his-faith-1.1266474 (Harvard Law Record)

コメント ( 9 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
水の中の油 ()
2010-03-08 15:50:52
>ひいてはボランティアとして地域社会にとけ込むことを可能にしている、とオークス長老は語っている。

水の中に油を溶け込ませる事を、「乳化」と言います、別の言葉では「エマルジョン」。

エマルジョンは、一見水に溶けているように見えますが、実際は、微粒子となった油が界面活性剤によって、混ざりこんでるだけです。

小麦粉の中に砂を混ぜているようなものです。

油が「自分達は水ではない」って言っている限り、油が水に溶ける事は無い。

水では無いと言うことが、油の存在価値なんですから。
 
 
 
まあね (NJ)
2010-03-08 18:02:40
相変わらず厳しい!そう言ってしまってはおしまい?
判事や長老のような見方の可能性はないものですか。
 
 
 
愛するとは ()
2010-03-09 14:36:56
モルモンは、いつも社会に対して「私達を受け入れろ!」と言う主張を繰り返し、そして「どうして受け入れないのだ!」と迫り、「受け入れられるのが当然の権利だ!」「受け入れないのは間違っている!」と主張します。

このオークス長老の話もその延長線上に有ります。


>ひいてはボランティアとして地域社会にとけ込むことを可能にしている、とオークス長老は語っている。


「地域社会にとけ込むことを可能にしている」と言うような表現しか出来ないから、地域社会に溶け込めないんです。

どうして「受け入れてもらえるように自分達も変わらなければいけない」と言えないのでしょうか?

私自身、友人や知人に、あるいは親や兄弟にその信仰を持つ事を受け入れられています。
出されたお茶を飲まないことや、日曜日に仕事をしない事を認めてくれています。
それは、私の周囲の人達の、思いやりやいたわり、そして愛によるものです。

私が素晴らしいから認められているのじゃなくて、私の周りの人が素晴らしいから、認めて下さるのです。

この事を本当に理解しないうちは、モルモンが世に認められる事は無いと思います。

 
 
 
はじめまして、 (バハマ)
2010-03-09 22:03:36
>「その実によってしることができる」

カトリックから改宗した方もそういっていました。自分もそのとうりだと思います。

>出されたお茶をのまないことや、日曜日に仕事をしない事を、認めてくれています。


お茶を飲むのも日曜に仕事をしないのも人の勝手です。それが異常に見えるとは、変わった精神の持ち主ですね。
 
 
 
好意 ()
2010-03-10 11:34:09
>お茶を飲むのも日曜に仕事をしないのも人の勝手です。それが異常に見えるとは、変わった精神の持ち主ですね。


はい、変わってます。(笑)

例えば、仕事先に行って、お茶を出される。
そう言うときに、無視してそのまま手をつけずに放置しておく。と言うのも一つの方法ですが、私の様な変わった精神の人間は、「それでは失礼になる」と考えるわけです。
好意なのか儀礼なのかは別として、人間として、自分に対して相手の方がしてくださった、「おもてなし」を無にするのは気が引けます。
それで「せっかく出していただいて申し訳ないのですが、私は宗教上の戒律によって、お茶は飲まないんです。」と申し上げます。
すると相手の方は、「それじゃー、ジュースでもお持ちしましょうか?」とさらなる好意を示してくださる。

残念ながら、私には、「そんなのは相手の勝手だから、ほっておけばいい・・・。」とは思えないのです。
互いに、心を持った人間ですからね。

日曜日に関しては、以前に電車の運転手をしていた会員がました。警察官の会員も、看護士の方も。
その様な方は、日曜日に仕事をするのがあたりまえといった環境ですので、同僚に頼んでシフトを変えてもらったり、周りの方の理解が無いと仕事と信仰を両立できません。

私自身もサービス業ですので、「私の勝手ですから、日曜日は仕事しません。」と言えるものでは有りません。

仕事以外でも、親の介護を別の人にお願いして、教会に来るとか、多くのモルモンが、「私の勝手です。」と言えない状況の中で自分の信仰を保っている事を御存じないのでしょうか?

私は、周りの方の好意によって、私の信仰が保たれていると思っています。

あなたのように、「自分の勝手でしょ!」と言う姿勢だから、モルモンは世の中に受け入れられないのではないですか?

 
 
 
反省 (バハマ)
2010-03-10 18:16:06
>豚氏

自分は高校生で、仕事でお茶をだされたりとか、日曜日の仕事を変わってもらったりというような経験がなく、深く考えず勝手なことを言ってしまいすみませんでした。
確かに自分たちの信仰はまわりの人の好意によってたもたれており、感謝の気持を忘れてはけないと思いました。

 
 
 
相互理解 ()
2010-03-12 09:58:22
バハマ 様

こちらこそ、くちはばったい事を書いてすみません。
ジジイは説教を垂れるのが好きですので、御容赦下さい。

私がここで紹介されている、オークス長老の話の中で感じた事は、「相互理解の欠如」です。

オークス長老は、「世の人たちは、モルモンを誤解している」と言っています。

そして、このように引用しています。

>そこに引用された調査によれば、四分の三がこの教会を高い道徳規準を持つ宗教と見ているが、約半数が秘密主義的で不可解な信条を持つと答えている。モルモン教徒を表す言葉としては、87%が家族を大切にしている、78%が正直、45%が盲目的と答えている。

私は、この内容にどのような誤解が有るのか全く分かりません。
私には、この内容はほぼ正し理解だと思えます。

この調査内容で、モルモンにとって負のイメージである、「約半数が秘密主義的で不可解な信条を持つと答えている。」「45%が盲目的と答えている。」の2点で、他は「高い道徳律」「家族を大切にする」「正直」と良い評価です。

オークス長老が「誤解」と言っているのは、「秘密主義」「盲目的」の2点だと考えられます。

しかし、モルモンでは、神殿の儀式について非公開を貫いていますので、「神秘主義」といわれるのは当然ですし、「従順になりなさい」と言う言葉で、指導者に「盲目的」に従う事を奨励しています。

オークス長老はどうして、「誤解」していると思ったのでしょうか?

ここからは私の憶測ですが、それは、モルモンが世の中の思いを誤解しているからなのでは無いでしょうか?

教会のレッスンで「迫害された」と言う事を強調して、「被害者」側に立った歴史をいつも教えられているので、会員は「自分達は世の人たちから虐げられている被害者だ」と言う意識を強くしているのだと思います。

しかし、世の多くの人は、好意を持って私達モルモンの独自の信仰とその生活を受け入れてくれています。

私は、オークス長老に、その様な視点から話をして欲しかったと思います。

 
 
 
秘密主義? (バハマ)
2010-03-14 18:41:26
>モルモンでは神殿については非公開を貫いていますので「神秘主義」といわれるのは当然ですし「従順になりなさい」という言葉で指導者に盲目的にしたがうことを奨励しています。

本当にそうでしょうか、確かに神殿儀式のなかには神聖なものがあるため公共の場で論ずることはしない場合もありますが、確か神殿は建設後1ヶ月はオープンハウスといって教会員以外の人々にも内部が一般公開され、中で行なわれる儀式についても説明されているはずですが、

指導者というのは自分にとっては教会の聖典にかかれている宗教教義の実践を奨励する存在ですが、違うのでしょうか。例えばカンファレンスなどは宿泊先の予約や保険云々以外はほとんど全て子供が計画実行していますし、民主的ではないでしょうか、もちろん自分が子供で教会の運営に携わっていないから実感がないだけかもしれませんが、(文章能力なくてすみません。間違ったことを書いていたら指摘してください)
 
 
 
ジジイより若人へ ()
2010-03-15 10:08:47
正直言って、私は、教会の若い人とはあまり話をしないようにしています。
理由は、その方の信仰心を乱したく無いからです。
同じ事実を聞いても、聞く人の年齢や経験、環境によって受け止め方も違えば、感じ方も違います。

まことに失礼な言い方で、申し訳ないのですが、プロのボクサーが一般の人を相手に真剣勝負しないのと同じです。

と言う事で、今回はかなり分厚いグローブをつけたパンチでお赦し下さい。

「神秘主義」と言うのがモルモンに当てはまるのか?の前に、「神秘主義」がいけないことなのか?と言う事を考えてください。

自分達が信じている事で、その信仰者以外から干渉された悪ない事を「守る」と言うのは当然有って良いことだと思います。例えば「秘仏」とか、宗教上神聖に扱う為に一般には公開しない事は、モルモン以外にも有ります。
ですから、私はモルモンを「神秘主義」と世の人が感じる事に違和感も無く、間違っているとも思えません。ですから、私は胸を張って「モルモンは神秘主義です」と言って良いと思っています。
ただ、その事によって「世の中に受け入れられにくい」と言うデメリットも同時に存在します。

「神秘主義」そのものは、良くも悪くも無いですが、世の中に受け入れられる事への障害とはなります。

で、モルモンの神秘主義ですが、
>確か神殿は建設後1ヶ月はオープンハウスといって教会員以外の人々にも内部が一般公開され、中で行なわれる儀式についても説明されているはずですが、

あなたは、エンダウメントの儀式、イニシアトリーの儀式の内容を知っていますか?あまたが神殿に入った時にどのような聖約を神と交わすのかを聞かされていますか?

その事を考えれば、答えは分かりますね。


>民主的ではないでしょうか

ワードのビショップを選ぶのに選挙をしますか?(笑)

これも同じで、「民主的か民主的でないか?」は善悪を意味しませんが、今のモルモンの事実として、民主的では有りませんね。

>ほとんど全て子供が計画実行していますし

高校生は子供じゃない、立派な大人です。
少なくとも、私は高校生の時にそう思ってました。

ただ、ジジイじゃないってだけです。(笑)

すんません、初めに書いたように、若者は苦手なんで、これだけにしておきます。
 
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