モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。
NJWindow(J)



 

   (Facebook に同記事掲載)

   私はマタイ9:5 のイエスが中風の人をいやす箇所にさしかかる度に、結局どちらがやさしくてどちらが難しいのか解らないでいた。この度この箇所を読んで、註解書幾つかに目を通した結果、漸く納得できた。

   解りやすい説明は、「『立って歩け』という方が第三者にも具体的に判断できるので、より難しい。そこでイエスは中風の人をいやし、この事実で罪の赦しの証明とし、同時にそれを彼の権威の証しとした。ユダヤ教指導者の敵意に対して事実をもってこたえるという彼の論法がここにも見られる」というものである。(同志社大学教授橋本滋男「新共同訳 新約聖書註解 I 」マタイの部分 p.73、日本基督教団出版局 1991, 1996年3版)。 

   私が理解に困惑してきたのは、律法学者たちがイエスに冒涜の罪を着せようと、「あなたの罪は赦された」という場(霊的に見れば高度な側面)を捉えようしていたので、その方が難しいのではないか、と感じていたからであった。

   末日聖徒は教会外の出版物を読むことを躊躇するが、自分が得てきた理解に基づいて納得のいく解釈を読み取ることができるはずである。昔大阪を訪れた教会教育部の指導者に聞いたところ、聖書の註解書を参照すればよい、との答えを得た。 



コメント ( 42 ) | Trackback ( 0 )



« 宗教学者、「... 欽定訳聖書の... »
 
コメント
 
 
 
解説って・・・ (たまWEB)
2019-03-05 07:14:07
「3. 律法学者たちとの軋轢の始まり
##イェシュアが「中風の人」に宣言された「あなたの罪は赦された」という言葉は、そこにいた律法学者たちに最初の軋轢(あつれき)を生じさせました。

3 すると、律法学者たちが何人かそこにいて、心の中で「この人は神を冒涜(ぼうとく)している」と言った。
4 イエスは彼らの思いを知って言われた。「なぜ心の中で悪いことを考えているのか。
5 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
##3節にも律法学者たちが心の中で「この人は神を冒涜(ぼうとく)している」ということに、イェシュアは「悪いことを考えている」と批判しています。この3節も原文では常套句の「すると見よ」となっています。律法学者たちにとって、イェシュアの罪の赦しの宣言は聞き捨てできないものでした。「神を冒涜している」とはヘブル語の「ガーダフ」(גָּדַף)の分詞で、気づかずに罪を犯してしまった者ではなく、あえて故意に罪を犯す者であって、こうした者はだれであっても自分の民の間から断ち切られるにふさわしい者とみなされました。これはある意味におい正しいことでした。罪を赦すことのできる方は神のみであり、たとえメシア(預言者、大祭司、王)だとしても、それはできないことだとされていたのです。しかしイェシュアが神あるならばそうした思いは成り立ちません。ただ、律法学者たちは公然と非難したのではなく、「心の中で」言ったのですが、そうした思いはやがて、イェシュアが罪人たちと交わり、安息日を守らないということから、公然の非難となって爆発していくのです。
##イェシュアは軋轢を生じさせる律法学者たちに対して、5節「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」と尋ねます。あなたなら、この質問に対してどちらか易しいでしょうか。単に言葉だけなら、『あなたの罪は赦された』と言うほうが易しいでしょう。むしろ『起きて歩け』と言うのは、実際にいやす力をもっていなければできないことです。そこでイェシュアは6節で「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。』そう言って、それから中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい』と言われた。」とあります。

4. 「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」
##この出来事によって病のいやしが罪の赦しに基づくものであり、イェシュアこそ、神にしかできない「罪の赦しの権威」を持っているということを宣言されたのです。しかもその「罪の赦し」はやがてくる終わりの日だけでなく、イェシュアによって、今ここに、すでに始まっているのです。今、すでに赦されている、そのように確信して生きることができるように、中風の人に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われたのでした。原文では「あなたは起きて、自分の寝床を担ぎ、あなたの家に帰りなさい」となっています。
##この「起きて」という言葉は、ギリシア語の「エゲイロー」(ἐγείρω)の命令形で、いわば復活用語です。ヘブル語では「クーム」(קוּם)に相当します。英語ではAriseとなります。「自分の寝床」とは中風の人がそれまで生きてきた生活の象徴を意味します。それを「担ぎなさい」(「ナーサー」נָשָׂא)、つまり罪を赦された者として生きる事を意味します。そして、「あなたの家に帰り(行き)なさい」とイェシュアは命じています。この最後の言葉をヘブル語にするとなんともすばらしいのです。それは、「レフ・レハー、エル・ヴェーテハー」

画像の説明

##聖書での「レフ・レハー」(לֶךְ־לְךָ)は、アブラハムに神が「わたしの示す地に行きなさい」と言われた時(創世記12:1)と、アブラハムの生涯の最大の試練となるべく「モリヤの地へ行きなさい」と言われた時(同、22:2)のです。そしていずれもアブラハムは神の「声に聞き従った」のでした。今回の「中風の人」の場合は、「あなたの家に行きなさい」です。むしかしここでは単に、あなたが住んでいた家という意味ではなく、「あなたの家」とは「あなたが今いるべきところ」、すなわち「天の御国に向かって歩いて行きなさい。」という意味だと考えます。しかも、自覚的に、自発的に、主体的に「罪赦された者として行きなさい」(「レフ・レハー」לֶךְ־לְךָ」)。これが罪赦された者に対するイェシュアの新しい召しなのではないでしょうか。私たちもイェシュアから罪赦されて、どこへ向かって「レフ・レハー」するのかを神に聞かなければなりません。

ベアハリート

【新改訳改訂第3版】詩32篇1, 5節
1 幸いなことよ。そのそむきを赦され(נָשָׂא)、罪をおおわれた(כָּסָה)人は。
5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠し(כָּסָה)ません・・・・
http://meigata-bokushin.secret.jp/

 
 
 
Unknown (kizuka)
2019-03-05 12:51:47
モルモン教会員って外部の本を読もうとしませんがそれ以前にいつまでも古い口語訳聖書に固執するのもどうかなと思います。
たとえばヨハネ伝2章24ー25節なんかは口語訳だと意味がわからないでしょ? 最近の翻訳と比べて見てください。
まず聖書をきちんと読んでいくべきかと思います。聖書の基本的理解がないのにモルモン書は聖書に並ぶ聖典であるとか言っても笑われますよね。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-05 13:37:45
注目する点は、その障害者に何かの罪があって家族ともめたか何かあって、家があるのに通りで(物乞いか何かで)暮らしていたらしい背景でしょう。

物乞いを成功させるには、中風は本物でも軽くて、罪の上乗せで同情詐欺で自分の障害を必要以上に演じることになるので、表面上しか見ていない周囲は立ち上がれないと思いこまされていた。 

ただ心の中で悪いことを考えた男はそれが詐欺だと見破っていたのでしょう。 イエスもそれに引っかかったと思った。

賄賂でも渡して演技させた証拠がつかめたとほくそ笑んだが、イエスのほうが上手であった。

イエスは治療も行ったが、中風の男と語り合う中で、彼に非があった点をみとめさせ、謙虚にになるなら向こうでは昔のことは水に流すので戻って欲しいと言っていると告げた後、改心が見られたので、

「あなたの罪は赦された。」という言葉になり、冒涜の証拠を待っていた者は、それを聞いて意外な気持になったのでしょう。

そこで「あなたの罪は赦された。」というのと「立って歩け」というのとどちらがたやすいか? と詰問した後、

『起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい』と命じたのでしょう。 そして中風の男は喜んで家にすっ飛んで帰った。

こんな頑固な怠け者に何を言っても効果がないぜと馬鹿にしていた偽善者は、イエスの奇跡の特徴を知って驚いたに違いない。

 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-05 13:50:14
どっちがたやすく、どっちが難しいか? の詰問は実はどっちでも構わないくらい表面的な問題であって、自分は正義だと思ってイエスを見張っていた男が、それぞれの罪(中風の男と自分)を見抜かれたことに驚嘆したことにあるのだと思います。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-05 22:54:05
参りました、正直言って素晴らしいです。感嘆のあまり目の前がくらくらとして、うまく言葉で表現できません。
豊かな想像力や空想などというありきたりな言葉で表現できる範囲をはるかに超越した解釈ですね。

古代の写本研究や語学的考察、数々の歴史的裏付けなどを踏まえて地道に探求されてきた従来の聖書解釈に
いささかもすり寄ることのない完全な独自路線での論旨展開に加え、根拠を何一つ示すことなく断言するキレのよい文体、
まるでイエスの再来かと思わせるかのごとき『権威ある者』のような上からの目線、そして何より現在大流行のライトノベル
を彷彿とさせる安直な真相解明、いずれをとってもぐうの根もでません。

このような解釈を読むことができ目からうろこが落ちたような感覚を覚え、開いた口が塞がりませんでした。
生きてきて良かった、モルモン会員でなければ決してこのような解釈を耳にすることすらなかったでしょう。

これからも是非このようなコメントをどしどし御披露いただきたいです。そしてもしこのNJさんのブログを目にする
クリスチャンがいたら末日聖徒の高レベルな聖書解釈を見せつけてあげて欲しいです。さすがオックスフォード出版が
研究書を出し、ロドニー・スタークが注目する宗教であると、外部の人間をうならせていただきたい。

なあに、あなたの解釈を笑う者には笑わせておけばいいのです。構わず放っておきましょう。
もちろん私は笑う方ですが、お気になさらずに。
 
 
 
罪の赦し宣言 イコール 神の子宣言 (たまWEB)
2019-03-06 09:02:39
ということでしょうか。ユダヤ人律法学者や指導者にとって永遠の救い主を否定し退けることで、彼らなりの永遠の行く末を確定させる端緒となったのだったと・・・人の値は大いなるもの、が、憐れみが及ばず正義により追い出されてしまう?!
たいへん重い、ある意味、難しいことでもあった?!

「難しいの類語、関連語、連想される言葉

難しいの類語、関連語、連想される言葉


難しい ・ ブレーキがかかる ・ 迷う ・ 抵抗がある ・ ためらう ・ 至難 ・ 困難 ・ 難儀 ・ 分かりにくい ・ こねくり回した ・ 持って回った ・ まわりくどい言い回し ・ 観念的な ・ 晦渋 ・ 読解に苦労する ・ まじめな ・ ゴツゴツした ・ 鉱物質 ・ 若書き ・ 歯ごたえのある ・ 緊張を余儀なくされる ・ タイトな ・ 硬質 ・ 肩肘張った ・ 熟していない ・ 生硬な ・ 難解な ・ 暗雲が漂う ・ 悲観的 ・ 期待薄 ・ 暗い ・ かなわぬ夢 ・ 不安定 ・ 否定的 ・ 楽観できない ・ 望み薄 ・ 脈はない ・ 望みは薄い ・ 疑わしい ・ 見込みはない ・ おぼつかない ・ 甘くない ・ 深刻な ・ 土砂降り ・ 過酷な ・ 冷たい ・ 冷厳な ・ 厳しい ・ 酷薄な ・ 厳重な ・ 一筋縄でいかない ・ 手を焼く ・ 制御できない ・ 悍馬のような ・ 暴れ馬のような ・ つき合いにくい ・ 機嫌が取りにくい ・ 不本意な ・ 気が重い ・ 苦しい ・ 当惑を伴う ・ 悩み ・ 板挟み ・ 苦悩 ・ 続けなければならない ・ さびしくなる ・ 首が回らない ・ 赤字経営 ・ 自転車操業 ・ 必死のやり繰り ・ スランプに陥る ・ 斜陽化する ・ 傾く ・ 腰折れ ・ やめれば倒れる ・ 冬の時代 ・ 経営が苦しい ・ 資金が右から左へ流れる ・ 失速 ・ 平坦ではない ・ 難航 ・ タフな ・ 容易ではない ・ 荘重な ・ 抑制のきいた ・ 凛とした ・ 静かな緊張に包まれる ・ しめやかに ・ 社会的な ・ 哲学的 ・ おもしろくない ・ 啓蒙的な ・ 堅苦しい ・ 思想を語った ・ 教養 ・ 退屈な ・ ペダンチックな ・ ペダントリー ・ 小難しい ・ 難しそうな ・ すっきりしない ・ 難関 ・ 生活難 ・ 窮状 ・ 十字架を背負う ・ 茨の道 ・ 困る ・ 窮迫 ・ 坂 ・ 困窮する ・ ハンデを背負う ・ 徒花的 ・ 晦渋な ・ 過剰感てんこ盛り ・ 奇妙な ・ 排他的な ・ ごてごてした ・ 落書き ・ 異形 ・ 猥雑な ・ ど派手な ・ 鬼面人をおどす ・ ごった煮的 ・ 異彩を放つ ・ 前衛的 ・ アングラ ・ 過激 ・ 怪奇な ・ トンデモ ・ 観客不在 ・ 世紀末的な ・ 目立つ ・ 観客無視 ・ 奇異な ・ 人間技ではなし得ない ・ 神技にも匹敵する ・ 不可能に近い ・ しづらい ・ 自由度が低い ・ 不自由な ・ スムーズにいかない ・ 制約がある ・ づらい ・ 専門的 ・ 抽象的 ・ 響き優先 ・ 独りよがり ・ イキがった ・ わけの分からない ・ 道のりは険しい ・ 前途遼遠 ・ 成功は危うい ・ 厚い壁が立ちはだかる ・ ウルトラC ・ ハイレベル ・ 専門的な ・ 高い ・ 高度な ・ 不明 ・ 難解 ・ 分からない ・ 理解不能 ・ 謎めいた ・ 話が通じない ・ 難事件 ・ 難事 ・ あぐねる ・ 身の丈を超える ・ 思案投げ首 ・ 簡単にいかない ・ 難渋する ・ 思うに任せない ・ 進まない ・ 汗をかかされる ・ 手に負えない ・ ラチがあかない ・ トラブル続き ・ やっかいな ・ 苦戦する ・ 苦心惨憺する ・ 難行苦行 ・ あぐむ ・ やすやすとは ・ なまなかなことでは ・ 生半可なことでは ・ 生やさしくない ・ 手ごわい ・ たやすくない ・ 大変な努力が必要 ・ 歯が立たない ・ 高踏的な ・ 深遠な ・ 手も足も出ない ・ 回りくどい ・ 難事中の難事 ・ 至難のわざ ・ 難局 ・ デッドロック ・ 妨げ ・ 困難な ・ 壁にぶつかる ・ 天敵 ・ 大の苦手 ・ 頭が上がらない ・ 合わない ・ いやな ・ 邪魔者 ・ 目障りな ・ 苦手 ・ 相性が悪い ・ 火中の栗を拾う ・ リスクを取る ・ 不可能な ・ どうにもならない ・ 普通でない ・ 切羽詰まる ・ 危機的状況 ・ 出口なし ・ 必然的 ・ 抜きさしならない ・ よくよくの場合 ・ 厚い壁 ・ 勝てない ・ お手上げ ・ 点で)歯が立たない ・ はね返される ・ 切り崩せない ・ 不可能 ・ 動きがとれない ・ 手に余る ・ 力不足 ・ 社業が傾く ・ 急減速 ・ 不景気 ・ 財政難 ・ 経営不振 ・ 金詰まり ・ やり繰りできない ・ 減速軌道に入る ・ 不振 ・ 忍従 ・ 試練 ・ 苦痛 ・ 重い ・ 四苦八苦 ・ 猛烈な ・ 逆境に置かれる ・ 苦心する ・ あがく ・ つらい ・ 骨の折れる ・ 虐げられた ・ 苦慮する ・ 苦しむ ・ てこずる ・ 一難去ってまた一難 ・ 限界まで ・ 苛酷な ・ 苦労 ・ 難儀する ・ いばらの道 ・ ギリギリまで ・ ハードな ・ 苦手な ・ ハードルが高い ・ 敷居が高い ・ 高い水準 ・ すぐれた ・ 大層な ・ 熟練 ・ レベルの高い ・ 高度 ・ ハイグレード ・ 玉虫色 ・ しち難しい ・ 見えにくい ・ 高度に専門的な ・ 分かりづらい ・ 難問 ・ 骨のある問題 ・ 難事業 ・ 処理しにくい ・ そうは問屋がおろさない ・ 至難の業 ・ 悩ましい問題 ・ のっぴきならない立場 ・ 慎重を要する ・ 苦しい二者択一 ・ 先行きは厳しい ・ 行く手は平らではない ・ ゴールは遠い ・ 難関が控える ・ 先行きは不透明 ・ 問題が多い ・ 紆余曲折 ・ 競争が激しい ・ レベルが高い ・ ひしめく ・ しのぎを削る ・ 超難関 ・ 耐えられない ・ 期しがたい ・ 絶望的 ・ ほぼ不可能 ・ やりにくい ・ 試行錯誤が必要な ・ 難物 ・ ホネが折れる ・ 簡単ではない ・ やっかい ・ 易しくない ・ 容易くない ・ むざむざと ・ ひと泡吹かせる ・ 楽ではない ・ 気が進まない ・ やりづらい ・ 覚悟する必要がある ・ 大変な努力がいる ・ 簡単にはできない ・ 容易ならぬ ・ ただ者でない ・ 端倪すべからざる ・ 尋常でない ・ 頭をかかえる ・ 複雑な ・ 理解しにくい ・ ねじれた ・ 一刀両断とはいかない ・ 簡単には片付かない ・ 一筋縄ではいかない ・ 侘しいわびしい ・ 所在無いしょざいない ・ 物憂いものうい ・ 難しいむずかしい ・ 寂寞せきばく ・ 物寂しいものさびしい ・ 物悲しいものがなしい ・ 無聊ぶりょう ・ 不機嫌ふきげん ・ 徒然つれづれ ・ 小難しいこむずかしい ・ 腸を断つはらわたをたつ ・ 身も世も無いみもよもない ・ 寂寥せきりょう ・ 徒然とぜん ・ 退屈たいくつ ・ 悲愴ひそう ・ 機嫌が悪い ・ 手持ち無沙汰てもちぶさた ・ 寂しいさみしい ・ 悲しいかなしい ・ 哀れあわれ ・ 御機嫌斜めごきげんななめ ・ うら悲しいうらがなしい ・ 哀切あいせつ ・ 断腸の思いだんちょうのおもい ・ 虫の居所が悪いむしのいどころがわるい ・ 沈痛ちんつう ・ 寂しいさびしい ・ 胸が裂けるむねがさける ・ 悲痛ひつう ・ 七面倒しちめんどう ・ 複雑ふくざつ ・ 煩わしいわずらわしい ・ 繁はん ・ 手数てかず ・ 手が込むてがこむ ・ 込み入っている ・ 煩多はんた ・ 繁雑はんざつ ・ ごたごたしている ・ 厄介やっかい ・ 手数てすう ・ 煩いうるさい ・ 冗長じょうちょう ・ 煩瑣はんさ ・ 冗漫じょうまん ・ 面倒めんどう ・ ややこしい ・ 造作ぞうさ ・ 煩雑はんざつ ・ 荊棘けいきょく ・ 度し難いどしがたい ・ 至難しなん ・ 一難いちなん ・ 難いがたい ・ 難題なんだい ・ 堪え難いたえがたい ・ 無理むり ・ 険しいけわしい ・ 難いにくい ・ 為難いしにくい ・ 難なん ・ しち難しいしちむずかしい ・ 苦しいくるしい ・ 困難こんなん ・ 難いかたい ・ むずかしい ・ むつかしい ・ 六借しいむずかしい ・ 気むずかしい ・ 紛らわしいまぎらわしい ・ 困難だこんなんだ ・ 前衛的文学 ・ 読み解きにやっかいな ・ よく分からない ・ こねくった文章 ・ 粘着質 ・ 蕾の状態 ・ 硬い ・ 荒削り ・ 読みにくい ・ 未成熟 ・ 陰影に乏しい ・ 構えた ・ リラックスから遠い ・ 硬派 ・ 不透明 ・ 期待できない ・ 霧が晴れない ・ モノになりそうにはない ・ 先が見える ・ 見込みうす ・ 展望が開けない ・ お先まっ暗 ・ 勝算が見えない ・ 目はない ・ 無理 ・ ゴールは見えない ・ 荒波のさなか ・ 逆境にある ・ 冷たい風が吹く ・ 手痛い ・ 悪条件 ・ 氷河期 ・ 厳然として ・ わがままな ・ 御し難い ・ 激しい性格 ・ 扱いにくい ・ 頑固な ・ 手こずる ・ ジレンマ ・ 苦しみ ・ 悔いの残る ・ 渋面 ・ 苦い思い ・ 苦渋 ・ ブームが去る ・ さびれる ・ 左前 ・ 経営難 ・ 凋落 ・ 波高し ・ 険しい ・ 清浄 ・ 重々しく ・ 張り詰める ・ 神聖な ・ 荘厳な ・ おごそかな ・ 厳粛 ・ メッセージ性の強い ・ 政治経済を取り扱った ・ カタい ・ こねくった ・ ペダンチズム ・ 理解しずらい ・ 窮地にある ・ 追い詰められている ・ 艱難 ・ 苦難 ・ 大波小波 ・ 危難 ・ 修羅場 ・ 多難 ・ おどろおどろしい ・ 奇想 ・ けばけばしい ・ キッチュな ・ キッチュ ・ 奇怪な ・ 奇抜な ・ 毒々しい ・ 自己満足的な ・ サブカル ・ マスタベ的 ・ 審美的な ・ ポップな ・ 自己陶酔的な ・ シュールな ・ 混沌とした ・ 針の穴を抜けるような ・ 干し草の中から針を探すような ・ しがたい ・ 窮屈な ・ しにくい ・ 特定 ・ 特殊な ・ 前途多難 ・ 目標達成は困難 ・ 険しい道 ・ 難 ・ 高レベル ・ 高次 ・ 難易度の高い ・ 高水準 ・ 完成度の高い ・ 怪しい ・ ちんぷんかんぷん ・ 意味不明 ・ 意思の疎通ができない ・ 判じ物のような ・ 手がかかる ・ 苦労する ・ 四苦八苦する ・ 骨を折る ・ 暴れ ・ どうもこうもない大変 ・ 難航する ・ 始末に困る ・ 手古摺る ・ ままならない ・ 手間どる ・ 面倒な ・ おいそれとは ・ 中々~でない ・ 簡単にはいかない ・ 生やさしいことではない ・ 生半可では~できない ・ なまじなことでは ・ 並大抵ではない ・ 硬い本 ・ くねくねした ・ 問題 ・ 大仕事 ・ 難題 ・ 障害 ・ 難工事 ・ 最大の難関 ・ 難敵 ・ 鬼門 ・ 目の上のコブ ・ 恐妻家 ・ ~には弱い ・ 弱みがある ・ 気分的に押される ・ 煙たい ・ 猫の首に鈴をつける ・ 危険を冒す ・ 針の穴を通るような ・ できない ・ のっぴきならない ・ 救いようがない ・ 極めて重要な ・ 動きが取れない ・ よほどのこと ・ 逃げられない ・ 大変な ・ 非力 ・ 通用しない ・ 処置なし ・ 無力 ・ 降参 ・ 難壁 ・ 苦肉 ・ 壁は厚い ・ 泣かされる ・ 難行 ・ 青息吐息 ・ 骨身を削る ・ 生きづらい ・ 重荷を背負わされて ・ 苦行 ・ いつまで続くぬかるみぞ ・ ハード ・ 困難を極める ・ 悪戦苦闘 ・ 過密 ・ 苦心惨憺 ・ 泣く ・ しんどい ・ 七転八倒する ・ 受難 ・ クリアしにくい ・ 骨が折れる ・ クオリティの高い・・・・・
 
 
 
笑えない ()
2019-03-06 13:43:50
>なあに、あなたの解釈を笑う者には笑わせておけばいいのです。構わず放っておきましょう。
>もちろん私は笑う方ですが、お気になさらずに。

Unknown さん

これって笑って済ませる事なんでしょうか?

>注目する点は、その障害者に何かの罪があって家族ともめたか何かあって、家があるのに通りで(物乞いか何かで)暮らしていたらしい背景でしょう。

>物乞いを成功させるには、中風は本物でも軽くて、罪の上乗せで同情詐欺で自分の障害を必要以上に演じることになるので、表面上しか見ていない周囲は立ち上がれないと思いこまされていた。 

私は、この様な、発言は放置できません。

明らかに偏見と差別に満ちた書き込みです。

イエスの評判を聞いて病気を癒してもらいたくて、自分では歩けずに、他の人に頼んで床のままかついでもらってでも、そこに連れて行ってもらい、なんとか、自分の力で歩けるようになりたかった。

身体の不自由な人は、そんな気持ちじゃないかと思います。

風邪ひいて寝込んだだけでも、早く治っていつもの状態に戻りたいって、思うじゃないですか?

身体の不自由な人の話を聞いて、すぐに、それは怠け者で、自分の身体の不自由なのをネタにして金儲けをしている。なんて、よく言えたものですね。


身体の不自由な人に対する、悪意に満ちた偏見と差別は、聖書を語るに値しないと思います。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-06 14:15:35
>これって笑って済ませる事なんでしょうか?

もちろん済ませられることではありませんよ。
私がブログ管理者ならこんなコメントは即削除です。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-06 14:31:41
ただね、身体に障害を持っている人への差別発言をしたこの人は思考力に障害を持っている人だろうなと前々から感じています。

ご本人は気づいていないでしょうけれど。この人が、ふと思いついたことを根拠もなく自信満々に語り始め、誤りを指摘されると茶々入れをするなと逆ギレするあたりが・・・。

モルモン教会にこういう人、割と多いですよね。

NJさんがこの人の発言を放置して、時には鋭い観点だなどと要らぬお世辞を言うのもどうかなと私は思いますけれど・・・まぁNJさんのブログなのでお任せするしかありませんが。
 
 
 
温かく ()
2019-03-06 18:21:02
>ただね、身体に障害を持っている人への差別発言をしたこの人は思考力に障害を持っている人だろうなと前々から感じています。

それも、ちょっと同調しかねます。

私も罪豚ですから。
 
 
 
煽り運転 (オムナイ)
2019-03-06 22:07:42
>それも、ちょっと同調しかねます。

正体不明の煽り運転手に同調されてビビったの図ですか?w
 
 
 
正体は? ()
2019-03-07 10:24:23
>正体不明の煽り運転手に同調されてビビったの図ですか?w

正体不明って言えば、私も含めて皆さんそうじゃないですか?

え?正体ばれてるの?((笑)

最近は、障害って漢字で書くことすらはばかられるので、この方向の発言には同調できないという立場を表明しました。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-07 20:40:00
豚さん

>温かく

あの人のことなら心配いりませんよ。ほとぼりが冷めた頃に何事もなかったような顔で、また元気に妄言・・・じゃなかった末日聖徒としての素晴らしい証を書き込まれると思います。

で、本題に戻りますがモルモン幹部にとっては「立って歩け」という方が簡単ではないでしょうか?。だって「罪が赦された」などと言ってしまったらその人はバプテスマを受けてくれないので什分の一が教会に入ってこない、みすみす金子を失うことになります。罪の赦しはやはりモルモン教会のバプテスマを受けねば与えられないことにする必要があるのです。そんなわけで口が裂けても「罪が赦された」とは言えません。

逆にモルモン幹部が「立って歩け」と命じたときにその人に癒しの奇跡が起きなかったら(まぁ起きないでしょうけれど)、「あなたに信仰が足りないのです」とバッサリ切り捨てるか「必要なことは行いました、あとは主のみこころを待つだけです、癒されないことがみこころの場合もあるのです」とか何とか言いくるめれば良いのですから。

そんなわけで、もしあの場所にモルモンの十二使徒がいたら「立って歩け」と言うのじゃないかなと思います。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-08 09:07:14
挑発しかしてこない人、笑っている人や、二言目には教会を馬鹿にする口実しか考えない人は、面倒くさい荒らしなので返答はパスにしておきます。

豚さんの発言

>なんとか、自分の力で歩けるようになりたかった。身体の不自由な人は、そんな気持ちじゃないかと思います。

についてはもっともな発言であることは明らかですし、それは認められるべきです。

>それ(障害者)は怠け者で、自分の身体の不自由なのをネタにして金儲けをしている。なんて、よく言えたものですね。

については明らかに錯覚と誤解です。 私は人間の弱さの傾向を単に代弁しただけであって、自分を含めて多くの人たちは、悪意がなくても多かれ少なかれ自分の弱さを頼って生きている存在だから、という理解です。 だから私はこの聖句を読んで本気でそう理解しています。

義憤に駆られて障害者だけはそうじゃない「無名な誰かが不自由なのをネタにして金儲けをしている。」時代は存在しないし、そのような想定は赦さない。 これを身体の不自由な人に対する、悪意に満ちた偏見と差別だと言ってしまうならば、それこそ偏見と差別の証拠ではないですか。


 
 
 
ローマ神殿の (たまWEB)
2019-03-08 09:29:29
紹介ビデオって・・・
”Two Apostles Lead a Virtual Tour of the Rome Italy Temple
https://www.youtube.com/watch?v=dhWgPwEQQ98
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-08 09:31:16
話を戻すと、聖書に登場する中風の人は、イエスに接したことで問題が解決して罪が克服されて、赦された。

悪いことを考えていた男には別の種類の罪があって、イエスはそれを言い当てられた(この男がその後改心したかどうかは明確ではない)

どっちがたやすく、どっちが難しいか? の設問は、種類が異なるものの比較であって、主題にとってはどっちでも構わないくらい表面的な問題ではないかということ。

あえて考えるならば、イエスにとって罪が赦された人に対して「罪が赦された」と宣言する方が容易で、将来起こされる奇跡「立て」と命ずるほうが自由意志の関係で困難かと思われます。
 
 
 
人を恐れる (たまWEB)
2019-03-08 10:08:53
この場合はユダヤ人指導者やラビたちとかって・・・
それが投影されると、罪の赦し宣言が難しいになるという見方なんでしょうかね・・・
 
 
 
おたずねします (ダイエット★継続中)
2019-03-08 12:00:12
教会員R様による解説は聖書に書かれていないことを盛り込みすぎているので、失礼ながらその内容には同意しかねるのですが、一つおたずねしたことがあります。

ご自身の説明を『本気でそう理解して』いらっしゃるとのことですが、それでR様としてはこの逸話のどこに感動を覚えられるのでしょうか?
 
 
 
何を根拠に? ()
2019-03-08 17:15:50
Rさんの意見を理解しがたいのは、何処をどう読めば、その解釈になるのかの、根拠について、説明がないからです。例えば下記の部分。

>悪いことを考えていた男には別の種類の罪があって、イエスはそれを言い当てられた(この男がその後改心したかどうかは明確ではない)

何の根拠もなく、中風の人を「悪い事を考えていた男」と決めつけるのはいかがなものでしょうか?

この中風の人は、四人の人に担がれて、家の屋根をはぎ取って、その穴からイエスの前につり降ろされるわけです。「人々が一人の中風の者を四人の人に運ばせて・・」と書いてあるので、この男をイエスの前に連れて行くために、4人以上の人がかかわっていることに成ります。さらに、家の屋根に担ぎ上げて、穴をあけて吊り降ろすという手間のかかる作業をしているわけです。

もし、身体の不自由を装って怠けてる人なら、周囲の人がそんな事までするでしょうか?

この行為は、癒してほしいという強い願望共に、イエスの癒しを信じる信仰の表れであると考えます。

だから、その信仰に免じて、罪を赦された。

そういう解釈が成り立つと思います。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-08 22:12:00
豚さん

悪かった表現を変えます「身体の不自由を装って怠けてる人」ではなくて「身体が不自由であるために、どうしようもなく身体が怠けてしまう人」です。 少しはこちらのニュアンス分かって頂けますか? もう少し簡単に言えば、出来るのに本気を出せない人。 別に中風とかじゃなければいけない理由は何もない。

それと、私も最初の頃は中風の男が信仰を示したので、癒しの奇跡が与えられた感動話だとしか思っていませんでした。 

ですがおかしいと思ったのは、正確には「彼らの信仰を見て『あなたたちの罪は赦された』」訳によっては『あなたたちの罪は赦される』になっていて、なぜ複数なのか、と言うところで引っかかり、初期の単純な理解は間違っていて、「彼らの信仰を見て」は男を送った4人のことであって(悪く言えば友人4人は騙されている。良く言えば甘やかしている)、彼らの中に癒される中風の男が含まれていないとすれば、中風の人が赦されたのは立った瞬間だろうということ。

悪いことを考えた男とは、中風の男ではなくて会衆に混じっていた立法学者のこと。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-08 22:39:03
なぜ友人4人なのかも引っかかるところ。 屋根をはがす前から友人4人でした。 普通は家があるなら、こういうことするならば真っ先に兄弟親もしくは親戚ではないのか? 男はトラぶってるという読みになりました。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-08 22:48:05
私の意見は違うけれども、それでも似た意見は存在します。 

https://jly.jp/message/180304.html 
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-08 23:46:13
“福音のひびき”より カトリック教会
http://nagoya.catholic.jp/hibiki3renew.php?year=2017&month=7&day=9

坂戸いずみ教会礼拝説教集より
https://sakadoizumi.hatenablog.com/entry/20170820

インマヌエル沼津キリスト教会より
https://blog.goo.ne.jp/numazu-c/e/64e1d055358cfd0d2f915078258db81b

「姦淫の女」のエピソードと律法の成就
http://eastwindow18.hatenadiary.com/entry/2016/11/25/205614

学者の不身持ち
http://kotowazagyakubiki.seesaa.net/article/406499623.html

ヒントがありそうですね
 
 
 
Unknown (YM)
2019-03-09 01:05:19
上のコメントは私です。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-09 02:03:30
>私の意見は違うけれども、それでも似た意見は存在します。 
>
>https://jly.jp/message/180304.html 

????
1ミリも類似点を見つけられないのだけれも・・・?
 
 
 
ねこだまし (オムナイ)
2019-03-09 06:21:34
当時「罪と病」は同列に扱われていた。
そしてイエス様は宗教的既得権益をもつユダヤ教指導者パリサイ派と対立していた。

彼らとのやり取りでは至るところで「神の子」であることを証明しつつ、罪に問われない言い回しで批判することが求められた。
と考えられます。

ここでも「どちらがやさしいか?」という突然の問いかけは煙幕であり、ねこだまし、なんでしょうね。

敵対する者が「あれれ?」と混乱しているすきに颯爽と去っていくキリスト像にかっこええなぁ。と思う場面でした。

>どっちがたやすく、どっちが難しいか? の詰問は実はどっちでも構わないくらい表面的な問題

ですね。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-09 06:37:51
名無しさん

あなたの積年のイヤガラセは十分わかりましたので、今後私に対してしつこくつきまとわないで頂きたい。

いちいち粘着コメントしてこないでということです。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-09 07:06:25
NJ様
炎上の発端となった、私のコメント
2019-03-05 13:37:45
の消去をお願いします。

表現が悪すぎて、誤解を招き、偏見主義、差別主義の推進だと言われても文句は言えないと思いますので。
 
 
 
なぜ当初の考えを捨てたかの説明は複雑で非常に難しい。 (教会員R)
2019-03-09 08:51:11
日曜学校の時間だと思いますが、自分の聖書マルコ2のところに「ゆるされたX」「ゆるされているO」の訂正が自分で入れてあって、詳細は忘れてしまったけれども「ゆるされている」の方が正しいと聞いていたことと、そういうことであれば、

「症状はすでに直っていて(悪意でなくても)いつまでも寝込んでいれば、結果として周囲を騙していることになる」

という解釈になったのです、さらに言えば動けないと思い込むことで、自分自身を騙していることも現実にあるということですね。 

この「無意識詐欺」を見抜けない人もいるし、見抜いてしまう人もいて、本人も自分の詐欺にかかってしまっているために、口論が生じて家族や親族とのトラブルになることが往々にしてあるということですね。

イエスは友人たちの信仰に免じて、彼の一切合財を無条件にゆるしたのか、過去からずっとゆるし続けられていたのか? その点はそれこそギリシャ語原文の正確な翻訳がないと分からないです。 

ただ口語訳といくつかの翻訳の「ゆるされた」は正確ではないのでは?とそこから出ている通説は本当に正しいの?と疑う理由はあると思います。




新共同訳聖書では、「あなたの罪はゆるされる(未来形?)」になっていて、それが訳の正解とするとまた全然違う解釈になると思います。


 
 
 
人を恐れる あのペテロでさえも (たまWEB)
2019-03-09 08:53:26
3度知らないといったわけで、当時、いかに指導者たちを恐れる慣習・文化・宗教の社会だったのかと・・・
まぁ、立って歩けも罪は赦されたも、常人にはとてもとても遭遇するものではなかったと・・・
しかしながら、その民衆の一部が信仰で試してみたといいますか、癒しを求めたのは救いの一歩手前だったんでしょう・・・病人を招くような、健康な人には・・・健康な人はおそらく指導者で、立って歩くという奇跡を見てのことよりも、より影響の強い赦し宣言を見聞きしてからの、救い主を否定することにより自らの救いを一層難しくしていた、そういったやさしい・難しいの影響度の意味合いもあったんだろうか?? 
パリサイ指導者って、運が無いというか縁がないというか、どうにもこうにも・・・  
 
 
 
ここはやはり 記事本文にありますように (たまWEB)
2019-03-09 09:34:42
NJ先生も納得という、敵意に満ちたユダヤ教指導者との関連で理解するというのがより正解的方向に導かれるのかなと・・・癒された人についてあれこれ詮索するのも一つの見方ではありましょうが、どうなのかなって・・・マタイ伝9章以降同じようなテーマが続いていくわけでぇぇ・・・
その意味では、難しい・やさしいの意味には、指導者への、影響力・インパクト・程度みたいなのもあったのかもよ・・・彼ら指導者は救い主の前で、永遠の救いについて自らの選びをしていたんでしょうが、にゃんとも・・・
 
 
 
あ、もち、Rさんの (たまWEB)
2019-03-09 10:00:06
見方は、聖文に対して年季が入ってるというか、探求・研究のたまものとは思われます・・・前に、どれだったかのスレで旧約の10%の聖句、書いた時、それへのRさんの応答みたいなのから感じられました・・・ということで今回、見方の披露のところ、いちゃもんではないでしょうが、ブタさんから一撃が飛んできたようで・・ギャハハハ・・・
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-09 11:22:50
オムナイさんへ

>当時「罪と病」は同列に扱われていた。
>そしてイエス様は宗教的既得権益をもつユダヤ教指導者パリサイ派と対立していた。

>彼らとのやり取りでは至るところで「神の子」であることを証明しつつ、罪に問われない言い回しで批判することが求められた。
>と考えられます。

そうだと思いますよ。

>ねこだまし

そうだと思います。


たまWEBさんへ

>旧約の10%の聖句、書いた時、それへのRさんの応答

何の話でしたっけ。

「人は神のものを盗めるであろうか。 十分の一によってである」の聖句はビショップが年末に一般会員に向かって言うのは聖句の誤用だろうと言ったあれでしょうか?

天引き後か天引き前かは、捧げることにとって重要ではないと言ったあの発言か?

みたまのまま10%を社会奉仕に使い、残りを教会に納めて、それで完納とすれば良いと言ったあれか?

すみません、10%について私がたまWebさんに言った変なことを思い出せません。
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-09 11:30:14
続き

>しかしながら、その民衆の一部が信仰で試してみたといいますか、癒しを求めたのは救いの一歩手前だったんでしょう・・・

>奇跡を見てのことよりも、より影響の強い赦し宣言を見聞きしてからの、救い主を否定することにより自らの救いを一層難しくしていた、

>その意味では、難しい・やさしいの意味には、指導者への、影響力・インパクト・程度みたいなのもあったのかもよ・・・

そうだと思います。
 
 
 
あれっ、対応・応答じゃなかった (たまWEB)
2019-03-09 12:02:00
でしたかね・・・

「結婚した夫婦の生涯の課題(引用)
注目した言葉 / 2019-01-12 23:21:49」
https://blog.goo.ne.jp/numano_2004/e/c9be62ed57dc6e2e122578fc1db2b0de

”回復させるならこうあるべきしょうね。 (教会員R)

2019-02-01 05:04:09

申命記の14はこうですよ。・・・”

まぁ、でも、申命記引用で、エライなって、思ったんでしたぁぁ・・・たまWEBの申命記は、告白しますと、受け売りだったんよねぇぇ・・はずかしやぁぁ・・・ 
 
 
 
ローマ神殿の奉献式には (たまWEB)
2019-03-09 14:58:01
全管長会および全使徒会が出席とのことです・・・
https://www.deseretnews.com/article/900059369/entire-first-presidency-quorum-of-the-twelve-to-attend-rome-temple-dedication-mormon.html  
 
 
 
Unknown (Unknown)
2019-03-10 06:01:55
教会員Rさんへ

>あなたの積年のイヤガラセは十分わかりましたので

イヤガラセではありません。

あなたが間違ったことを言ってるのでそれを指摘しているだけです。あなたが間違ったことを言わなければ良いのです。
 
 
 
Unknown (オムナイ)
2019-03-10 18:45:22
kizukaさん。
初めまして。

投稿読みました。

>モルモン教会員って外部の本を読もうとしませんがそれ以前にいつまでも古い口語訳聖書に固執するのもどうかなと思います。

固執というより、本山であるアメリカモルモンはキング・ジェームズ訳が標準の聖書になっていまして解釈の元はそちらになっています。
時々「英語版聖書からの和訳」みたいな解説がはいります。

>たとえばヨハネ伝2章24ー25節なんかは口語訳だと意味がわからないでしょ? 最近の翻訳と比べて見てください。

なるほど、新しい訳だけあってわかりやすいですね。

>まず聖書をきちんと読んでいくべきかと思います。聖書の基本的理解がないのにモルモン書は聖書に並ぶ聖典であるとか言っても笑われますよね。

伝統的キリスト教会に所属する友人も複数いますが、個人的にはモルモンの方が聖書も含めて聖典を勤勉に学んでいるように感じています。

聖書中心主義のクリスチャン方にはわかってもらえないかもしれませんが、こんな言葉があります。

「教会は、聖書に基づいていない。教会は、聖書が基づくもの、つまり預言者を通して与えられる啓示に基づいている。」
ロス・バーロン,著 「大勢の人を養うこと:人の漁師であること」2001年 FAIR 末日聖徒擁護大会演
 
 
 
Unknown (教会員R)
2019-03-11 02:59:04
たまWebさんへ。 思い出しました。回復の教会ならば、こうあるべきしょう。 


申命記の14はこうですよ。

--------------
あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。

そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。

ただし、その道があまりに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれるとき、それを携えて行くことができないならば、

あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、

その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない。

(つまり食事会をしなければならないということ、そして食い尽くすのではなくて・・・・)

町の内におるレビびとを捨ててはならない。彼はあなたがたのうちに分がなく、嗣業を持たない者だからである。

(地上の資源で儲けることを主から赦されなかった聖職者たち、今で言うところの中央幹部に相当か)

三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、

(3年目の什分の一は祭司と恵まれない人たちに施せという規定)

あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。
--------------

要するに、献金類の扱いもガラガラポンしたほうが良いということ。

教会の建物の維持費とか土地の買収、物品の購入に什分の一を使うのは、主旨からは外れているものと思われます。
 
 
 
Unknown (kizuka)
2019-03-11 07:40:41
オムナイさんへ
お返事ありがとうござあいます。

>伝統的キリスト教会に所属する友人も複数いますが、個人的にはモルモンの方が聖書も含めて聖典を勤勉に学んでいるように感じています。

私にはモルモン協会員の友人が何十人もおり、ビショップやステーク会長もおりますし、モルモン教会に行くのをやめた人やモルモンの戒めを守っていない人もたくさん知っておりますが、それがどうかされましたでしょうか?
モルモン協会員は「聖書を学んで」はおりません。「モルモン教義に合う部分だけを聖書から見つけて」いるに過ぎません。

また聖書の元になったものは啓示ではありません。旧約聖書はユダヤ人の神に対する信仰であり、新約聖書はイエスと共にいた弟子たちの証です。しかしモルモン書の書かれた元になったものはジョセフ;スミスの啓示だと思いますよ。
 
 
 
Unknown (Kizuka)
2019-03-11 07:44:04
すみません、先ほどの投稿でモルモン協会員と書いたのは単なる変換ミスです。他意はありませんのでご容赦ください。
 
 
 
Unknown (オムナイ)
2019-03-11 22:53:32
>しかしモルモン書の書かれた元になったものはジョセフ;スミスの啓示だと思いますよ。

コメントありがとうございます。
先駆者の聖書に対する姿勢参考になりました。

近年、アメリカを中心にして伝統キリスト教との融和は進んでいるように感じています。
様々な視線に思いを巡らしながら聖書も学ぼうと思います。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。