みたまを通じて、みたまの働きがあって、助け合えるワードや支部というのが、この共にあるよう願えるという特権がですね、聖餐式、聖餐の祈りから見て取れるわけでしてぇ、現行の意味合いの、その勧告を各自に繰り返す・リピートしてる趣旨ではないんだとということですよねぇぇ、少なくとも原文では。"Receive the Holy Ghost"/聖霊を受けなさいのreceiveは祈りにはなくてhaveになってるですがなぁぁ・・・祈りでの御霊が共にあるようにの主語は複数形ですよねぇぇ、確認の儀式は一人一人。自身のことですね・・・こういった違い、逸脱・・・なんだかなぁぁ・・・
【英語】 For as death hath passed upon all men, to fulfil the merciful plan of the great Creator, there must needs be a power of resurrection, and the resurrection must needs come unto man by reason of the fall
参考までに復元教会( Community of Christ)ではモルモン書の公式改訂版(The Book Of Mormon- Revised Authorized Version)を作っていまして、この改訂版でこの聖句は第2ニーファイ6章11節にあたるのですが、2つ目のカンマがありません。つまり・・・
>1995年改訂に先立って、いちいち逐語訳することが一時米本部から求められたことがあった。
なるほど、そうだったのですね。モルモン書の訳文が全体的に生硬に感じる理由です。まぁ好みの問題もあるでしょうが。私は技術書、説明書は逐次訳が向いていると思いますが、文学に関しては逐次訳はダメだと思っています。特に大衆小説など原著が「教養のない人でもスラスラ読んで楽しめる」ことを目的にしている場合は、訳文もそうあるべきなのでは?と考えているからです。
ではモルモン書はどうなのか?正直言いますとモルモン書に改訳されてからは読む気がなくなりました。ところどころの日本語的ないびつさが気になって・・・。
教義と聖約は改訳されてからさらに読む気が失せました。旧の訳文は文語調で書かれていましたが韻を踏んでいて暗証しやすかったのです。人の記憶に残る文章は聖典としては重要じゃないのですかねぇ。もっとも読みやすさのためにはある程度、翻訳者が文章に加工を施してしまうことは否めないわけで、それによって意味が正確に伝わらない点を懸念する向きもあるでしょうが、それは教会と言う組織の中で教え学んでいくことで十分補えると思うのです。
でも上から与えられたものを感謝して受け入れるのが末日聖徒の信仰みたいなので、文句は言えませんから、面白くないものは読まないという自由意思の行動をとるしかないのかなと、そんなわけで私のモルモン書はとても綺麗なままです。
>[なお1995年改訂にかけ、聖書起源の言葉の翻訳改訂に関連しメモを残しているので、将来のため参考までに清書して管理本部の翻訳課に提出したいと考えている。
ええ、もったいない! そんなことしたら絶対2度と日の目を見ませんよ。
英語の with ですよねぇぇ・・・”that they may have (always) his Spirit to be with them. Amen. ”
中国語のでも、共に は入ってるんじゃ?!
”・・・與他們同在” 摩羅乃書・モロナイ書4、5章から
”與・むた 【与▽・共▽】
名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた形の下に付いて、「…とともに」「…のままに」の意を表す
与(與)
ピンインyǔ ⇒ [異読音] yú,yù
1 前置詞 (書き言葉に用い,「…と一緒に…する」と言う場合)…と,…と共に.⇒跟 gēn ,同 tóng .”
列王紀6:16 不要懼怕!與我們同在的比與他們同在的更多・・・エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。
ヨハネ伝17:12 我與他們在一起的時候・・・わたしが彼らと一緒にいた間は・・・
黙示録21:3 神將要親自與他們同在・・神自ら人と共にいまして
現行の’御霊を受けられるように’なんだぎゃぁぁ、バプテスマの後の、聖霊の賜物を受ける儀式の時に、’聖霊を受けなさい’との勧告・勧め・命令の言葉があるように、まぁ、この言葉は聖文には出てないわけですぎゃぁ、受けられるように備える・信仰を働かせるのは、教会員であってさぁ(各自の責務)、の観点からすれば、ちょっと違うんじゃぁぁ・・・やはり、なんで原文から離れちゃったんですかねぇと・・・教会員はこの確認の儀式を受けてからは終生、聖霊の助けが受けられるわけですよね、ある意味、その信仰が働いてる限り。
この’共に’の重要性はですねぇぇ、教義と聖約46章に賜物の列挙があって、そこを見ますとぉぉ、
「09 まことに、わたしはあなたがたに言う。それらは、わたしを愛してわたしのすべての戒めを守る者たちと、そうしようと努める者たちのために与えられる。それは、わたしを求める者たちや、わたしに願い求める者たち、願い求めるけれども自分の欲のために使うようにしるしを求めるのではない者たちのすべてが、益を得られるようにするためである。
10 さらにまた、まことに、あなたがたに言う。教会員に与えられているそれらの賜物が何であるか、常に覚えておき、また常に心に留めておくようにと、わたしは望んでいる。
11 すべての人があらゆる賜物を与えられるわけではない。賜物は多くあり、各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられるのである。
12 ある人にはある賜物、またある人には別の賜物が与えられて、すべての人がそれによって益を得られるようになっている。
13 ある人・・・
27 また、教会の監督、および教会を見守るように、また教会の長老となるように神が選んで聖任する人々には、それらすべての賜物を見分けることが許される。それは、あなたがたの中に、神から出ていると公言しながらそうではない者がいることのないようにするためである。
28 そして、御霊によって求・・・」
他の人にとっての益ということですよねぇぇ・・・
みたま(の賜物)を通して、各自は他の会員から益を受けたり、他に益を与えてるということぎゃぁ、共に聖餐を受けてる状態で、聖霊が共にあるようにということで、そのような賜物が働くのであるという、そのような意味合いが、本来の、その原文・英語のにね、あるんだよねぇぇと、訳する人たちにとって、わきまえ見れれば、まぁ、そういう観点に立ったらば、やっぱり、’共に’は、はずせないんじゃないのかなぁぁってね・・・
みたまを通じて、みたまの働きがあって、助け合えるワードや支部というのが、この共にあるよう願えるという特権がですね、聖餐式、聖餐の祈りから見て取れるわけでしてぇ、現行の意味合いの、その勧告を各自に繰り返す・リピートしてる趣旨ではないんだとということですよねぇぇ、少なくとも原文では。"Receive the Holy Ghost"/聖霊を受けなさいのreceiveは祈りにはなくてhaveになってるですがなぁぁ・・・祈りでの御霊が共にあるようにの主語は複数形ですよねぇぇ、確認の儀式は一人一人。自身のことですね・・・こういった違い、逸脱・・・なんだかなぁぁ・・・
96年末くらいから変わって20年・・・はばかることなかれ・・・
共にを入れた改訳すべきぃぃぃじゃないのぉぉ・・・
これは、あかんなぁぁ、あかん、あかん、あかんですよぉぉ・・
これを「御子の『みたま』常に一同と共にましますように」(昭和佐藤訳)に戻すべきではないか、という提案ですね。賛成です。
なお明治訳は「常に御子の御霊を己等(おのれら)と共に在(あ)らしめん為」となっています。
[この聖餐の祈りの部分は、菊地良彦長老が改訂・最終文案を決めたと伝え聞いています。]
陰謀論とか良く書いておられるので、そういう人なのかと思っていましたが、見直しました!
https://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/94e3781cb200bc7ca4403334665761fd
陰謀史観? 星占いも書いてまっせ・・・過去の仕切りなおし、振り返り等々の、ちょうど水星逆行中、しかも目下うお座守護星の海王星と重なるタイミングじゃん・・・幸いの方向だといいんじゃがの・・・ま、それは、おいといてぇぇ・・・
この20数年間、違い気づいてた会員はいるんじゃないかな・・・でも、教会では上からの方針一点張りで、一般会員の意見・異見・質問等々は求められず、ネットは避けられ、そういったことは幹部への不従順みたいな取締りの対象に、なぁんてね・・・
2006年11月くらいだったか、モルモン書のモルモン8章28節で、違うだろうと注目させられた感じで、モルモン経・龍猪訳と比べようと霊感受けたんでしたぁぁ、
「・・・教会の指導者たちと教師たちが心を高慢にして、彼らの教会に属する者たちが彼らをねたみの目で見るようになる時代に、それは出て来る」(2006版)
「教会の支配者および教師たちはその心に高慢をつのらせて、自分の教会に属する者をさえ嫉むようになる時、」(龍猪訳)
で、老若男女の米人宣教師さんらに尋ね、やはり彼らも指導者が一般会員をの理解でしたね。
まぁ、現行の2009年版モルモン書では、旧泉掲示板で書かせてもらってそれが汲まれたか、’属する者たちが’の主語が一応消えて、両方ととれる折衷版のようなのに変わりましたかぁぁ。
蓋し、この8:27のところも、幹部ということで菊地氏の強権発動・ごり押しがあったんでしょうかねぇぇ・・・
聖餐のところは会員のつながりの分断みたいな意図かな、で、ここは、幹部を妬む傾向がある一般会員という図式を刷り込ませては・・・
このようなことにどう対処したらいいのか、思うところ、パート2のつづきということで・・
有益資料になる事間違いなしですね。
NJ先生との交流を経てモルモン経コレクターと言っても良いくらい明治訳、昭和訳、平成訳と所有しています。
中にはポケットサイズのモルモン経も作成したようで先輩モルモンも様々な取り組みをされていたのだと思います。
意外だったとは翻訳の系譜を教えていただく事で、各時代のモルモン書を新鮮な気持ちで数多く読めました。
聖書にしても色々な訳があって、それをきっかけに興味深く研究といってはおこがましいですが、信仰の幅が広がったように思います。
新たな元号のモルモン書もおそらく出るのでしょうね。
次世代に相応しい日本語訳のモルモン書を待ち望みます。
教会幹部とかは表に見えるんですが、やっぱ裏の権力があるんでしょう・・・
たとえば、財政ではエンサイン財団とかがトップの意思決定機関じゃないのかな・・・
五十人
https://www.lds.org/study/history/topics/council-of-fifty?lang=jpn