モルモニズムの情報源、主要な主題を扱うサイト。目次を最新月1日に置きます。カテゴリー、本ブログ左下の検索も利用ください。
NJWindow(J)



「アブラハム書」は、1830年代当時西欧社会で黒人が文化的に劣っていると見なされていたことと、黒人の奴隷制度が続いていたこと、この二つの事象を説明しようと試みた文書である。ブッシュマンはそのように観察している。(Joseph Smith – Rough Stone Rolling, p. 288)。

 モルモン教徒は、19世紀の時代、一般的にアフリカ人はハムの後裔で呪いを負っていたと考られていた伝統を借用したのであった。聖書には、ノアの息子ハムが泥酔し裸になった父を嘲ったのに対し、ノアがハムの息子カナンを呪ったと記されている。「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」(創世9:25)。過去数世紀にわたってユダヤ人もアラビア人も聖書の注釈者たちは自分たちが奴隷にしたい人々をカナン人と見なし、呪われた人々はそれが誰であっても生来劣った、信用のできない、怠惰な者たちであると考えた。紀元千年頃、この呪いはアフリカの黒人にかかるものとされたのであった。

 アブラハム書には皮膚の色について言及されていない。また、そこにはパロが神権に関して呪われたと書かれていて(1:26, 27)、仕える者になるという表現はない。この点社会の通念に従っていない。

 どうして黒人に神権が拒絶されるようになったかというと、1830年のモーセに関する啓示に「カナンのすべての子らの上に暗黒(blackness)が及んだので、彼らはすべての民の中でさげすまれた」(モーセ7:8)とあり、アブラハムはパロが「生まれはカナン人の血統を引いた者であった」(アブラハム1:21)と言っている、それで二つの記述を合わせて黒人は「神権に関して」呪われた血統であるカナン人の子孫なのだと結論づけられたのであった。

 しかし、黒人種を神権から除外したのはジョセフ・スミスの死後からであって、彼自身はカートランド神殿、ノーブー神殿で全ての人種の参入を許容し、黒人で七十人であったエライジャ・エイベルと交友があったことが知られている。

[付] ブッシュマンの「ジョセフ・スミス - - 転がる粗石 - - 」2005年はデゼレト出版のカタログにも紹介され保守的な層にも信頼されている著書である。

Source: Richard Lyman Bushman, "Joseph Smith: Rough Stone Rolling" Alfred A. Knopf, 2005


コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )



« 何かよい訳は... 帰還宣教師が... »
 
コメント
 
 
 
Unknown (カルク)
2010-07-10 23:47:57
ジョセフスミスが黒人に神権を与えられないという啓示を受けたときエライジャに泣いて謝ったというエピソードがあった気がします。
その後エライジャは神権なしで伝道に出ているかと…

記憶違いかもしれませんけど
 
 
 
背後に何かの存在? (元モルモン)
2010-07-11 10:32:30
背後に当時のアメリカの政治的色合いを感じます。ジョセフ・スミスは人種にあまり拘らない農夫のような普通(少々優柔不断)のアメリカ人だったと聞いたことがあります。知恵の言葉の背景に、紅茶事件の名残が現れているとの説も聞いたことがあります。アメリカとイギリスは当時、そんなに険悪な関係だったのでしょうか?。
黒人に神権を付与しなくなり、キンボール氏の時代に付与されるようになったそうですが、変更理由がイマイチ不明瞭でよく解りません。世論の変化が影響してると言うのは噂でしょうか?。詳しい経緯や理由の説明を聴かずに脱会したので未だに謎のままです。
 
 
 
エライジャ・エイベル (NJ)
2010-07-12 07:16:33
カルクさんへ

黒人に神権を与えないという最初の明確な声明はブリガム・ヤングが1852年にユタ州で出しています。ジョセフ・スミスが在世中に黒人に神権を与えられないという啓示を受けたという記載は見つかりません(ニューエル・G・ブリンガースト「エライジャ・エイベルとモルモン教における黒人の変転する地位」1979, 1984。レスター・E・ブッシュ「黒人に神権を与えないという教義の起源。過去10年の研究」1983)。従ってJSが泣いたという話はなかったものと考えられます。エイベルは1830年代、1880年代にフルタイムの伝道に、1843年にローカルの伝道に計三回伝道に出ています。神権なしでではありません。

1843年頃から彼や他の黒人の存在と活動を歓迎しない雰囲気が高まり始め、事態が変わっていきますが、エイベルは後にユタに移り教徒として信仰生活に努めます。何度か神殿の儀式を受けようと申請し、却下されています。

20世紀に入ってエイベルという過去の人物がいわば亡霊のように煩わしい存在になり、モルモンの過去を書き換えようとする動きが生じ、彼は例外であったのだとか、実はエイベルという人物は二人いたのではないか(一人は白人)という始末でした。後者の話はジョセフ・フィー儿ディング・スミスが語ったものです。彼はエイベルが今後持ち出されることがないように決着をつけようとしたのでした(ブリンガースト)。ジョセフ・スミスが泣いて謝ったというエピソードはこの類の話であった可能性があります。
 
 
 
過去の話なのか? ()
2010-07-12 09:39:35
黒人の血統が呪われている、と言う教義は私が改宗した当時もまだ存在していましたし、今でも、それが間違っているとはモルモン教会は認めて居ません。


決した過去の話ではない。


時代背景・・と言う言葉でごまかすのはいかがなものかと思いますが・・・。


問題は時代背景云々じゃなくて、「神の生ける預言者」が言ってしまった事、やってしまった事を、いつまでも正せないモルモン教会の構造です。
 
 
 
実情は (NJ)
2010-07-12 21:22:02
元モルモンさん、

知恵の言葉が提案されたのは、預言者の塾という集まりの席でタバコを吸う人が多く、見かねたJSの妻がやめるよう苦情を言ったのが直接のきっかけで、60年前の紅茶事件の影響はなかったと思われます。初めて聞く上に言及した資料を見たことがありません。

アメリカとイギリスの関係は、今日のような感覚で考えると少し違うと思います。米はまだ英国と独立戦争(1775-1783)を戦って60年しかたっておらず、西部はまだ未開拓の時代でした。

黒人に神権を与えるようになった理由の一つに公民権運動の高まりがあったことは事実です。(米国の世論の変化、ldsの意識の変化)。しかし、一番強く直接的な理由はブラジルに神殿が完成されようとするに当たって、そのために献身的に働いた教徒の大部分がアフリカ系の黒人の血を引いていて、そのままでは神殿に入れないことがわかり、キンボール大管長が苦悩したことでした。(マッケイ大管長、ヒュー・B・ブラウン副管長などが黒人に神権が与えられるよう腐心し、機会を求めていたことも準備段階として影響していたと言えるでしょう。)

黒人に神権が与えられるようになった経緯については、モルモンフォーラム誌2号(1989年冬季)にまとめています。
 
 
 
同じ学者として ()
2010-07-14 09:51:11
下記の内容は肯定されるのでしょうか?それとも否定されるのでしょうか?


モルモン教の黒人への態度の変化は内発的なものではなく、外発的なものであると思われることである。つまりモルモン教会をとりまく社会的、経済的圧力により変化を余儀なくされた面があることは否めない。まずブラジル政府からの圧力があった。モルモン教会はブラジルに数十億円の神殿建設をしていたが、ブラジル政府はモルモン教会にたいして、このまま人種差別を続けるなら免税措置を撤回すると通告した。さらにNAACPをはじめとするアメリカ国内の人種統合を推進するいろいろなグループからの激しい批判とともに、モルモン製品の不買運動が起こった。あるいは、全米の黒人運動選手がモルモンの大学(ブリガム・ヤング大学)をボイコットすることを決めた。また名門スタンフォード大学がブリガム・ヤング大学との一切の関係や協力を拒絶した。こうした様々な外圧が、モルモン教の人種主義政策の変更をうながした遠因である。

http://garyo.or.tv/michi/sinjitu/sugao/088tepai.htm
 
 
 
時代背景は逃れられない制約 (NJ)
2010-07-14 21:32:03
豚さん(7/12)へ

豚さんが改宗当時「黒人の血統が呪われているという教義が存在していた」のは、1978年以前に改宗されたからです。

>それが間違っているとはモルモン教会は認めていません

私は1978年の啓示によって教会はそれ以前の認識が間違っていたことを認めたと受けとめています。

時代背景に触れたのは、宗教が時代の制約を受ける(その時代の社会を反映する)という側面を持つことを述べたものです。NTにも言えることです。例、女性は静かにしているべきである、など。ブッシュマンもおそれながら小生も自らが所属する宗教に距離をおいて客観的に記述する姿勢をとっているのであって、(擁護しようと)ごまかしているわけではありません。

教会の過去の指導者が「言ってしまった事、やってしまった事」について明確な形で正す、あるいは謝ることが見えにくい点は私も感じています。例、黒人に謝罪したという話を聞きません。
 
 
 
同じ研究者でも姿勢が・・ (NJ)
2010-07-14 22:09:23
豚さん(7/14)へ

引用された13行は、「素顔のモルモン教」p. 265から取られています。大体の内容は承知しているものですが、この節に全く注がなくブラジル政府から教会へ通告があったことなど欲しいところです。また、前の頁に私にとって初耳の内容が出ています。キンボール大管長が黒人に神権をという啓示をトーンダウンして個人的宣言と言ったというものです。それこそ根拠を示さなければなりません。氏の著書には時折聞いたことがない、あるいは事実誤認の記載が散見されます。厳密さに欠けるか、糾弾・徹底批判の姿勢のしからしむるもの(スタンス、立ち位置の問題)であろうと思われます。
 
コメントを投稿する
 
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。