[見事な翻訳は読者にとってダイアモンドに譬えることができるのではないか NJ]
詩篇110:4、それを引用したヘブライ人への手紙 5:6 や特に末日聖典によく英語で after the order of という表現が使われている。(ほかにも “according to [or] of the order of 人名、神格者” の形で現れる。)
詩篇110:4 「あなたはメルキゼデクの位にしたがって
とこしえに祭司である」(口語訳)
モルモン書のアルマ書5:44, 49, 7:22, 13:2, 6-9 にも同様の表現が出てきて、私は「位(くらい)」という訳語が気になっている。文脈を考慮しないで同じ訳語で通すと不自然な訳になることを免れない厄介な言葉だからである。
この「・・の位にしたがって」の部分はヘブライ語で、עַל־דִּ֝בְרָתִ֗י‘al-diḇ·rā·ṯî, “on word of,” 日本語訳で「・・の言葉で」となる。この「言葉」に相当するヘブライ語 diḇ·rā·ṯîには「理由、方法、秩序など」の意がある。この部分は七十人訳で κατά την τάξιν , according to the order と訳され、新約のヘブライ人への手紙に引き継がれていく。この τάξιν には rank (位) のほかに nature (性質、本質)の意もある。
それで、文語訳では「汝はメルキゼデクの状(さま)にひとしくとこしへに祭司たり」(詩篇110:4)と訳され、「あなたこそは、永遠にメルキゼデクに等しい祭司である」(口語訳へブル5:6)と意訳が試みられている。
アルマ書の場合、
5:44 「神の聖なる位に従って」 → 「神の聖なる方法(or 言い方)に従って、このように語る」、
49節 「これが私が召された位である」 → 「これが私が召されたわけ(or ゆえん、理由)である」、
7:22 「神の聖なる位に従って歩む」→ 「神の聖なる方法(or あり方)に従って歩む」
のように意訳した方が自然に読める。
「位」という訳語を留める選択も聖句によっては残すことが考えられるが(アルマ 13:2, 6, 8など)、英訳のorder =「位」で通すのは意味より形式に重点を置いた直訳で読者に余分な負担をかけると私は思う。
[ついでに] ヤコブ書 5:13 nethermost 「最も低い」は必ずしも直訳する必要はなく「最も遠い、端の」でよいと思う。また、「モルモン書」は、前の「モルモン經」でよいのではないか。「経」は経典類を指す言葉で必ずしも仏教だけに結び付けられるものではない。中国語訳も韓国語訳も「モルモン経」という訳語を引き継いでいる。現行のモルモン書は形式に重点を置いた直訳の傾向が顕著である。
| Trackback ( 0 )
|
アルマ書の場合、
5:44 「神の聖なる道に従って、このように語る」、
49節 「これが私が召された道である」
7:22 「神の聖なる道に従って歩む」
「道」の起用はいい案であると感じます。ありがとうございます。
だったら「こんにちは」と訳したらいいんじゃないかな、と思う初夏の昼下がり。
それで、パラフレース訳のリビングバイブルでさえ「平安があるように」と訳しています。場面から言ってそう訳すのが自然だろうと思います。しかし、そう「挨拶し」と、この言葉を「挨拶」と見ています。
今日のイスラエルの「シャローム」、アラビア語の「サラーム」そのもので「こんにちは」に相当します。(もっともイエスはアラムを話していたと思われるのに新約ではギリシャ語で eirene となっています)。
1N 12:23 は初めから dark, IIN5:21 は初めから blackness だったようです。(今調べてみました)。
私も black -> dark の変更は記憶していますが、変えたのはどこでしたでしょうか。
2N30:6
they (Lamanites) shall be a white and delightsome people [印刷業者渡し、1830, 1837, 1920版]
↓
they shall be a pure and delightsome people [1840, 1981年版]
邦訳では、明治訳、昭和訳が「白い」、平成訳(1995, 2009年)で「清い」となっています。
----------------------------------------------
「レーマン人の時代は近い。何年もの間、レーマン
人は喜ばしい成長を遂げ、今や約束されたように、
『皮 膚の色が白くて喜ばしい民』になりつつある。
・・・20名のレーマン人宣教師の写真を見ると、
その中の15名は非ラテン系の白人のように皮膚が白く、
残りの5名は褐色であるが同じく喜ばしい民である。
ユタの里親プログラムに参加している子供たちは、
インディアン指定居住地のホーガン(土と木の枝で
作り、泥や芝でおおったインディアンの住居)に住む
自分の兄弟や姉妹たちよりも、白い皮膚をしている
ことがよくある。
・・・ユタの町のある医者はインディアンの少年を
2年間自宅に預かったが、その少年は居住地から里子
として来たばかりの弟よりもいくらか白くなっていた
とのことである。これらの若い教会員は、『皮膚の
色が白くて喜ばしい民』へと変わりつつある」
----------------------------------------------
宗教コース121-122 モルモン経 生徒用資料
教会教育部編 p.112 より引用
(1987年2月16日発行)
今時こんなものは信用する価値のないメッセージのたぐいです。
キンボール大管長は大好きなのですが、時たまたわ言を言うのが残念でなりません。
実は同感です。
当時の末日聖徒の誰もが、皮膚は白くなるって信じてたんじゃないの?BYUの宗教コースでも使われているインスティチュートのテキストにも書かれていたし。
今になって分かってきたことで昔の人を悪し様に言ったところで反論は帰ってきませんわな、死人に口無しとは言うけれど。
このような事実があっても、教義ではなかったと言い張ることは潔くないと感じています。
この点で教会に対して大いに失望を感じています。