沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

『内海町の文化財巡り』

2007年12月11日 | 歴史と文化財

『内海町の文化財巡り』の行事報告!!

平成19年<2007>12月9日(日)に「沼隈郷土文化研究友の会」の
行事、『内海町文化財巡り』を行いました。

昨夜から快晴でした朝には、少し肌寒い位でしたが、快晴に恵まれて
絶好の行事日和でした。
担当者いわく、「晴れ男の私が居るから」と得意顔でした。

8:30に福山市沼隈支所駐車場に集合し、12名の参加で一路「内海町」へ
移動しました。

天満地区で、本日の内海町を紹介していただく、兼田明昌先生と合流し、

水野神社(みずのじんじゃ:水のうさん)で内海町の文化財巡りを開始しました。


      (水野神社案内板)

天満地区の水野神社は、江戸時代に福山藩の藩主である水野氏が入部し、
天満地区が洪水により税を納入出来なくなっていた所を、水野氏が税の負担を
免除したところから、「天満引き」と記録上に表れるとのことでした。


   (水野神社本殿)

続いて訪れた所は、大浦地区の「釈迦堂」へ伺いました。


     (釈迦堂:大浦地区)

釈迦堂では、像高50.5cm、肩幅28cmの「釈迦如来坐像」が安置してあり、
やや小ぶりの坐像を拝観することが出来ました。
光背と台座は後補で、像そのものは、寄木造で玉眼、膝部分がやや痛んで
いました。製作時期については、「室町時代」と考えられます。
また、この「釈迦堂」から内海町田島地区の八十八箇所巡りのスタート地点
となっています。


(釈迦堂:釈迦如来坐像)福山市指定文化財

次に伺った所は、「常楽院」でこのお寺の裏山には、「墓石群」があり、
さまざまな墓石を見ることが出来ます。
ほとんどが中世以降の墓石と考えられますが、調査すれば様々な事が
解るのでは無いかと思います。
墓石研究には、最適ではないかと思いました。


  (常楽院:案内板)


   (常楽院裏山墓石群)

更に続いて伺った所は、「光音寺」で地元の漁師が「布刈の瀬戸」まで帰ってくると
「光音寺」の銀木犀の香りが漂ってきたと伝えられている。
その銀木犀はかつての成長が衰えて来ているとのことでした。
また、本尊である「聖如意輪観音」の台の部分には、製作当時の生活模様が
絵かがれているとのことでしたが、当日住職不在の為に拝見は出来ませんでした。


       (光音寺:案内板)


      (光音寺:観音堂)

次に、伺ったところは、「奥の坊」で、広島県指定の「涅槃図」があり、
実物は住職が不在の為に、写真を見せて頂きました。


     (奥の坊:案内板)


(奥の坊:涅槃図 写真)
広島県重要文化財 絹本著色釈迦涅槃図
縦:188.5cm,横:156.8cm(室町時代末)

最後に伺ったところは、「西音寺」です。
西音寺の本堂は、二つの建物をくっつけた建物で、屋根の形か゛建物の奥側と
表側とでは違っています。
また本堂内には、阿弥陀如来立像の素晴らしい仏様が安置されています。
現在では、真言宗の寺院となっていますが、この仏様に出会うと、
何かしら様々な歴史が窺い知れるようでした。
本堂の床の板には、色々な落書きがあるそうで、これもまた興味深々の
お話でした。


    (西音寺:本堂)


   (西音寺:本堂屋根部分)


  (西音寺:本堂内陣天井部分)


(西音寺:阿弥陀如来立像)
広島県重要文化財 木造阿弥陀如来立像
像高:83.5cm,一木造り(室町時代中期)

奥の坊から西音寺に行く途中に、「中井満蔵碑」と「掘出し観音」を
伺いましたが、省略させていただきます。

以上、行事は午前中に全て無事終了しました。
内海町は、すぐ隣の町ですが、今まで知らなかった歴史に触れて、
見る眼が変わって来た事を感じた、内海町でした。

                          (文責:鳳来)



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