薬師寺のひょんの木
東京に在った正岡子規は、明治二十八(一八九五)年四月、 新聞「日本」の記者として日清戦争に從軍した。 その帰途の五月、船中で発病、一時は重篤だったが、 神戸、須磨で療養、安静を得て、八月、郷里松山へ帰った。
折しも、親友の夏目漱石が松山中学の英語教師として 赴任して来ており、子規は漱石の下宿先・愚陀仏庵で五十余日間同居、 盛んに句会を開き、漱石も俳句に親しんだ。
体調の良い時には、漱石や俳句仲間と市内外を吟行し 「散策集」としてまとめている。 十月二日には、旧市街の南部地域へ出掛け、 泉町の真言宗寺院・薬師寺で二句を作った。
「我見しより久しきひょんの木実哉(このみかな)」
「寺清水西瓜も見えず秋老いぬ」
初 めの句の「ひょんの木実」とは、どんな実か、ご存じの方は少ないだろう。 それもそのはずで、子規が「木実哉」と詠んだのは実は学名・イスノキ (別名ひょんの木)の葉が異常発育して、あたかも木の実のようになった 虫えい(虫こぶ)だったのだ。子規は、後にこのこと知ったようで「寒山落木」に 収録する時には「・・・木実哉」を「・・・茂哉(しげりかな)」と改めている。 秋の句だったはずが、夏の句になったわけだった。
イスノ キは柞と書くマンサク科の常緑喬木で、西日本の山中に 自生、観賞用として植栽もする。 高さ十五メートル、樹皮は灰白色、葉は長楕円形でなめらか。 四、五月ごろ深紅の細花を穂状に綴る。 多くの葉にイスオオムネアブラムシなどが寄生し虫えいを生じる。 タンニンを含み、染料に用いる。
子規が句に詠んだイスノキは、薬師寺本堂前にあり、樹高約十メートル、 幹周四メートル近い巨木で昭和三十七(一九六二)年、 松山市指定天然記念物になった。 木のわきに二句を基に彫った句碑があって 市の設定する「俳句の里」城下コース29番になっている。
「ひょんの木」のいわれは、虫えいに小さな穴を開けて虫が飛び出した後、 強風を受けて笛のような「ひょう、ひょう」という音を出すことから 名付けられたという。
薬師寺のほか、松山市内では松山城山の東雲神社境内や、 八坂小学校などにもあり、冬から初春に枯れた虫えいが地上に落下し、 拾って穴に唇を当てて吹くと「ひょう、ひょう」と鳴る。 自然が作り出す天然の笛だ。
ちなみに「ひょんの実」は「木質の果。 卵形で密毛が生えた長さ一センチばかり。二つの殻片に割れ、 種子を出す・・・というが、見たことはない。
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