訪問日:平成26年6月7日(土)
出 発:地下鉄「都島駅」
到 着:JR「京橋駅」
区北部は、淀川の水利に恵まれた農村地帯として開け、南部は大坂から京へと続く「京街道」の宿場町として栄えた。旧農村地帯は、近代に入っては工業地帯として、その後、住宅地として開発され、旧宿場町は、現在では「京橋」と呼ばれる繁華街として多くの人が集まる。昭和18年、「北区」「旭区」から分離・編制され「都島区」となる。人口約10万人の商業地と住宅地が混在した町だ。
都島区のどこが「エエとこ(良い所)」なのだろうか?大阪の人ならピーンと来るだろう。「都島区」と聞いてすぐに思い浮かべるのが「京橋」。大阪と京都を結ぶ京阪電車とJR大阪環状線が交わる大阪でも有数のターミナル。特に仕事帰りのサラリーマンや飲み会の若者で賑わう歓楽街だ。そこに答えが。南北に長い都島区を「エエとこ」目指して歩く。
大阪市内を縦断し、守口市「大日駅」から八尾市「八尾南駅」の28km結ぶ地下鉄谷町線。都島区のほぼ中央に位置する「都島駅」を午前9時45分、出発。
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5番出入口は、5本の道路が複雑に交わる「都島本通交差点」の北東角に出る。
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そして、その角。ちょうど「三菱東京UFJ銀行」前の緑地帯に「農業用水門」が復元されている。
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当時、農村地帯であった付近を偲ばせるものであるが、淀川から流れる「井路川」という農業用水路にあったものを昭和49年、ここに移転・復元したものである。
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「都島通」と呼ばれる道路を南に渡り「りそな銀行」の前を東に進むと、右にアーケード街が現れる。都島市場の前から始まる「桜通商店街」。
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150mほどのアーケード街だ。
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1階が商店の「サニータウンニッシン」というマンションを過ぎて左に曲がると、そこには「鵺塚(ぬえづか)」。
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「鵺」とは、頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビの形をした怪物だという。近衛天皇期、夜な夜な京の御所に現れ、帝を悩ませたのを源政が射落とし、その屍がこの地へ流れ着き、祟りを恐れた村人が祠を建てて祀ったと伝えられる。
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アーケードを抜け、右に曲がり大通りを北上。スタート地点の「都島本通交差点」に出るので、信号で「都島通」を渡って左折、西進する。南側には「市立総合医療センター」がそびえる。
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170mほどで「都島神社」の前に出る。正面から参拝しようと思ったが、敷石のふき替え工事中のため脇の入口から境内に入ることに。
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付近は、淀川左岸に位置し、たびたび水害に見舞われたことから、永暦元(1160)年、守護神として建立したのが始まりと伝わる。今日一日の安全を祈願する。
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境内には、市内最古の石造遺跡と言われる鎌倉期に造られた宝篋印塔が建つ。
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神社西側の路地を北へ進む。すぐ左側に「浄土宗母恩寺」。仁安3(1168)年、後白河法皇が生母を弔うため創建した尼寺と伝わる。今日は、降水確率40%なのに雨が降ってきた。これより傘をさしながら歩く。
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さらに北へ進む。右に「櫻宮御旅所」。後ほど訪れる「櫻宮」の御旅所だろう。
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境内には、大きな枯木がそびえる。
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これは「渡辺綱・駒つなぎの樟」と呼ばれ、源頼光からこの辺りの管理を任されていた「渡辺綱」という人物が馬を繋いだ木と伝わる。
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御旅所の裏は「善源寺楠公園」という公園になっているので公園を横切って北へ進む。38階建て高層マンションを中心に開発された「セントプレイス大阪」。「旧十条製紙工場」の跡に建設された。
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さらに進めば「ベルパークシティ」。ここは「旧鐘淵紡績」いわゆる「カネボウ」の跡に開発された住宅地で「ベル」とは「鐘」のことである。
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その西側には「リバーサイドともぶち」。旧住宅公団である「UR都市機構」が開発した集合住宅である。
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そして、これら高層マンション群に囲まれるように「大阪拘置所」。全国に8カ所ある拘置所の一つで「東京拘置所」に次ぐ規模である。
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拘置所とは、基本的には未だ裁判で判決が下らない未決囚と死刑判決が下った死刑囚を収容する施設で、判決が下った囚人を収容する「刑務所」とは異なる。
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大阪拘置所北側の「市立友渕小学校分校」を過ぎ、友渕橋で「城北運河」を渡る。
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5~60mで「淀川神社」。
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由緒は不詳であるが、明治以降、付近の神社を合祀して創建されたようで、元は「十五神社」とも呼ばれ「天照大神」を主神として15の神々が祀られる。拝殿の上には15柱の神々の名が書かれている。
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神社前の「毛馬橋東詰交差点」を挟んで公園があるが、とりあえずそのまま北へ進む。
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右の路地に入れば立派な旧家。
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すぐに淀川堤防に突き当たる。堤防上には「蕪村生誕地」碑。俳人として知られる「与謝蕪村」は、享保元(1716)年、ここ「毛馬」で生まれたという。
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ちょうど川の上で「都島区」「北区」「東淀川」とが境をなしており、旧閘門など明治時代に建設された施設は「北区」に属し「近代産業遺産」として保存されている。
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都島区側には現役の「毛馬閘門」が所在する。
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前に見える淀川がここから「新淀川」として大阪湾に向かう。「旧淀川」との分岐点が、ここ「毛馬(けま)」である。
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閘門とは、水位の異なる川で船が往き来できるように調整する施設だ。
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ここからは、「大川」と呼ばれる旧淀川に沿って歩く。コース途中には、都島区役所による案内板もたくさん架けられている。ここは桜の名所でもある(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「桜の大川に沿って」参照)。
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閘門を後に南へ。先ほど通り過ぎた公園は「蕪村公園」。与謝蕪村に因んで造られた公園だ。
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蕪村の歌碑が並ぶ。
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時間は、午前11時20分。先ほど訪れた「淀川神社」前から北東に270mほど行くと右に「丸源ラーメン」。ちょっと早いが、この先には食事をするところがないので、ここで昼食にする。
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名物「肉そば半熟煮玉子入り(880円)」を注文する。「そば」と書かれているが「ラーメン」だ。
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店を出ると雨が上がっていた。「淀川神社」まで戻り、河川敷の「毛馬桜之宮公園」へ進む。
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川面には「リバーサイド友渕港」という船着場。屋形船が係留されていた。
「春風橋」という人道橋で午前中に渡った「城北運河」を南に渡る。
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大川に沿って歩く。
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「飛翔橋」という人道橋。「北区」側に開発された「淀川リバーサイドタウン」に繋がる。
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「都島橋」をくぐる。この下を「地下鉄谷町線」が走る。
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「都島橋」を過ぎれば「大阪市水道発祥之地」碑が建つ。明治28年11月、ここから初めて飲料水として大阪市に上水道が送水されたという。
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さすが大阪市(府)、きれいなトイレが整備されている。
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そのまま南に進めば「JR桜ノ宮駅」。駅舎手前のガードはレンガ造りだった。
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新しい橋梁が付け替えられる前のレンガ造りの橋梁が残る。
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その前を渡るのは「源八橋」。昔は「源八渡」という渡し船が運航されていた。
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この辺りは「わんど」のようになっており、橋で「洲」に渡ることができる。
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人工だが砂浜が作られているようだ。
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対岸は「北区」。「大阪アメニティパーク(OAP)」の高層ビルがそびえる。
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この辺りは、水面に下りやすいことから大阪市大漕艇部の施設がある。
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また、ここからは水陸両用の観光バス(船)が上陸する。ちょうど陸に上がった水陸両用バスが出発していった。
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大阪市大の他、古い艇庫が建つ。
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その前には「青湾」碑。かつてこの付近は井戸水の水質が悪かったことから「大川」の水を飲料水として利用しており、特にこの辺りの水質が良かったことから、茶の湯を愛した豊臣秀吉が小湾を設け、茶人の名から「青湾」と名付けられたという。
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ここから再度、川岸を離れる。川沿いには「櫻宮」。地名や駅名は「桜ノ宮」「桜之宮」と表記されるが、地名の由来となった神社は「櫻宮」だ。「櫻」の文字が桜の枝で隠れている。
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元は「東成郡野田村(今の京橋辺り?)」にあった社が、大和川の洪水でこの地に漂着したのが始まりで、宝暦6(1756)年、この地に鎮座したと伝わる。天照大神等を祀る。かつて「大和川」は、生駒山地を出て北上。旧河内湖を沖積平野とし、この辺りを流れていた。
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再び「桜之宮公園」に入る。大阪では「銀橋」と呼ばれる「桜宮橋」。国道1号線の拡張により北側に「新桜宮橋」が建設されたが、元は昭和5年に完成した。
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北区側には煉瓦造りの階段塔が残るが、都島区側には管理施設だろうか、レンガ造りの建物が残る。。
桜宮橋を過ぎれば、付近は、かつて男爵藤田伝三郎という人が築造した広大な屋敷があったところ。その庭園は、「藤田邸跡公園」として一般公開(無料)されている。
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池や芝生公園周辺には、桜や梅が植えられており、四季折々に花を楽しめる。
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大阪市内とは思えない。
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これが個人の邸宅だったとは、すごいな。
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通用門を出て一旦左に。地下を走るJR東西線「大阪城北詰駅」の出入口を過ぎる。戦災で焼け残った蔵跡は、今では「藤田美術館」として国宝9点を含む藤田一族のコレクションを展示(春・秋の年2回公開)する。
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その東は「太閤園」という宴会場・結婚式場になっており、関西政財界のパーティーなども開かれる。
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再度、西側に戻ろう。そこには、昭和34年「日米市長・商工会議所会頭会議」開催を機に建設され大阪市の迎賓館として使用された白亜の「大阪市公館」が建つ。
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日本庭園が広がり、長らく活用されていなかったところ、今年(平成26年)秋からは、レストランや結婚式場を備えた「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA」として生まれ変わるとともに庭園も一部、一般公開される。訪問時は、開業準備中であった。
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大川と寝屋川が交わり、そこには「川崎橋」という人道橋が「北区」に繋がる。ちょうど、屋形船が浮かぶ辺りが「都島区」「北区」「中央区」の3区境になる。
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京阪電車のガードをくぐり「土佐堀通」の延長である府道168号線を渡る。
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そこには「京橋」。元は元和9(1623)年、旧大和川(現在の寝屋川)に架けられた公儀橋で、大正13年に現在の鋼橋に架け替えられた。
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ここから「片町橋」まで570mほどを「寝屋川」に沿って歩く。
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川の南側には大阪城が広がる。
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途中で「第二寝屋川」と合流する。正面は、大阪ビジネスパーク(OBP)の「クリスタルタワー」。そこは「中央区」だ。
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「片町橋」で上にあがると「片町東交差点」。ここには、当時「片町線」と呼ばれた「学研都市線」の終着駅「片町駅」があった。ホームと改札が直角に交わる「終着(始発)駅」らしい駅舎だったが、平成9年3月、片町線が延伸され「東西線」開業とともに地下に潜り廃止された。
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旧片町駅北側の道を東へ。途中、階段で1本北の路地に入り、さらに京阪電車のガードをくぐる。強い雨が降ってきた。京阪電車沿いに歩くと道端に石の「道標」が立つ。「右 大和」「左 京みち」と掘られている。
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裏には「右 大坂」と刻まれている。京街道の道標だ。道標の前には、京阪電車「京橋駅」が入る「京阪モール」。昔、
♪ 京阪モール 京阪モール ビルの中を 電車が走る
ビルの中には ニューモードの 花が咲くよ oh! 春の散歩道 ♪
というCMソングが流れていたなぁ。
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北側を走る「国道1号線」。JR環状線のガードをくぐったところが「京橋交差点」だ。かつて「京街道」の宿場町として栄えたところ。
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「京橋交差点」の北側には「ビギン京橋」という商店街。650mほどのアーケード街だ。
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南側は「新京橋商店街」と呼ばれる。
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途中でドームのある広場に出る。
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そこには「京街道」碑が建つ。この商店街が「旧京街道」だったのだろう。
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ここからは「京橋中央商店街」となる。ちょっと味のある「たこ焼き屋さん」。
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アーケードが終われば左へ。そして路地を左に折れると古い住宅街が残る
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文化住宅を抜けて南に進んでくと遊歩道に出る。
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午前中、前を通った「市立総合医療センター」の場所には、かつて「国鉄淀川貨物駅」があったそうだ。貨物駅と「城東貨物線」を結ぶ「淀川連絡線」の跡地に造られた遊歩道である。動輪と枕木をあしらったモニュメント。
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遊歩道は、途中「ビギン京橋」を横切り、さらに東へ進む。
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250mほどで「桜小橋交差点」で「国道1号線」と交わる。ここから東は「城東区」になるので信号を渡り、西に戻る。
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途中で路地を左に入る。
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ここは、歓楽街としての「京橋」の一角になる。
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飲み屋街を抜ける。
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そして……。そこに「エエとこ」がそびえる。「京橋グランシャトービル」。
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サウナ、中華料理店、キャバレー、パチンコ屋などが入る「総合レジャービル」だ。何故、ここが「エエとこ(良い所)」なの?深夜、天気予報のスポンサーとして流れるコマーシャルソング。「ハナテン中古車センター」と並ぶ「コテコテ大阪」のコマーシャルだ。さあ、一緒に歌いましょう(「城東区」編参照)。
♪ 京橋は 「エエとこ」だっせ グランシャトーが おまっせ
サウナで さっぱり「エエ男」 恋の花も咲きまっせ
グランシャトーは レジャービル グランシャトーへ いらっしゃい ♪
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午後2時30分、今日のゴールJR「京橋駅」に到着。本日の歩紀「21730歩」(18.68km)。京橋は「エエとこ」やな。
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出 発:地下鉄「都島駅」
到 着:JR「京橋駅」
区北部は、淀川の水利に恵まれた農村地帯として開け、南部は大坂から京へと続く「京街道」の宿場町として栄えた。旧農村地帯は、近代に入っては工業地帯として、その後、住宅地として開発され、旧宿場町は、現在では「京橋」と呼ばれる繁華街として多くの人が集まる。昭和18年、「北区」「旭区」から分離・編制され「都島区」となる。人口約10万人の商業地と住宅地が混在した町だ。
都島区のどこが「エエとこ(良い所)」なのだろうか?大阪の人ならピーンと来るだろう。「都島区」と聞いてすぐに思い浮かべるのが「京橋」。大阪と京都を結ぶ京阪電車とJR大阪環状線が交わる大阪でも有数のターミナル。特に仕事帰りのサラリーマンや飲み会の若者で賑わう歓楽街だ。そこに答えが。南北に長い都島区を「エエとこ」目指して歩く。
大阪市内を縦断し、守口市「大日駅」から八尾市「八尾南駅」の28km結ぶ地下鉄谷町線。都島区のほぼ中央に位置する「都島駅」を午前9時45分、出発。
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5番出入口は、5本の道路が複雑に交わる「都島本通交差点」の北東角に出る。
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そして、その角。ちょうど「三菱東京UFJ銀行」前の緑地帯に「農業用水門」が復元されている。
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当時、農村地帯であった付近を偲ばせるものであるが、淀川から流れる「井路川」という農業用水路にあったものを昭和49年、ここに移転・復元したものである。
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「都島通」と呼ばれる道路を南に渡り「りそな銀行」の前を東に進むと、右にアーケード街が現れる。都島市場の前から始まる「桜通商店街」。
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150mほどのアーケード街だ。
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1階が商店の「サニータウンニッシン」というマンションを過ぎて左に曲がると、そこには「鵺塚(ぬえづか)」。
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「鵺」とは、頭はサル、胴はタヌキ、尾はヘビの形をした怪物だという。近衛天皇期、夜な夜な京の御所に現れ、帝を悩ませたのを源政が射落とし、その屍がこの地へ流れ着き、祟りを恐れた村人が祠を建てて祀ったと伝えられる。
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アーケードを抜け、右に曲がり大通りを北上。スタート地点の「都島本通交差点」に出るので、信号で「都島通」を渡って左折、西進する。南側には「市立総合医療センター」がそびえる。
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170mほどで「都島神社」の前に出る。正面から参拝しようと思ったが、敷石のふき替え工事中のため脇の入口から境内に入ることに。
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付近は、淀川左岸に位置し、たびたび水害に見舞われたことから、永暦元(1160)年、守護神として建立したのが始まりと伝わる。今日一日の安全を祈願する。
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境内には、市内最古の石造遺跡と言われる鎌倉期に造られた宝篋印塔が建つ。
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神社西側の路地を北へ進む。すぐ左側に「浄土宗母恩寺」。仁安3(1168)年、後白河法皇が生母を弔うため創建した尼寺と伝わる。今日は、降水確率40%なのに雨が降ってきた。これより傘をさしながら歩く。
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さらに北へ進む。右に「櫻宮御旅所」。後ほど訪れる「櫻宮」の御旅所だろう。
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境内には、大きな枯木がそびえる。
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これは「渡辺綱・駒つなぎの樟」と呼ばれ、源頼光からこの辺りの管理を任されていた「渡辺綱」という人物が馬を繋いだ木と伝わる。
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御旅所の裏は「善源寺楠公園」という公園になっているので公園を横切って北へ進む。38階建て高層マンションを中心に開発された「セントプレイス大阪」。「旧十条製紙工場」の跡に建設された。
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さらに進めば「ベルパークシティ」。ここは「旧鐘淵紡績」いわゆる「カネボウ」の跡に開発された住宅地で「ベル」とは「鐘」のことである。
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その西側には「リバーサイドともぶち」。旧住宅公団である「UR都市機構」が開発した集合住宅である。
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そして、これら高層マンション群に囲まれるように「大阪拘置所」。全国に8カ所ある拘置所の一つで「東京拘置所」に次ぐ規模である。
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拘置所とは、基本的には未だ裁判で判決が下らない未決囚と死刑判決が下った死刑囚を収容する施設で、判決が下った囚人を収容する「刑務所」とは異なる。
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大阪拘置所北側の「市立友渕小学校分校」を過ぎ、友渕橋で「城北運河」を渡る。
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5~60mで「淀川神社」。
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由緒は不詳であるが、明治以降、付近の神社を合祀して創建されたようで、元は「十五神社」とも呼ばれ「天照大神」を主神として15の神々が祀られる。拝殿の上には15柱の神々の名が書かれている。
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神社前の「毛馬橋東詰交差点」を挟んで公園があるが、とりあえずそのまま北へ進む。
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右の路地に入れば立派な旧家。
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すぐに淀川堤防に突き当たる。堤防上には「蕪村生誕地」碑。俳人として知られる「与謝蕪村」は、享保元(1716)年、ここ「毛馬」で生まれたという。
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ちょうど川の上で「都島区」「北区」「東淀川」とが境をなしており、旧閘門など明治時代に建設された施設は「北区」に属し「近代産業遺産」として保存されている。
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都島区側には現役の「毛馬閘門」が所在する。
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前に見える淀川がここから「新淀川」として大阪湾に向かう。「旧淀川」との分岐点が、ここ「毛馬(けま)」である。
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閘門とは、水位の異なる川で船が往き来できるように調整する施設だ。
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ここからは、「大川」と呼ばれる旧淀川に沿って歩く。コース途中には、都島区役所による案内板もたくさん架けられている。ここは桜の名所でもある(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「桜の大川に沿って」参照)。
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閘門を後に南へ。先ほど通り過ぎた公園は「蕪村公園」。与謝蕪村に因んで造られた公園だ。
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蕪村の歌碑が並ぶ。
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時間は、午前11時20分。先ほど訪れた「淀川神社」前から北東に270mほど行くと右に「丸源ラーメン」。ちょっと早いが、この先には食事をするところがないので、ここで昼食にする。
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名物「肉そば半熟煮玉子入り(880円)」を注文する。「そば」と書かれているが「ラーメン」だ。
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店を出ると雨が上がっていた。「淀川神社」まで戻り、河川敷の「毛馬桜之宮公園」へ進む。
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川面には「リバーサイド友渕港」という船着場。屋形船が係留されていた。
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「春風橋」という人道橋で午前中に渡った「城北運河」を南に渡る。
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大川に沿って歩く。
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「飛翔橋」という人道橋。「北区」側に開発された「淀川リバーサイドタウン」に繋がる。
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「都島橋」をくぐる。この下を「地下鉄谷町線」が走る。
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「都島橋」を過ぎれば「大阪市水道発祥之地」碑が建つ。明治28年11月、ここから初めて飲料水として大阪市に上水道が送水されたという。
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さすが大阪市(府)、きれいなトイレが整備されている。
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そのまま南に進めば「JR桜ノ宮駅」。駅舎手前のガードはレンガ造りだった。
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新しい橋梁が付け替えられる前のレンガ造りの橋梁が残る。
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その前を渡るのは「源八橋」。昔は「源八渡」という渡し船が運航されていた。
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この辺りは「わんど」のようになっており、橋で「洲」に渡ることができる。
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人工だが砂浜が作られているようだ。
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対岸は「北区」。「大阪アメニティパーク(OAP)」の高層ビルがそびえる。
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この辺りは、水面に下りやすいことから大阪市大漕艇部の施設がある。
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また、ここからは水陸両用の観光バス(船)が上陸する。ちょうど陸に上がった水陸両用バスが出発していった。
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大阪市大の他、古い艇庫が建つ。
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その前には「青湾」碑。かつてこの付近は井戸水の水質が悪かったことから「大川」の水を飲料水として利用しており、特にこの辺りの水質が良かったことから、茶の湯を愛した豊臣秀吉が小湾を設け、茶人の名から「青湾」と名付けられたという。
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ここから再度、川岸を離れる。川沿いには「櫻宮」。地名や駅名は「桜ノ宮」「桜之宮」と表記されるが、地名の由来となった神社は「櫻宮」だ。「櫻」の文字が桜の枝で隠れている。
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元は「東成郡野田村(今の京橋辺り?)」にあった社が、大和川の洪水でこの地に漂着したのが始まりで、宝暦6(1756)年、この地に鎮座したと伝わる。天照大神等を祀る。かつて「大和川」は、生駒山地を出て北上。旧河内湖を沖積平野とし、この辺りを流れていた。
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再び「桜之宮公園」に入る。大阪では「銀橋」と呼ばれる「桜宮橋」。国道1号線の拡張により北側に「新桜宮橋」が建設されたが、元は昭和5年に完成した。
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北区側には煉瓦造りの階段塔が残るが、都島区側には管理施設だろうか、レンガ造りの建物が残る。。
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桜宮橋を過ぎれば、付近は、かつて男爵藤田伝三郎という人が築造した広大な屋敷があったところ。その庭園は、「藤田邸跡公園」として一般公開(無料)されている。
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池や芝生公園周辺には、桜や梅が植えられており、四季折々に花を楽しめる。
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大阪市内とは思えない。
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これが個人の邸宅だったとは、すごいな。
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通用門を出て一旦左に。地下を走るJR東西線「大阪城北詰駅」の出入口を過ぎる。戦災で焼け残った蔵跡は、今では「藤田美術館」として国宝9点を含む藤田一族のコレクションを展示(春・秋の年2回公開)する。
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その東は「太閤園」という宴会場・結婚式場になっており、関西政財界のパーティーなども開かれる。
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再度、西側に戻ろう。そこには、昭和34年「日米市長・商工会議所会頭会議」開催を機に建設され大阪市の迎賓館として使用された白亜の「大阪市公館」が建つ。
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日本庭園が広がり、長らく活用されていなかったところ、今年(平成26年)秋からは、レストランや結婚式場を備えた「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA」として生まれ変わるとともに庭園も一部、一般公開される。訪問時は、開業準備中であった。
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大川と寝屋川が交わり、そこには「川崎橋」という人道橋が「北区」に繋がる。ちょうど、屋形船が浮かぶ辺りが「都島区」「北区」「中央区」の3区境になる。
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京阪電車のガードをくぐり「土佐堀通」の延長である府道168号線を渡る。
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そこには「京橋」。元は元和9(1623)年、旧大和川(現在の寝屋川)に架けられた公儀橋で、大正13年に現在の鋼橋に架け替えられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/a5/620a24856aeb00e09edd328bf8c9c6ea.jpg)
ここから「片町橋」まで570mほどを「寝屋川」に沿って歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/bf/052ec2142a71fc0ac6396c99c7270801.jpg)
川の南側には大阪城が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/27/098b3b3496c34805899491fc91b55297.jpg)
途中で「第二寝屋川」と合流する。正面は、大阪ビジネスパーク(OBP)の「クリスタルタワー」。そこは「中央区」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/91/9b386ebf60775e53cd7a0864d1e77193.jpg)
「片町橋」で上にあがると「片町東交差点」。ここには、当時「片町線」と呼ばれた「学研都市線」の終着駅「片町駅」があった。ホームと改札が直角に交わる「終着(始発)駅」らしい駅舎だったが、平成9年3月、片町線が延伸され「東西線」開業とともに地下に潜り廃止された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/69/b06e150ff5b8cc5b9d5d9ebdebe4857e.jpg)
旧片町駅北側の道を東へ。途中、階段で1本北の路地に入り、さらに京阪電車のガードをくぐる。強い雨が降ってきた。京阪電車沿いに歩くと道端に石の「道標」が立つ。「右 大和」「左 京みち」と掘られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/13/a929cfb03ae04e26881ee7a1f2e99660.jpg)
裏には「右 大坂」と刻まれている。京街道の道標だ。道標の前には、京阪電車「京橋駅」が入る「京阪モール」。昔、
♪ 京阪モール 京阪モール ビルの中を 電車が走る
ビルの中には ニューモードの 花が咲くよ oh! 春の散歩道 ♪
というCMソングが流れていたなぁ。
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北側を走る「国道1号線」。JR環状線のガードをくぐったところが「京橋交差点」だ。かつて「京街道」の宿場町として栄えたところ。
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「京橋交差点」の北側には「ビギン京橋」という商店街。650mほどのアーケード街だ。
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南側は「新京橋商店街」と呼ばれる。
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途中でドームのある広場に出る。
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そこには「京街道」碑が建つ。この商店街が「旧京街道」だったのだろう。
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ここからは「京橋中央商店街」となる。ちょっと味のある「たこ焼き屋さん」。
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アーケードが終われば左へ。そして路地を左に折れると古い住宅街が残る
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文化住宅を抜けて南に進んでくと遊歩道に出る。
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午前中、前を通った「市立総合医療センター」の場所には、かつて「国鉄淀川貨物駅」があったそうだ。貨物駅と「城東貨物線」を結ぶ「淀川連絡線」の跡地に造られた遊歩道である。動輪と枕木をあしらったモニュメント。
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遊歩道は、途中「ビギン京橋」を横切り、さらに東へ進む。
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250mほどで「桜小橋交差点」で「国道1号線」と交わる。ここから東は「城東区」になるので信号を渡り、西に戻る。
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途中で路地を左に入る。
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ここは、歓楽街としての「京橋」の一角になる。
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飲み屋街を抜ける。
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そして……。そこに「エエとこ」がそびえる。「京橋グランシャトービル」。
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サウナ、中華料理店、キャバレー、パチンコ屋などが入る「総合レジャービル」だ。何故、ここが「エエとこ(良い所)」なの?深夜、天気予報のスポンサーとして流れるコマーシャルソング。「ハナテン中古車センター」と並ぶ「コテコテ大阪」のコマーシャルだ。さあ、一緒に歌いましょう(「城東区」編参照)。
♪ 京橋は 「エエとこ」だっせ グランシャトーが おまっせ
サウナで さっぱり「エエ男」 恋の花も咲きまっせ
グランシャトーは レジャービル グランシャトーへ いらっしゃい ♪
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午後2時30分、今日のゴールJR「京橋駅」に到着。本日の歩紀「21730歩」(18.68km)。京橋は「エエとこ」やな。
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