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遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

デイサービス≪牡丹≫

2014-05-02 17:19:20 | 認知症

今朝、畑に出ると、やはり土は湿って作業は無理のようです。
回りの草引きをしました。あれ?を、忘れました。取りに戻るの面倒だしなぁ~~
ハハ(姑)は入院中、時間に縛られなくなりました。
ま、良いかぁ~~と、作業続投。遠くで子供たちの声が聞こえます。通学時間です。
そろそろお腹もすいてきたし、玉ねぎも収穫時期ですが、明日にしよう~~

ちょうど2時間の作業でした。私の体内時計は正確なようです。

ディサービスを受けることになり、それまで殆ど関わらなかったハハ(姑)との関わり、
この時 受けた介護認定は要介護2でした。それが、どの程度を現すのか?
ともかく、驚くことばかりの毎日になりました。

 

ディサービスに行くことになり、当座は送り出しとお迎えをしますと、申し出ました。
一人暮らしをしていたハハ(姑)ですから、必要とは思えなかったのですが、
送迎の職員の方が不安だろうとの思いです。

持っていく物のリストを見て、適当なカバンを義妹が探しでしてくれました。
ハハ(姑)は自分で用意しようとしません?
この時も、あまり気にしませんでした。
実は、まだチチ(舅)の存命中、ハハ(姑)が70代の頃に入院したことがありました。
ほとんど、自分では何もできず義妹が準備していました。残されるのチチ(舅)のことも、気が回らないようでした。
そんなですから、ごく自然に私は準備しました。
バスタオルやタオルは我が家にもありますが、下着は、、
もう3・4年前のことで、はっきりしませんが、
とにかく、奥の間に雑然とあるものを探し出したのだったと、

そして初めのディサービス、心配でした。でもハハ(姑)が居ない間に、ハハ(姑)の衣類の確認をしておかねば、
大忙しでした。
行けば、機嫌よく帰ってきます。

けど、入浴サービスのための用意ができない!のです。
指定されたものを用意して渡すのですが、荷物がかさ張るのが嫌なようでバスタオルを抜いてしまいます。
着替えの下着も要らないといいます。けど、この時に着替えてもらわないと、、、

始めは週に2度でした。
今日が何曜日だったか?私もうっかり、 って、ことはありますが、
何曜日に行くのかも、覚えていないというか?確認もしません。
毎朝、「今日は、行く日か?」 と、たずねます。

今日はお休みと言っても、記憶に残らないようでした。
私にも、少しづつハハ(姑)の様子に気付き始めてきました。

そして、同居じゃなかったので家の中のことが判りません。ハハ(姑)の衣類も、、
ハハ(姑)の留守中、衣類の確認をし、洗濯をし、処分し、不足を補う作業が続きまた。

 

 


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ディサービスを受けるまで≪牡丹園≫

2014-04-30 18:31:08 | 認知症

朝、晴れ?と喜んで洗濯物を干し、庭の手入れを始めてたら、降りだしてきました。
今日もクンストレース、三昧です。

和歌山城は、牡丹も盛りでした。どうも牡丹と芍薬の見分けのつかない私は、
ちょうど居合わせた お城の係りの方?のお尋ねしました。「牡丹です。(きっぱり)」
少し先に行くと、牡丹園と書かれていました。



前にも書きましたが、認知症の症状は個々、様々だと思います。ハハ(姑)の例が総てに当てはまることはありませんが、
参考になれば、、そして私たちの覚書として、遡って書いていきます。
楽しい話題ではありません。お花だけでも楽しんでください。

介護経験者・介護中の方、ご経験を教えてください。お互いの情報交換の場合になれば、、
そして介護に疲れた方、ここで存分に愚痴ってください。


遡りますが、以前書いたと思うのですが、ハハ(姑)が電話をかけてないか?と、訊ねることが多くなりました。
空耳、転寝でもしてたのか?ぐらいに思っていました。認知症とは思いませんでした。

同居じゃ有りませんでした。けど、毎晩ソラジが訪ねていました。
また、近くに義妹が居て何かにつけ呼び付けて用事を頼んでいましたので、
私はこれ幸いとハハ(姑)の元に行くことは少なかったです。
けど、たまに行くと紙おむつ(リハビリパンツ)が干してある。
不思議でした。まず、自由に動き回れる人が、何故 オムツなど使ってるんだろう?
私が見ても平気な顔をしています。恥ずかしくないのかしら?

そして、戸締りに神経質になってきました。
家(建物)の戸締りはできますが、田舎の家ですから、庭はガランドウに近いです。
なので、木戸や門扉に鍵を取り付け、生垣の隙間も埋めました。
それでも、「○○が無くなった。」と、言います。その無くなった物は、誰も欲しがらない物なんです。
ソラジが「誰がそんなモン持って行くんや(仕舞い忘れだろう)」と、言ってもききません。
その時点で、おかしいと気付きそうなものですが、誰も気付きませんでした。
少なくともソラジと私は、、、

それでも、本人も自分の行動、思考に不安を持ったようです。

解決法として、ディサービスに行ってみようって言い出したんです。
「家にばっかり居ったら、ようないさけ」と言い出したのです。
そうは言っても、団体生活を窮屈に感じて続かないんじゃない?と、私は思っておりました。
そんな思いとは別に、ハハ(姑)の入浴の介助に義妹が通っていたそうです。
通って、と言うのは大変です。

でも本人の強い希望で手続きを始めました。聞き取り調査に来られ、
ディサービスでの希望を聞かれましたが、ハハ(姑)が答えることはあまり無かったのです。
その時は、出しゃばらない方が良い。と、思ってのことかしら、と、感じていました。
叔母が先に通所していましたので、同じ日程が良かろうとの私たちの判断です。
義妹の入浴もさせて欲しいとの希望を受けて「お風呂は好きですか?」の質問に、
もちろんです。って、感じの返事をしたのに、驚きました。
だって、入浴好きの祖母 亡き後は、随分間隔が空いてたようでしたのに、、、

この時、当然確認しておくべき、通所に際しての持ち物などの説明も
ハハ(姑)は、ほとんど聞いていなかったように思います。


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入院生活 Ⅱ≪きゅうり草≫

2014-04-17 11:34:07 | 認知症

カテゴリーに認知症を加えました。認知症の例として参考になれば、、
サイドバーのカテゴリーのところをクリックしていただくと過去の記事が表示されます。

できるだけ冷静に、綴って生きたいと思いますので、今現在ではなく、
少し落ち着いた時に少しづつ、、、
同じ問題を抱えていらっしゃる方の参考にと思いますが、この話題が苦手、という方もいらっすると思います。
今日は認知症の話です。苦手な方は、お花だけでも楽しんでください。

 

元々、眠りの浅い人だったのかもしれません、宵っ張りでした。
最近、入院するまでの家でのハハ(姑)は、夜中に何度も起きて家中の確認をしていたのです。
ショートステイでも、家が気になる、帰らなければと言い続けたようです。
ショートステイでは、部屋の中を確認して回り、戸締りをしていたそうです。
自由に歩き回れていたのです。

ハハ(姑)の24時間は、細切れで起きて食事をし、何かを考え、誰かと話、眠って、の繰り返しです。
昼夜逆転とは、違うように思います。
ですから、ハハ(姑)に付き添うのは無理があったのでしょう。
今にして思えば、ベットから降りて部屋の中の気になる あれこれを自分の目で確認したかったのでしょう。
それを止められ、知らない場所に閉じ込められたのですから、パニックになるのも当然でしょう。

認知症の患者に、状況や立場を理解させることは、とても時間が掛かります。
でも状況は待ってくれません。たとえば、今回の骨折にしても
すぐに忘れてしまうのです。で、なぜここに居るのか判らない。また説明しても、、、、
説明する方が根負けしてしまいます。
当人は、変化に対応できず、うろたえるのでしょう。

今の手術は、何箇所か穴(?)を開けて、そこからの手術だそうです。
ですから、大きな傷も無く外からは判りません。
転んだことも忘れているのですから、ますます状況の説明は難しいです。
1ヵ月半経って、ハハ(姑)は今の状況をどう感じているのでしょう?

手術の翌日から、リハビリは始まりました。はじめは、マッサージのようなことから、
手術後すぐに歩こうとし、実際歩きました。すぐに歩いても大丈夫ではあっても、痛みはあります。
なので、気になる部屋の中を見て回ることはできず、ハハ(姑)にとっては長い長い時間だけが過ぎてゆきます。

歩く事、に意欲的でした。
すぐに、
歩行器のようなもので、歩くのもスムーズでした。それが私たちの希望でした。

手術の説明のとき、「手術後1ヶ月から2ヶ月はリハビリしてもらいますが、
その後、家に帰るのは無理でしょう」と、言われました。仰ることが、よく判りませんでした。



もう1枚、胡瓜草
 

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入院生活 Ⅰ≪コハコベ≫

2014-04-09 14:30:00 | 認知症

手術後、ハハ(姑)は自分の身に起きたことを理解できませんでした。
傷を見せて説明しても、傷のガーゼを剥がそうとし、点滴を引きちぎります。
果ては、起き上がりベットから降りようとします。
手術前の説明で「すぐにでも歩けます。けど、痛くて歩け無いはず」と、言われていました。
降りても心配ないのですが、痛みのためバランスを崩して再び転んで骨折でもしては、
落ち着くまで付き添う。そんなつもりでした。

交代で24時間付き添うことにしました。ソラジは腰痛の事もあり、お昼の6時間ほど
残り、18時間を6時間ほどに分けて、義妹と二人で対応することにしました。

ハハ(姑)は、夜 眠らないのです。
夕食のときぐらいまでは良いのです。その後、顔つきが変わってきます。
不安になるようです。ここに一緒にいると言っても耳に入らないようです。
そばに座ってるのに、見えないかのようです。
一晩中、怯え、疲れて数分眠って、すぐに、怯えて興奮します。
私たちは一睡もできません。そんな日が4日続き、睡眠剤の投与をお願いしました。
でも、効果が有りません。ハハ(姑)は、眠気に抵抗するように、瞑りかけたまぶたを必死で開きます。
幻聴や幻覚があったようです。途中2時間ほど眠ることがあっても、鼾と突然の寝言でやはり眠れません。
そして明け方近くになって、安心したように眠るのです。
そんな日が、また3・4日。

くたびれ果てました。夜中、付き添ってると動悸が激しくなってきて、、、
いけない。落ち着こう、落ち着くんだって念じました。
義妹も同じような状態になり、安定剤を飲んだそうです。そしたら、ほんの20分ほど眠ってしまったそうです。
気がつくとベットから降りて部屋を出たハハ(姑)が看護師さんに支えられて帰ってきたところだったそうです。

この間、二人とも事故も無く済んだのが不思議な状況だったと思います。


ようやく、何とかせねばと気づき、付き添いを止めることにしました。

 

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とうとう≪ヒメウズ≫

2014-04-08 18:00:00 | 認知症

とても小さい花です。なのでピンボケ^^;って、いいわけです。
小さい花と葉の形が、とても優しい。
れから今までのハハ(姑)とのことを振り返って書いております。その第3弾です。

3月に入って、ディサービスのお休み明けの日、正直、お休み明けはホッとします。
ハハ(姑)を送り出し、午前中、買い物や用事を、、昼食を済ませ、ホッとした時間、

その時、電話が、、、「ハハ(姑)が転んで骨折してるらしいので、病院へ連れて行く」との事。
急いで保険証を持ち、病院へ、
骨折していました。しかも大腿骨。
治療は、安静にして骨がくっ付くのを待つ、骨を止める手術。
ハハ(姑)を安静にさせておく事、なんか出来ません。手術しかありません。
今の手術では、翌日から歩くことは可能だそうです。痛いのを我慢できればですが、、
翌日、手術のための検査などがあり、翌々日に手術と決まりました。

これまで、一番心配していたことです。
動くなとは言えません。(言っても聞きません。)
いずれは起こったことでしょう。
まずは病院にお任せして、帰宅しました。

翌朝、病院から電話です。
ハハ(姑)が興奮して手がつけられず、同室の方々に迷惑になるので、個室に代わってもらえないか?と、
そのことも、心配していましたが、一人も寂しがるかもと相部屋にしました。
駆けつけて、
手術までの間、足を動かすことは傷のために良くないのです。それを納得させることも出来ません。
動こうとするハハ(姑)を宥め、落ち着かせようとするのですが、、

この後の記憶が定かではありません。そこから、誰かが24時間体制で誰かが付き添いました。
その晩、誰が泊まったのか?

ともかく手術は無事終わり、局部麻酔のはずでしたが、ハハ(姑)は、夜まで眠り続けました。


 

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