息子ンチの掃除に夢中になって、(他に楽しみはないのか)
夕食は息子夫婦も集合しての外食事の予定でしたので、心置きなく
翌日、昼食を済ませ、息子の夕食を用意して帰宅です。
息子ンチから高速に乗る少し手前までソラジが、その後、私が運転し、途中またソラジに代わるのですが、
今回、和歌山から高速に続いてバイパスを利用して、ず~と私が運転してみました。
一昨年の暮れ通い始めた頃は、車で2時間の田辺までは行かなくなっていました。
ソラジも和歌山までの運転に自信がなく、というより腰に自信がなく、
毎回、嫁が電車で田辺まで迎えに来て貰っていたのです。
串本までは時間が掛かるという事で、田辺まで私が、、、
何度、続いたのでしょう?
嫌な顔も見せずに、、、送迎してくれました。
ソラジの腰も良くなってきて、私も運転に慣れてきました。道に慣れたというべきでしょうか?
で、ある時、帰りは自分たちで帰ってみました。それから自分たちで通うようになりました。
私の運転距離が増えましたが、未だに、市内の運転だけはパスしております。
今まで2時間も運転すると、疲れて眠くなってしまうのです。今回は大丈夫でした。
何でだろう?
終点の江住に道の駅がオープンしたばかりです。
寄ってみる事にしたのですが、オープン直後の日曜日、大混雑です。
何とか駐車して、見て回りました。食堂もイートインもありました。
食事には早すぎ、結局、何にも買わずに見物だけで帰ってきました。
混雑した駐車場からの脱出を心配したソラジが代わって運転。
一日頑張ったんだから、どっかで食べて帰りたいものだけど、 惣菜でもいいから、家で食べたいソラジ、
ソラジが勝ちました。って言うか、負けるけんかはしないことにしておりまする。
昨日、見つけたピンクのトレニア、一株だけ?
少し濃い目の紫が二株。種をいっぱい作ってねぇ~~
道の駅で見つけた≪シロバナ浜茄子≫があるので、里でのお話をもう少し
この浜茄子は、懐かしい。
私の母校、中学と高校が並んでいました。その校庭の裏の松林の向こうが海でした。
海に出ると、浜茄子が咲いていました。シロバナです。
休み時間や放課後、海のほうへってことは、殆どなかったのですが、
それでも浜茄子の咲く風景は記憶にあります。
3年生の時の担任が英語と音楽の先生で、しかもお坊さん。
英語の歌を教えてくれた事がありました。他のクラスに迷惑だからと
松林に行って、みんなで歌った事がありました。
帰る日も天気が良かったので、シーツを剥がし洗濯、お布団も干して(自分たちの分だけですが)
少しは母の負担を減らせたかな?と、免罪符。
荷物を纏め、里をお昼過ぎに出ました。
帰りついたのは夜。珍しく、電車に酔いました。
なので、翌日は雨だし、荷物を並べたまま ゴロゴロしてました。
更に翌日、ようやく晴れ、4日続きました。キャホッー
お天気に左右されます。掃除洗濯。
ちょうど6月末まで晴れ、去年味を占めた小豆を、失敗した大豆を、それに人参。の為の場所を耕します。
掃除洗濯、なんとな~く、くすぼってた気だるさも取れ、張り切って出かけましたが、、
なんと苦土石灰が、、、切れてる~~~~
誰の所為でもありゃしない って、歌ってる場合じゃない。
買いに 走って、予定遂行です。昨日、雨で7月に突入しました。。。。
そして今日も、明日も雨の予報。せっかくの追肥も流されちゃうんじゃない?
朝の連続ドラマ 【マレ】 で、相撲が盛んな土地柄と紹介されとったけど、
今 どうか知らんけど、私らが通とった高校にも相撲部があったわいね。
一学年、普通科2クラス、家庭科1クラスの小さな学校で全校でも男子は150人おったがか?
校庭の隅に部室と土俵があって、練習しとったねぇ~
部員は何人居ったがやろ?
夏の卯辰山の相撲大会には出場するちゅうて、応援に行ったがを覚えとるわいね。
相撲は、、ちゅうより、スポーツ音痴やもんで、よう知らんがやけど、
横綱の輪島ぐらいはしっとるわいね。リアルタイムやったもんね。
百万石祭りのとき、ばったり出会った事もあったげよ。
ほしてぇ、祭りのシーンがあったがいね、太鼓のシーンを打つシーン、
皆して太鼓 うっとったやろ、皆 太鼓も好きなげちゃ
獅子舞もすっげけど、神輿も担ぐげけど、
一緒に回る太鼓を載せた荷車に順番に太鼓を打つもん、聞くもん、憧れる子供らが集まっとったわいね。
みんな耳で覚えて、練習しとったげわいね。
おいね、輪島の御陣乗太鼓。有名やけど、輪島だけじゃないげぃよ。どこの町にもあったわいね。
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翻訳
朝の連続ドラマ 【マレ】 で、相撲が盛んな土地柄と紹介されとってたけど、
今は、どうなのか解らないけど、私達が通ってた高校にも相撲部がありました。
一学年、普通科2クラス、家庭科1クラスの小さな学校で全校でも男子は150人だったか?
校庭の隅に部室と土俵があって、練習していました。
部員は何人居たのでしょう?
夏の卯辰山の相撲大会には出場するので、応援に行ったのを覚えています。
相撲は、、って言うより、スポーツ音痴で、よく知らないのですが
横綱の輪島ぐらいは知っています。リアルタイムでしたから。
百万石祭りのときに、ばったり出会ったこともあったんですよ。
そして、祭りのシーンがあったがいねあったでしょう、太鼓のシーンを打つシーン、
皆で太鼓 打ってたでしょう、皆 太鼓も好きなんです。
獅子舞もするけど、神輿も担ぐけど、
一緒に回る太鼓を載せた荷車に順番に太鼓を打つ人、聞く人、憧れる子供達が集まっていました。
みんな耳で覚えて、練習してたんですね。
そうなんですよ、輪島の御陣乗太鼓。有名ですが、輪島だけじゃないんですよ。
昨日、ケーキの出張販売がありました。他所の地区で販売は聞いていたのですが、
販売開始時間に行ってみると、すでに列が出来ていました。
「これ、ケーキの列ですか?」「そうですよ、ビックリでしょ」
待つ間、前後の方とおしゃべり、
まぁ~すでに、おしゃべりは始まっていたのですが、、
で、並んでると、通りがかりの購入予定がなかった方まで列に加わったりして
おしゃべりしながら品定めしてて、私の籠の中のケーキを見て
「お・奥さん、、、」
「あ、家族が多いものですから、、」
「あ。だったらね」って、納得する上品な 見知らぬ ご婦人。
あら、ご近所さんが傍にいました。
半世紀近く前の悪事を思い出しました。
その頃、兼六園は入場制限はありませんでした。
よく散策に行っていました。(デートではありません。)
ある時、 友人たちが一緒でした。
ちょっとした悪戯を思いつき、友人たちに提案。
一斉に上を見上げ、何かを話すそぶり、、、をしました。
しばらくすると周りの人たちが上を見上げ、、、何事かと話し合ってる風
かなりの反応が出始めました。
発信もとの私達に近づく方々の気配。
逃げ出しました。
ボランティアを始めたり、休みがちな趣味の講座も、畑仕事も楽しく始めていました。
夜、電話がかかりました。
「(姑)状態が良くない、また深夜でも電話するかもしれません。」という事でした。
転院後すぐ同じような状況になったのですが、乗り越えました。今度も、、
でも少しでも休んで、備える事に、
電話は、、かかりました。駆けつけ、一方で義妹に連絡を取ります、、
ところが、
その前日に安定してるのを確認し、連れ合いの実家へ向かっている途中の宿だったそうです。
急きょ、とんぼ返りです。
それからは、それぞれ出来ることを思いつくことをしました。
息子たちは仕事の段取りをつけて、嫁は先に来てくれました。その後、義妹も到着。
ホッとしました。
それまで、一人で準備は心細かったです。ソラジは手続きのほうで忙しくしていました。
初七日まで、、、、49日まで、、、、一つ一つ進める間、気を張っていました。
身体を動かしてた方が、気が抜けないです。と、思って、仕事を探すように動きました。
49日が済んだら、気が抜けたのか、何年ぶりかに、風邪を引いてしまいました。
休んでた教室や花壇作業を再開。
2ヶ月毎のソラジの通院、急いで帰らなくても良くなったので、二人でゆっくり通うようになってます。
私は和歌山市内の運転は、嫌って言ってます。でも、田辺から、先に進んで和歌山市の郊外まで、
ソラジも長時間運転が出来るようになってきました。
そして百か日の法要も終わり、ようやく一息つけそうと思ったら、もう今年も終わりそうです。
息子夫婦も帰ってきて、嫁はこの1年で我が家風を覚えてくれてテキパキやってくれます。
昨日は散歩してきました。
のん太さんは楽隠居です。って、帰省中だけだけど、、