少しばかり時間的な、また精神的な余裕ができてきたので、昨年末に亡くなった加藤周一の著作をまとめて読み始めている。年末にかけて少しずつ読み進めていくことになるだろう。ただし、それは遅ればせながらの追悼という意味ではない。少なくとも加藤周一の熱心な読者ではなかったからだ。そうではなく、その著作を読んでいくことを通じて、「知識人」について、そして20世紀的な知のあり方について、自分なりに考えてみたいと思ったのがその動機だ。
熱心な読者ではなったといいつつも、加藤周一という人の文章について、その議論を支える和漢洋にわたる幅広い教養に魅力を感じてきた。そのことを少し具体的な叙述をもとに辿ってみる。
今読んでいる『加藤周一セレクション1 科学の方法と文学の擁護』に収められた「文学の擁護」という文章の中で加藤周一は、ヨーロッパの文学の定義を「文体、または散文の質」によってなされる大陸型と「主として『ジャンル』(散文の詩、小説、文藝批評、一種の詩的散文)」によってなされる英米型に大別し、また英米型のそれが、18、19世紀以降の文学史の叙述では小説が重視されたことからも明らかなように、それらの定義は時代によっても変化が認められるとした上で、中国の文学概念との共通性を鑑みながら「散文の描写、乃至叙述の機能」を評価する大陸型の文学概念をより普遍的なものと述べている。このアンソロジーでは、こうした知見に基づく議論が随所に展開されていく。
たとえば、しばしば比較の俎上に上せられるモンテーニュの『エッセー』と兼好法師の『徒然草』について、上に見たような観点から比較するとき、「議論の展開であり、意見の主張」である『エッセー』は、「推論を避けて断片的な感想」を書きつらねたものである『徒然草』よりも、むしろ『正法眼蔵』と似ていると喝破することを可能とするだろう。それは同じ隠遁者による「随筆文学」というジャンルで括って同列に論ずる文学史的叙述とは一線を画して、しかも(少なくとも自分には)強い説得力を持つものと思われる。
和漢洋の深く幅広い教養に裏付けられたこうした横断的な考察が随所にあらわれる。そういえば、あの林達夫のあとを継いで平凡社の世界大百科事典の編集長になったのが、加藤周一だった。しかし、幅広い領域を見通すことや知識の体系化への意志が求められる百科事典的な知のあり方はもはや(20世紀後半にあっても既に)時代遅れのものであったのかも知れない。しかし、だからこそおそらくこうしたタイプの「知識人」は、かくも専門分化が進んだ現代において今後おいそれとは現れないだろうという予感がある。あるいは日本における最後の「知識人」といってもよいのかも知れない。 そして今、加藤周一という人の著作を読み進めていくということは、自分の中では、そのような知のあり方を可能にしたものについて、あるいはそのような知のあり方が不可能であると感じる時代について考えるヒントを得るための読書という意味を持つ、と感じた。
このアンソロジーの中で、加藤周一が強い親近感を表明している文学者・知識人が二人いる。
まずE・M・フォースター。フォースターのジッド論の「ヒューマニストには四つの主な特徴がある。すなわち好奇心、自由な心、よき趣味、人間に対する信頼」である一節を引用しつつ、それを個人主義的ヒューマニストであるフォースターを自身をよく語るものであると述べているが、それはそのように書く加藤周一自身についてもある程度当てはまるだろう。
もう一人はサルトル。サルトルに寄せて文学の意義を「具体的・特殊的な状況を通して、世界の普遍的な構造」(「文学の擁護」)を捉えることと考える加藤周一は、サルトル同様に、文学者・知識人の役割を「科学的な客観主義(普遍的な知識の世界にだけとどまる)をもって支配階級に奉仕すること」や「支配階級の特殊なイデオロギーを弁護するのに『にせの普遍性』をもってすること」などでなく、「不断に、個々の事件に即して、現実からその蔽いをとりのぞくこと、またみずから人間の根本的な条件の自覚的な表現となること」と見なしていたのだろう。
加藤周一という人の知を支えていたものは、一方でヒューマニズム(人文主義)的教養であり、また「普遍性と特殊性との弁証法的な緊張関係の自覚」の上に立った権力への抵抗への強固な意志というものだったとひとまずはまとめることができるだろう。
このアンソロジーに収められた「科学と文学」の中で加藤周一は、今日の科学(及び技術)と文学が対立し、一般に前者が優位に位置付けられる現代社会に向けてひとつの提言をしている。ヨーロッパのルネサンス、すなわち一人の人物「科学者であり同時に詩人で」ありえた時代を引き合いに出しながら、科学(及び技術)と文学が協力関係をとりうるのではないか、と。その根拠の部分を引用してみる。
詩人は、知的な抽象的な構造の秩序ではなくて、人間生活のなかの感情的な美しさにひかれて詩をつくります。詩人と科学者は、同じではないが、美しさにひかれているという点では似ているでしょう。ただ美しさの性質が、文学者にとっては感情的、感覚的であり、花の美しさである。科学者の場合は抽象的な水準で、花の持っている構造の整然とした秩序です。ですから科学者と文学者の活動のし方はちがうけれども、対象の美しさにひかれるということが科学者の情熱、詩人の情熱の中心にあるという意味では、協力し得る基盤があるでしょう。
ここには「幾何の精神」と「繊細の心」(パスカル)を単純に対立させるのではなく、両者の間にひとつの共通の「基盤」を見出している点を興味深く感じる。それは若き日に医師でもあり、詩人でもあった、そして原爆投下直後の広島で医師として現代の科学・技術の起こした最悪の災厄に触れた加藤周一らしいものでもあると感じた視点だ。
鷲巣 力編『加藤周一セレクション 1 科学の方法と文学の擁護』 (平凡社、1999)
科学と文学/文学の擁護/途絶えざる歌
ゴットフリート・ベンと現代ドイツの「精神」
グレアム・グリーンとカトリシズムの一面
E. M. フォースターとヒューマニズム
サルトルの知識人論/人間学または『状況第九』の事
サルトル論以前/サルトルのために
熱心な読者ではなったといいつつも、加藤周一という人の文章について、その議論を支える和漢洋にわたる幅広い教養に魅力を感じてきた。そのことを少し具体的な叙述をもとに辿ってみる。
今読んでいる『加藤周一セレクション1 科学の方法と文学の擁護』に収められた「文学の擁護」という文章の中で加藤周一は、ヨーロッパの文学の定義を「文体、または散文の質」によってなされる大陸型と「主として『ジャンル』(散文の詩、小説、文藝批評、一種の詩的散文)」によってなされる英米型に大別し、また英米型のそれが、18、19世紀以降の文学史の叙述では小説が重視されたことからも明らかなように、それらの定義は時代によっても変化が認められるとした上で、中国の文学概念との共通性を鑑みながら「散文の描写、乃至叙述の機能」を評価する大陸型の文学概念をより普遍的なものと述べている。このアンソロジーでは、こうした知見に基づく議論が随所に展開されていく。
たとえば、しばしば比較の俎上に上せられるモンテーニュの『エッセー』と兼好法師の『徒然草』について、上に見たような観点から比較するとき、「議論の展開であり、意見の主張」である『エッセー』は、「推論を避けて断片的な感想」を書きつらねたものである『徒然草』よりも、むしろ『正法眼蔵』と似ていると喝破することを可能とするだろう。それは同じ隠遁者による「随筆文学」というジャンルで括って同列に論ずる文学史的叙述とは一線を画して、しかも(少なくとも自分には)強い説得力を持つものと思われる。
和漢洋の深く幅広い教養に裏付けられたこうした横断的な考察が随所にあらわれる。そういえば、あの林達夫のあとを継いで平凡社の世界大百科事典の編集長になったのが、加藤周一だった。しかし、幅広い領域を見通すことや知識の体系化への意志が求められる百科事典的な知のあり方はもはや(20世紀後半にあっても既に)時代遅れのものであったのかも知れない。しかし、だからこそおそらくこうしたタイプの「知識人」は、かくも専門分化が進んだ現代において今後おいそれとは現れないだろうという予感がある。あるいは日本における最後の「知識人」といってもよいのかも知れない。 そして今、加藤周一という人の著作を読み進めていくということは、自分の中では、そのような知のあり方を可能にしたものについて、あるいはそのような知のあり方が不可能であると感じる時代について考えるヒントを得るための読書という意味を持つ、と感じた。
このアンソロジーの中で、加藤周一が強い親近感を表明している文学者・知識人が二人いる。
まずE・M・フォースター。フォースターのジッド論の「ヒューマニストには四つの主な特徴がある。すなわち好奇心、自由な心、よき趣味、人間に対する信頼」である一節を引用しつつ、それを個人主義的ヒューマニストであるフォースターを自身をよく語るものであると述べているが、それはそのように書く加藤周一自身についてもある程度当てはまるだろう。
もう一人はサルトル。サルトルに寄せて文学の意義を「具体的・特殊的な状況を通して、世界の普遍的な構造」(「文学の擁護」)を捉えることと考える加藤周一は、サルトル同様に、文学者・知識人の役割を「科学的な客観主義(普遍的な知識の世界にだけとどまる)をもって支配階級に奉仕すること」や「支配階級の特殊なイデオロギーを弁護するのに『にせの普遍性』をもってすること」などでなく、「不断に、個々の事件に即して、現実からその蔽いをとりのぞくこと、またみずから人間の根本的な条件の自覚的な表現となること」と見なしていたのだろう。
加藤周一という人の知を支えていたものは、一方でヒューマニズム(人文主義)的教養であり、また「普遍性と特殊性との弁証法的な緊張関係の自覚」の上に立った権力への抵抗への強固な意志というものだったとひとまずはまとめることができるだろう。
このアンソロジーに収められた「科学と文学」の中で加藤周一は、今日の科学(及び技術)と文学が対立し、一般に前者が優位に位置付けられる現代社会に向けてひとつの提言をしている。ヨーロッパのルネサンス、すなわち一人の人物「科学者であり同時に詩人で」ありえた時代を引き合いに出しながら、科学(及び技術)と文学が協力関係をとりうるのではないか、と。その根拠の部分を引用してみる。
詩人は、知的な抽象的な構造の秩序ではなくて、人間生活のなかの感情的な美しさにひかれて詩をつくります。詩人と科学者は、同じではないが、美しさにひかれているという点では似ているでしょう。ただ美しさの性質が、文学者にとっては感情的、感覚的であり、花の美しさである。科学者の場合は抽象的な水準で、花の持っている構造の整然とした秩序です。ですから科学者と文学者の活動のし方はちがうけれども、対象の美しさにひかれるということが科学者の情熱、詩人の情熱の中心にあるという意味では、協力し得る基盤があるでしょう。
ここには「幾何の精神」と「繊細の心」(パスカル)を単純に対立させるのではなく、両者の間にひとつの共通の「基盤」を見出している点を興味深く感じる。それは若き日に医師でもあり、詩人でもあった、そして原爆投下直後の広島で医師として現代の科学・技術の起こした最悪の災厄に触れた加藤周一らしいものでもあると感じた視点だ。
鷲巣 力編『加藤周一セレクション 1 科学の方法と文学の擁護』 (平凡社、1999)
科学と文学/文学の擁護/途絶えざる歌
ゴットフリート・ベンと現代ドイツの「精神」
グレアム・グリーンとカトリシズムの一面
E. M. フォースターとヒューマニズム
サルトルの知識人論/人間学または『状況第九』の事
サルトル論以前/サルトルのために
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