Mey yeux sont pleins de nuits...

読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

辻邦生『安土往還記』

2007-07-04 00:10:52 | 読書
 この作品は、辻邦生の他の作品にしばしば見られる、ある人物の生についての証言という形式となっている。証言者は室町末期に宣教師について日本に渡ってきたジェノヴァ出身の水夫であり、彼は京都や安土の教区で宣教師たちの補佐をする傍ら、「尾張の大殿(シニョーレ)」に軍事顧問のような立場で接する。そしてこの小説はそこで見聞したことを故郷の友人に書き送った手紙という体裁となっている。むろん南仏の蔵書家の書庫から発見されたというこの書簡は作者・辻邦生による創作であり、巻末の改題によればフロイスやロドリゲスらの文書や『信長公記』などを題材として、それらを作者独自の視点で再構成して書かれている。(そのことは手近なところでは岩波文庫のルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』などで確かめることができる。)

 そして何よりユニークな点は、この書簡の書き手である話者をスペインのコンキスタドールに従ってメキシコに渡った経験もある、技術者に徹した世俗の人間としたことであり、しかも話者が書簡を送る友人がマキャベッリを容易に想起させる「フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリ公国における政体比較研究」なる書物の著者とした点だろうか。ここに描かれているのは合理主義的な精神の持ち主の共感に満ちた眼差しによって捉えられた合理主義的精神を徹底する政治家の肖像となる。

 すなわちここに描かれた「尾張の大殿」は「自分の選んだ仕事において完璧さの極限に達しようとする意志」の持ち主であり、「力の作用の場において力によって勝つ」という政治的原則のもとにあらゆる戦略を組織し、異常なまでの好奇心と探究心をもって「この世における道理」に執着する。そしてフロイスやオルガンティノら、「信じるもののために危険をおかし、死と隣りあって生きて」きた者へは友愛と信頼を寄せ、わけても巡察使ヴァリニャーノに対しては、「仕事のなかに自分のすべてを燃焼させ、自己の極限に生きようとしている」者同士の「寡黙のなかの友情」を結ぶ。

 しかし、その一方で己れに課した「事が成る」ための不断の克己と緊張、そして「理にかなう」方法の徹底を周囲に対しても過酷なまでに要求することで諸将との間の距離が広がり、次第に孤独の影を深めていく。「明徹な理知」によって「事物の理法」を見抜く眼をもつ一方で人間の弱さに対する愛情をも併せもつ「明智殿」との対比を通じて「大殿」の孤影を色濃く描き出していく。

 そうして深い信頼と共感を寄せられながら「孤独な虚空へとのぼりつめる」ことを要求されつづけることに疲弊した「明智殿」の謀叛によって、この「理法の王国」が音もなく崩れ去ったことへの衝撃とそれに続く無為の十年が語られて話者の証言は締めくくられる。言うまでもなく、「尾張の大殿」によってほぼ完成されようとしていた「理法の王国」の崩壊とは話者にとっても「大殿」を通じて実現しようとした理想の挫折を意味する。

 この孤独な絶対の探求者によって安土の城下に出現したつかの間の祝祭空間がこの作品のクライマックスとなる。闇の中に無数の松明によって浮かび上がる壮麗な安土城とやはり松明を掲げて疾走する黒装束の騎馬武者たちの奔流。そして彼らと同じいでたちで馬を駆り、ヴァリニャーノに別れの挨拶をする「大殿」。このとき合理主義的な精神を徹底することによって絶対の探求者となった「尾張の大殿」の相貌は、作者・辻邦生がしばしば主人公とした芸術家たちの相貌に近似する。


 『辻邦生全集 1』(新潮社・2004.6-1973)

 



最新の画像もっと見る

post a comment